東方巡遊記

九州ツーリング I

目次

01
プロローグ
02
神戸港~新門司港~宇佐神宮~院内
03
院内~宇佐~別府~由布~大分~清川
04
清川~尾平越~天岩戸神社~高千穂神社~高千穂峡~延岡~日向~美々津
05
美々津~宮崎~高岡~小林~霧島岑神社/夷守神社~東霧島神社~小林
06
小林~狭野神社~皇子原神社~霧島東神社~御池~霧島神宮~高千穂河原
07
高千穂河原霧島神宮古宮址御鉢霧島神宮元宮高千穂峰/天逆鉾国分牛根麓
08
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09
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エピローグ

2014年9月12日(金) 11日目

天逆鉾。

※当サイトの内容を過信して発生したトラブルには一切の責任を負いかねます。必ず注意事項に目を通してからレポをお楽しみくださいますよう、強くお願いします。サイト内に掲載している写真・文章等のコンテンツは、形態を問わず転載厳禁。野宿要素が大変多く含まれているので、苦手な方はお引き取りください。

高千穂河原

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0500起床。気温は17℃。夜のうちに雨は止み、天気は曇りがちな晴れ。

現在地は日向国/鹿児島県霧島市の「高千穂河原ビジターセンター」。朝食を済ませるとテントを撤収し、高千穂峰へ登る準備にかかります。

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駐車場の東には、大きく陥没した御鉢が見えます。既にマイカーの登山者が出動しているらしい。

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霧島連山の登山基地として整備されたビジターセンター。活火山であることから、噴火に備えて避難壕も設けられています。火山活動が続いており、ここからアクセスできるのは高千穂峰のみ。中岳~新燃岳方面は入山規制が続いています。

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小型ザックに最低限の装備のみパッキング。自転車旅から登山装備に切り替えて準備完了。容量の都合で、登山用ヘルメットとストックは用意していません。これより徒歩で「高千穂峰トレッキング I」の行程を開始します。

高千穂峰地図 
高千穂峰地形図 
再び高千穂峰周辺の地図。霧島連山とは、韓国岳(1700.1m)を最高峰とする火山群の総称。天孫降臨の地とされる高千穂峰(1573.6m)は、その南端に位置します。

本日は高千穂河原ビジターセンターをスタートし、霧島神宮古宮址から高千穂峰登山道に取り付き。御鉢の北縁を通って脊門丘の霧島神宮元宮を経て、天逆鉾が立てられている高千穂峰山頂まで登るプラン。登りも下りも同じピストンルートとなります。

※国土地理院の「地理院地図(新版)」から抜粋して掲載。「カシミール3D」で出力し、ポイント及びルートを追記しています。

霧島神宮古宮址

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0630、出発。まずは鳥居をくぐって霧島神宮古宮址へ。ここから見える御鉢の西斜面(左側)を直登し、北縁から東の高千穂峰に向かうルートです。2018年12月の「九州探訪 III」(p.2)では高千穂峰を補完しています。そちらも参照してください。

霧島神宮の社伝によると西麓の古宮址には、鎌倉時代の文暦元年(1234年)まで後の霧島神宮が鎮座。社殿は霧島連山の噴火により焼失・移転するも廃絶してしまったわけではなく、天孫降臨神籬斎場として現在でも祭祀が続けられています。

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天孫降臨神籬斎場。火山灰が堆積しています。以下、ひたすら『古事記』と『日本書紀』のエピソード。神話に興味ない方は読み飛ばしてもらっても構いません。

高天原を追放された素盞嗚尊の子孫、大国主命の尽力により開拓された葦原中国。高皇産霊尊と天照大御神を中心とする天津神はその統治を画策し、思兼神の立案で神々を派遣しますが作戦はことごとく失敗してしまいます。結局、精強な建御雷神が天鳥船神に乗って出雲国(島根県)に降下しました。

