東方巡遊記

九州ツーリング I

目次

01
プロローグ
02
神戸港~新門司港~宇佐神宮~院内
03
院内~宇佐~別府~由布~大分~清川
04
清川~尾平越~天岩戸神社~高千穂神社~高千穂峡~延岡~日向~美々津
05
美々津宮崎高岡小林霧島岑神社/夷守神社東霧島神社小林
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エピローグ

2014年9月9日(火) 8日目

青空と断線。

※当サイトの内容を過信して発生したトラブルには一切の責任を負いかねます。必ず注意事項に目を通してからレポをお楽しみくださいますよう、強くお願いします。サイト内に掲載している写真・文章等のコンテンツは、形態を問わず転載厳禁。野宿要素が大変多く含まれているので、苦手な方はお引き取りください。

美々津

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0500に起床するも二度寝、0545起床…九州に上陸してから、もう1週間経ちました。

現在地は日向国/宮崎県日向市、美々津の「石並川キャンプ場」。いつも通り、朝食と洗面を済ませてテントを撤収。1週間を過ぎるとパッキングが雑になりがち。

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0655、出発。まずはR10に復帰します。

次の探訪ポイントは霧島六社権現と高千穂峰です。本日はR10で南の宮崎へ下り、R268に乗り換え内陸部へ。天気は快晴。ノンストップで飛ばしたら小林まで行けるかも。

1週間走ったからといって休むわけではなく、毎日走るのが基本。休日は設けず、雨が続いても同じところに停滞することはありません。そもそも長旅では曜日や日数の感覚すら無くなってしまうので、ただ毎日走っている、と言ったほうが正しいです。

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美々津市街を抜けると児湯郡都農町。R10は広い幹線道路で、面白味のないルートです。R310に乗り換えてJR日豊本線の都農駅に寄り道。しばらくR302を快走します。

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ずっと平坦ではなく、軽いアップダウン。これぐらいのルートがちょうど走りやすい。

宮崎県は縦長で東部が海に面しており、九州では一番南国っぽい雰囲気を醸し出しています。『日本書紀』によると景行天皇が九州遠征の際に子湯県を訪れ、この国の地形が日の出に向かっているから日向と命名したそうな。子湯県とは後の児湯郡のこと。『日向国風土記』にも記載されています。

古代には九州南部の地域を日向と称したようで、飛鳥時代末期、律令制の成立に伴って日向国が誕生。大宝2年(702年)に唱更国、和銅6年(713年)に大隅国が独立。唱更国は薩摩国に改められ、長らく西の薩摩国、東の大隅国、北の日向国という行政区分が用いられました。

明治時代には歴史的な行政区分が一新。西南戦争の混乱を経て、日向国に相当する宮崎県、薩摩国と大隅国を統合した鹿児島県に落ち着きました。宮崎は日向国宮崎郡に由来しています。

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川南町から高鍋町に入り、高鍋市街の手前でR10に合流。上空ではF-15が訓練中…近くに空自の新田原(にゅうたばる)基地があります。変わった読みで知られる新田原の地名は古くからあるらしい。私は長い間、米軍の通称だと思っていました。

新富町に入って歩道を走っていると、脇道から飛び出してきた老人の軽自動車に接触して転倒。一時停止線を無視、よそ見しながら飛び出す危険な運転です。サイドバッグが緩衝材になり、自転車も私も無傷で済みました。

以前も三重県四日市市で同じようなことがあったので、怪しい脇道では必ず減速し、車を確認するよう心掛けています。おかげで激突は回避できましたが、運が良かっただけに過ぎません。私以外の歩行者や自転車なら死亡事故になっていた可能性もあります。

呆然としているドライバーに散々説教するも、状況が理解できない様子。こんな奴に何を言っても無駄なので先に進みます。本当に腹立たしい。

宮崎

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1000、日向大橋で一ツ瀬川を渡り宮崎市へ。早速、乱暴なドライバーにクラクションを鳴らされました。

歩道を走る際に歩行者優先なのは当然として、私は車道でもドライバー優先で安全運転を心掛けています。しかし、自転車の存在に気付かず突っ込んでくる不注意なドライバーや、自転車に対して乱暴な運転をやってのける悪質なドライバーに遭遇すると、安全第一のツーリングを追求しているのが馬鹿馬鹿しくなってきます。

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R10を道なりに進むと一ツ葉有料道路に接続。宮崎市街へ抜けるバイパスとして整備され、自転車も歩道に限り通行できるようです。

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料金箱に10円を入れて宮崎市街へ。ヤシの木が南国感を盛り上げてくれます。

日本の道路事情は本当に酷いもので、幹線道路が突然自動車用のバイパスに切り替わり、自転車は分かりにくい地道を迂回させられることがあります。こうやって歩道を通行できるバイパスは非常に優れた設計だと思います。

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青空が広がり、南国っぽい快走ルート。海側には防風林があって海は見えません。

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1055、一ツ葉パーキングエリアにピットイン。青い空に青い海。日向灘を眺めてゆっくり休憩。地元のおじさんによると台風の影響で波が強いらしい。

道路の西側はシーガイアというリゾート施設になっており、シェラトン・グランデ・オーシャンリゾートなる高級ホテルもあります。高さは154m、宮崎どころか九州で最も高い高層建築物なんだって。まあ、私には縁の無いところです。

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1125、パーキングエリアを出発して宮崎市街を目指します。高架下の日陰では、猫ちゃん達が昼寝中。よく見ると黒猫がこちらの様子を伺ってました。邪魔しないように通りましょう。

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有料道路を離れて宮崎市街の北へ。そろそろ昼休憩タイムです。

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1200、ローソンで休憩&昼食。強い日差しで、焦げるような暑さです。気温は…これでも30℃程度だったと思う。

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R10に復帰、R25でJR宮崎駅へ。

ヤシの木が立ち並び、南国ムードが溢れる街。県木のカナリーヤシはフェニックスとも呼ばれており、宮崎にはフェニックスの名を冠した施設が沢山あります。藤原妹紅とは関係ないので念のため。

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1310、JR日豊本線の宮崎駅。ここまで約63.9km。工事中の足場かと思ったら、こういうデザインでした。あまりの暑さに水分をどんどん消費しています。

上陸初日から雨天が続いて中々距離が伸びず、暗い空の下をうんざりしながら走っていた今回の旅。九州らしい雰囲気になり、やっとモチベーションがUP。この勢いで高千穂峰まで飛ばしますよ!

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その前に、駅前で今後のルートを検討。九州南部には神話に関連した社が色々あって、どんなプランやルートで走るべきか悩みます。

現在のプランとしては…R10とR268を乗り継いで小林に向かい霧島六社権現を探訪。小林からR223で高千穂河原に回り込んで高千穂峰へ登山。天孫降臨の伝説を辿るルートは一応確定しています。

以降は、えびの又は小林に抜けて宮崎にリターン。宮崎神宮・青島神社・鵜戸神宮を経て日南海岸を走り、日向三代と神武東征の伝説を辿って海沿いに鹿児島方面へ。あと1週間、この天気が続かなければカットするかもしれません。

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1325、宮崎駅を出発。R10で市街地を抜けて西の内陸部に入っていく、ありがちなルート設定。これが一番分かりやすい。

高岡

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1415、道の駅「高岡」にて小休止。ここまで約74.2km。ペースは快調です。