稲佐の浜に降り立った建御雷神は十拳剣を突き立てて威嚇。国津神の代表格である大国主命と息子達に国譲りを要求します。子の事代主神はすぐに隠れ、建御名方神も軽く捻じ伏せられて逃走。大国主命には天日隅宮という立派な宮殿を与えて納得してもらい、天津神は穏便に葦原中国の支配権を手に入れるのでした。 但し、大穴持命(大国主命)の本拠地の出雲国には独自の世界観があり、『出雲国風土記』に一連のエピソードは一切記載されていません。

建御雷神が任務を終えて高天原に戻ると、いよいよ葦原中国を統治するための本隊派遣が決定。天照大御神の孫である瓊々杵尊が天津神の代表に選ばれます。天忍日命と天津久米命が先導を務め、思兼神、手力男神、天石門別神、五伴緒(天児屋命、布刀玉命、天鈿女命、石凝姥命、玉祖命)が随行。一行は竺紫の日向の高千穂のくしふるたけに天降りました。

『日本書紀』によると、瓊々杵尊が天降ったのは神日本磐余彦尊の東征開始より179万2470余年前。天孫降臨は神話における最重要エピソードに位置付けられ、天照大御神の直系の子孫である天皇が日本を治める根拠です。神話をおとぎ話と片付けるのか、実際の出来事を基にした伝説とするか、あるいは日本の歴史の一部と考えるか。それは各自の判断にお任せします。

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社殿は存在せず、後背にはどっしり構えた御鉢のシルエット。山自体が畏怖の対象だったであろう、古代の信仰を感じられます。

『日本書紀』では経津主神に葦原中国の平定が命じられ、それに不満を持った建御雷神も同行させたと記されています。起源は不詳ながら中臣氏に関係の深い常陸国(茨城県)の鹿島社、下総国(千葉県)の香取社で武神としてお祀りされるようになり、大和国(奈良県)の平城京の守護のため藤原氏により春日に勧請。山城国(京都府)の平安京に遷都した後も藤原氏に崇敬されます。

瓊々杵尊の子孫が天皇になったように、天孫降臨に随行した神々の子孫は有力氏族になりました。天児屋命は中臣鎌足に代表される中臣氏・藤原氏の祖神とされており、鎌足の息子である藤原不比等のご先祖様にも相当します。もっとも藤原氏は建御雷神と経津主神を重視したようで、天児屋命は春日大社の第三殿に鎮座しています。

「永夜抄」に登場した藤原妹紅は藤原不比等の娘と考えられ、天児屋命の末裔ということになります。訳アリで蓬莱人になった妹紅は神仏を崇めるような人物ではなさそうですけど、藤原氏の氏神様として紹介しておきました。

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0645、登山口から取り付き開始。

※高千穂峰の北西にある中岳(1332.4m)と新燃岳(1421m)は入山規制中。新燃岳噴火の影響により、高千穂峰も入山規制されていた時期があります。必ず最新の規制情報を入手し、火山の危険性を理解した上で登りましょう。

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火山灰に覆われた登山道。硫黄の臭いが漂っています。

建御名方神は出雲国に降り立った建御雷神に挑んだものの簡単に捻じ伏せられ、科野国の州羽海(信濃国の諏訪湖)に逃れました。建御雷神に命乞いをして諏訪の地から出ないことになったと伝わり、葦原中国は天津神の武力によって略奪・征服されたと解釈されます。国譲りという穏便な表現とは程遠いですね。

そんな建御名方神も諏訪の先住民族の長であった洩矢神を服従させており、共に諏訪の開拓に尽力。八坂刀売神と結ばれて子孫も繁栄し、諏訪大明神なる偉大な神様になりました。説明するまでもなく、東方では「風神録」のバックストーリーに相当する展開。建御名方神と八坂刀売神は八坂神奈子、洩矢神は洩矢諏訪子のモデルです。

2016年4月の「諏訪探訪 II」では、御柱祭の活気に満ち溢れた長野県の諏訪大社や洩矢神社、守屋山を探訪。東方だけでなく諏訪独特の信仰について詳しく紹介しています。そちらのレポもどうぞ。

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樹林帯を抜けて御鉢の北縁へ。火山灰は滑って登りにくい。

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ゴツゴツした岩場もあって険しいです。写真で見るほど斜度はないので安心してください。

御鉢

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0735、活火山の御鉢。もちろん立入禁止。南を覗くと直径約600m、深さ約200mの火口。実は、私は高所恐怖症なのでした。ぶるぶる。

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一旦、岩陰で小休止。高千穂峰が見えました。無風で穏やかな天気、雲の間から日が差しています。瓊々杵尊一行は厚い雲を押し分けて天降ったそうな。

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御鉢の北縁を通って高千穂峰へ。

このルートは鹿児島県霧島市と宮崎県小林市の境界。霧島神宮と高千穂峰の一帯は古くは日向国に属しており、高千穂峰を信仰の対象とする霧島神宮の社有地でした。明治時代に大部分が官有地として取り上げられてしまい、後に鹿児島県側の祭祀に必要な土地だけが返還されています。

さて、天孫一行が葦原中国に下る前には怪しい神が現れ、天鈿女命が誰何したところ国津神の猿田彦命であると答えました。猿田彦命は天孫を出迎え、道を照らして先導するために現れたのです。この出来事により、天鈿女命は猿女君を名乗って猿田彦命と結婚。子孫も猿女君と称し、一部は稗田氏という氏族になりました。

特に有名な人物が『古事記』の編纂に携わった稗田阿礼。飛鳥時代末期、天武天皇の命令により日本の歴史をまとめました。奈良時代初期の和銅5年(712年)、太安万侶が完成させた『古事記』を元明天皇に献上。これが日本最古の歴史書であり、同時期に完成した『日本書紀』と共に現在まで語り継がれています。

稗田阿礼が語った神話は東方の元ネタを考察する上で欠かせない要素です。「幻想郷縁起」を編纂した稗田阿求のストレートな元ネタでもあり、稗田阿礼が転生した9代目の御阿礼の子が阿求とされています。面白い設定ですね。

また、天孫を先導した猿田彦命は特異な容姿から天狗と同一視され、「文花帖」や「風神録」に登場する射命丸文の元ネタの一つです。文の種族は烏天狗ですけど、もしかしたら猿田彦命の末裔なのかもしれません。

霧島神宮元宮

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0753、御鉢から脊門丘(1408m)に下りました。

天孫降臨の際、天照大御神は瓊々杵尊に三種の神器を授けました。この神器とは、御存知の通り八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣の3点セット。古来より丁重にお祀りされ、現在でも皇位継承の証として扱われます。非常に強力なマジックアイテムであるため現物は確認できません。

石凝姥命が作った八咫鏡は岩戸開きの際に天照大御神を映し、瓊々杵尊によって天照大御神そのものとしてお祀りされました。後に、垂仁天皇の娘である倭姫命が鎮座地を求めて各地を巡り、神託により伊勢国(三重県)の五十鈴川に落ち着きました。現在に至るまで伊勢神宮内宮の御神体として奉斎され、内宮は神道祭祀の中枢になっています。

皇居でも昔から八咫鏡の形代が奉斎されていましたが、火災で原型を失い、今では灰のまま保管されているとか。玉祖命が作った八尺瓊勾玉も岩戸開きに使用されたもので、こちらは何事もなく皇居にて保管されています。多分。

草薙剣は素盞嗚尊が八岐大蛇の体内から入手した剣。姉の天照大御神に献上されて瓊々杵尊に授けられました。これも倭姫命が伊勢神宮で八咫鏡と共に奉斎していたのが、景行天皇の子である倭健命(日本武尊)に託されて東国平定で活躍。『日本書紀』の一書によると草薙剣は元々天叢雲剣と呼ばれていたとか。倭健命の死後は、尾張国(愛知県)の熱田神宮の御神体となりました。

尚、皇居にあった草薙剣の形代は平安時代末期に起きた壇ノ浦の戦いの際、安徳天皇と共に海に沈んで失われました。その後は伊勢神宮から献上された剣が正式な形代になります。霧雨魔理沙が所持していた草薙剣は当時失われたものでしょうか。

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高千穂峰を遥拝する霧島神宮元宮。欽明天皇元年(540年頃)、慶胤上人が瓊々杵尊を祀る社を創建。ここが、天孫をお祀りする霧島の社の起源であると伝わっています。

この辺りで、そろそろ「儚月抄」の話題。月の都の使者である綿月豊姫と綿月依姫の姉妹は、大綿津見神の娘、豊玉姫命と玉依姫命に因んだネーミング。明言されてませんけど、綿月姉妹は海の神様の家系のようです。既に紹介してきたように豊玉姫命と玉依姫命は日向三代の神様。ストレートな元ネタだとすれば神武天皇は豊姫の孫で依姫の子。月の民が日本の成り立ちに深く関わっていることになります。

八雲紫によると天津神は大国主命から国を略奪し、フェムト(略)注連縄で出雲の社に封印。最後まで抵抗した建御名方神も諏訪の社に封印されています。「儚月抄」が日本の神話をベースにした作品であることを踏まえると、ここで紫が指している天津神は神話と同じく天照大御神であり、八意永琳は天照大御神を補佐した思兼神に相当します。国譲り以降の展開も神話とあまり変わらないはず。

ちなみに高天原の天津神=月の都の高貴な連中ではありません。「儚月抄」における月の都は、穢れた地上から移住した月夜見一族が永琳の助けで穢れなき世界を築き、夜と月の王として君臨している設定。この月夜見は神話に殆ど登場しない三貴子の一柱、月読尊のことでしょう。太陽の象徴、天照大御神を中心とする高天原に対をなす高貴な世界として、夜と月の象徴、月読尊が君臨する月の都が存在するわけですね。

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最後の探訪ポイント、高千穂峰へ。山頂付近は鹿児島県霧島市、宮崎県小林市、西諸県郡高原町、都城市の境界が入り組んでいます。紫と豊姫がよく分からないことを何ページも喋るせいで、「儚月抄」の設定も入り組んでいるように見えます。

神話における豊玉姫命と玉依姫命は海積宮で暮らす国津神。玉兎を使役して地上を監視する綿月姉妹の設定とは異なるものの、豊玉姫命と玉依姫命がモチーフになっているのは間違いありません。大綿津見神が月に移住し、海積宮が月の都にあったと解釈すれば、一応、綿月姉妹と神武天皇の繋がりは神話に沿った形になります。綿月姉妹が月の都であまり信用されていないのは、元々国津神だったせいかもしれません。

月面戦争、天津神と国津神、竹取物語…神話をモチーフに色々なイメージを混ぜこぜにした結果、矛盾点を抱えたまま微妙な宴会ENDを迎えてしまった「儚月抄」。各所で熱心すぎる東方ファンによる考察・論争が繰り広げられ、私も連載当時から東方屈指の問題作だと思っていました。どちらかと言えば黒歴史でしょうか。

でも、無理やり神話に関連付けてツーリングを実施したり、神話の舞台を巡るレポが充実したのは「儚月抄」のおかげ。こうやってアホみたいに長い文章を書けるほど濃い内容。ゆかりん土下座で心を折られた方も多いと思いますが、色んな意味で語りがいのある作品なのでした。

高千穂峰/天逆鉾

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0820、高千穂峰山頂(1573.6m)に到着。とりあえず晴れてくれました。

瓊々杵尊は葦原中国の統治を任せられて天降ったのに、高千穂峰から見える風景に満足。立派な宮殿を築いて暮らしました。『日本書紀』によると筑紫の日向の可愛山陵に埋葬されたとあります。子孫の彦火火出見尊と鵜葺草葺不合尊も葦原中国を統治したわけではなく、天孫降臨から179万2470余年経ってから神日本磐余彦尊が東征を決意。数多くの戦いを経て大和朝廷を立ち上げました。

神様の時間感覚は分からないけど、179万年ぐらい何もせず高天原の高皇産霊尊と天照大御神に怒られなかったのでしょうか。天津神が葦原中国を統治する経緯が語られる最重要エピソードなのに、日向三代の神々は日向に留まり、曾孫の時代まで天下を治めていません。神日本磐余彦尊の活躍を強調するストーリーと思えば納得できますが……

付け加えると、九州南部には熊襲や隼人と呼ばれる先住民族が存在。隼人は火遠理命(彦火火出見尊)に服従した火照命(火闌降命)の子孫とされ、大和朝廷に服従し平安時代まで精強な兵士として利用されました。神日本磐余彦尊の東征の主力部隊だったと想像することもできますが、奈良時代まで度々反乱を起こし、鎮圧されています。

神日本磐余彦が日向を出発した頃の熊襲については不明。第12代の景行天皇は荒ぶる熊襲・土蜘蛛を討伐するため九州に遠征しています。子の小碓命も九州に派遣され、熊襲の首領である熊襲建(川上梟帥)を抹殺。その勇猛さを讃えられて倭健命(日本武尊)と称するようになりました。

2018年12月の「九州探訪 III」では、瓊々杵尊の陵墓に創建されたと伝わる鹿児島県の新田神社(p.1)。小碓命が熊襲建を抹殺した現場と伝わる熊襲の穴を訪れました(p.6)。熊襲建の住処は瓊々杵尊が天降った高千穂峰の西。意外と近いです。

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山頂に突き立てられた青銅製の天逆鉾。昨日訪れた霧島東神社の社宝となります。

伊弉諾尊と伊弉冉尊は天沼矛を持って天浮橋に立ち、混沌とした大地をかき混ぜて淤能碁呂島を生み出しました。二柱は淤能碁呂島に降り立って結婚し、大八島が生まれます。これが国産みの伝説であり、後に天津神が統治する葦原中国、すなわち日本列島の起源とされています。

高千穂峰の天逆鉾の解釈については諸説あり、伊弉諾尊と伊弉冉尊が国産みに用いた天沼矛という説や、天孫降臨の際に瓊々杵尊が天照大御神から授かった鉾とする説も。神仏習合の時代には多様な解釈が生まれ、信仰の対象となりました。

天逆鉾がいつ頃から山頂にあるのか定かではありません。霧島の修験者が神話に倣って設置したと考えられ、少なくとも江戸時代には存在が知られていたらしい。坂本龍馬が新婚旅行の際に引き抜いたエピソードも有名です。

尚、昔からあったオリジナルの天逆鉾は噴火で破損した後、色々あって行方不明に。この天逆鉾はレプリカとなります。国産みに用いた本物の天沼矛には現存説があり、伊勢神宮にあるとかないとか。実に興味深いです。

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鉾というより呪術的なデザイン。坂本龍馬は天狗面のようだと評しました。

ちょっと話は変わりますが…遥か昔、太平洋に存在したプレートがユーラシアプレートに衝突。日本列島を形成して沈み、その名残が現在の中央構造線になります。伊弉諾尊と伊弉冉尊の国産みに因んでイザナギプレートと命名。神話を意識したネーミングはロマンがあっていいですね。

「伊弉諾物質」では、イザナギプレートから人工物が発見。マエリベリー・ハーンは、それが本物の伊弉諾物質であると確信します。高千穂峰の山頂に突き立てられた天逆鉾のビジョンを見た蓮メリは、天手力男命が投げ飛ばした天岩戸も伊弉諾物質だと決めつけ、神代の風景を求めて高千穂&戸隠の探訪に出かけます。

具体的に言及されているわけではありませんが、プレートから見つかった人工物は八尺瓊勾玉だったりして。いや、伊弉諾物質というぐらいだから伊弉諾尊の勾玉かな。

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今日も空気が霞み、眺望は得られません。私以外の登山者は0名。カメムシが大量発生中。

文章を書く気力が尽きながらラストエピソード。日向に天降った瓊々杵尊は、笠沙の御前で木花咲耶姫命に出会って結婚。そこから神武東征に至る経緯は10日目(p.6)に書きました。笠沙の御前とは、薩摩国(鹿児島県)の野間半島にある野間岬に相当します。『日本書紀』では木花咲耶姫を鹿葦津姫または神吾田津姫とも記しており、『薩摩国風土記』では閼駝郡の竹屋守の娘を娶ったとあります。

木花咲耶姫命は山の神様である大山祇神の娘。自ら火を放った産屋の中で三柱の子を産んだことから、いつしか火を鎮める水の神様として信仰されるようになりました。後に垂仁天皇が富士山の噴火を鎮めるため奉斎した浅間大神と習合。富士山麓の駿河国(静岡県)と甲斐国(山梨県)に点在する浅間神社では、主祭神としてお祀りされています。

「儚月抄」にも、富士山の噴火を鎮める女神として木花咲耶姫命が登場。モチーフというより富士山に鎮座する木花咲耶姫命本人だと思います。上白沢慧音によると大変美しい半面、性格には難がある神様らしい。その昔、富士山よりも甲斐国・信濃国の八ヶ岳が高いことに激怒。八ヶ岳を粉砕して低く醜い山にしてしまったそうです。

姉の石長姫命はすっかり嫌気が差して八ヶ岳に移住。不変の象徴であった石長姫命が去ったことで富士山は力を失い、逆に、八ヶ岳は粉砕される前の火山としての姿と力を取り戻しました。幻想郷の霊山、妖怪の山とは石長姫命が暮らす八ヶ岳のことだとか。

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高千穂山頂小屋から東の眺望。二子石の1321mのピークの向こうに御池が見えます。空気が澄んでいれば九州南部一帯が見渡せるらしい。

『竹取物語』をベースとする「儚月抄」のエピソードでは、月の姫、蓬莱山輝夜が残した壺の処分地に富士山が選ばれます。勅命を受けた岩笠と兵士達は壺を担いで富士山頂を目指し、輝夜に家族の人生を狂わされて個人的な恨みを抱く藤原妹紅も、復讐のために壺を奪取しようと後を追って登山します。

壺の中身は不老不死の薬(蓬莱の薬)であり、岩笠は火口に投げ込んで焼却処分するつもりでした。しかし富士山の噴火を鎮める女神、木花咲耶姫命が現れ、不老不死の薬は自分の手に負えないと言って岩笠一行を妨害。兵士達を惨殺し、姉が暮らす八ヶ岳で処分するよう提案します。

八ヶ岳に向かうため、壺を担いで富士山を下る岩笠。勝手に着いてきた妹紅は壺を奪うという目的を思い出します。木花咲耶姫に明かされた不老不死をもたらす力への誘惑もあり、岩笠を蹴り落として始末すると壺を奪って蓬莱の薬を服用。不老不死の蓬莱人になって死ぬほど後悔するのでした。

富士山で起きたショッキングな出来事は1300年ぐらい前。『竹取物語』の設定と同じく、飛鳥時代末期~奈良時代初期のお話と推測されます。平安時代ではないので念のため。

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0840、下山開始。登りと同じルートで下ります。

上述したように富士山の女神となった木花咲耶姫命は、「儚月抄」では妹紅が蓬莱人になる原因を作ったと語られています。が、よく考えると輝夜を恨んだ妹紅が壺を奪って逆恨みしてるだけ。木花咲耶姫命のおかげで破滅的な噴火が阻止されたのです。

神話において木花咲耶姫命は純真な女神として描写され、慧音が言うような性格が悪いなどという記述は全くありません。どちらかというと石長姫命を突き返して子孫の寿命を縮めたり、木花咲耶姫命の貞操を疑ったりする天津神のほうが酷いです。

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再び脊門丘を通過。

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御鉢の北縁を戻ります。これは鹿の足跡かな?

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高千穂河原から続々やってくる登山者達。下界にビジターセンターが見えました。

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険しい岩場を下って樹林帯へ。

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高千穂河原に戻り、高千穂峰の攻略完了。現在の時刻は1005。歩行距離は約4.5kmでした。これにて「東方巡遊記 九州編」完。いや、まだ終わってないか……

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登山からサイクルツーリング装備に変換。1100、休憩を終えて出発します。

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まずはR480を急降下。激しい下りです。

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R223に乗って南の国分方面に向かいます。今更、小林や都城経由で宮崎に戻りたくない。

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1130、道の駅「霧島」。霧島神話の里公園として整備されています。しつこく下らない質問を浴びせてくる観光客を無視して一休み。高千穂峰は雲の中へ…危ないタイミングでした。

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しばらく高原を抜ける快走ルート。緩やかなアップダウンです。

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1215、R223沿いにある丸尾滝。探訪ポイント以外は殆ど観光してません。

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京都からやってきたライダー2名と記念撮影。サイクリスト、ライダー、バックパッカーのような旅人を見かけると、とりあえず声をかけて旅の情報を交換するのが私の習性です。同じ種族に遭遇した喜び、とでも言えばいいでしょうか。

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霧島温泉郷から国分方面へ。

敢えて書いておくと、旅人の中には社会を捨ててしまった者が混じっています。もはや言葉が通じない世捨て人もいたりして怖くなってくるレベル。風貌で分かりますから、見かけても関わらないのが得策です。あと、旅人を狙うホ○や盗人とかも実在してます。マジで気を付けましょう。

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天降川沿いのR223を道なりに下ります。いかにも天孫降臨に由来する川ですね。

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1355、隼人のローソンで休憩&昼食タイム。

ここは大隅国。先住民族の隼人が暮らした地です。当地には彦火火出見尊の高千穂宮があったとも伝わっており、神武天皇御代(紀元前660~582年頃)の創建とされる鹿児島神宮があります。今回は見落として寄り道せず。九州探訪 III」(p.4)で補完しました。

早朝から高千穂峰に登り、一気に下ったせいか鼻血が出ました。サイクルコンピュータを見ると、またしても走行距離の計測が不調。アタッチメントが外れやすいし、反応も鈍いし、困ったものです。

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1435、出発。R10に乗り換えて垂水方面へ。鹿児島市街まで伸ばしても寝場所はありません。今日は桜島の手前にある道の駅でストップします。

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R60で国分市街に寄り道。この辺りでは一番大きい街らしい。

国分

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1522、JR日豊本線の国分駅。

平成17年(2005年)…はい、また合併の話題です。国分市が姶良郡の霧島町など6町と合併して霧島市が誕生。霧島市役所は国分市街に置かれており、駅名は国分駅のまま。一口に霧島と言っても広すぎるので、ここは国分市街と呼ぶのが普通。個人的には、「霧島」は霧島神宮周辺のことだと思います。

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国分市街を出てR10からR220に乗り継ぎ。交通量が多く、狭くて走りにくい。

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亀割峠(58.8m)を越え、鹿児島湾(錦江湾)を眺めつつ垂水方面へ。いつの間にか曇り空に。雨が降りそう。

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1645、垂水市に入りました。噴煙を上げる桜島が南西にうっすらと見えます。火山を下ってまた火山。九州は火山だらけです。

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路肩に火山灰が溜まっていました。火山灰の恐ろしさを実感するのは明日の話。

牛根麓

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1735、道の駅「たるみず」に到着。本日の走行距離は約81kmとなりました。

ここは幹線道路に面しており、車の出入りが多そうな雰囲気。早速、車で旅をしている変なオッサンに絡まれ、「君たち競輪選手が頑張って自転車の地位を向上してだな……」みたいな妄想を語られたので適当に聞き流しておきました。スポーツサイクル=競輪・ロードレースではありません。勝手なイメージで偉そうに語るなよ。

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情報提供室で天気をチェックして今後のルートを検討。

これから天気が崩れ、明日の垂水・鹿児島周辺は雨の予報。霧島市では雨が強くなり、既に一部の地域では警報が出ていました。霧島六社権現と高千穂峰で晴天に恵まれたのは奇跡と言えるでしょう。後は鵜戸神宮・青島神社・宮崎神宮の天気に期待したいところ。

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暗くなったので夕食を作っていると、岩手県の花巻からやってきたプレスカブの旅人(H氏)に出会いました。とても気の合う方で、語り合っているうちに雨が降り出して22時前。軒下にインナーテントを並べ、夜遅くまで旅の苦労を分かち合うのでした。

2330、旅の終わりを感じながら就寝。
12日目に続きます。

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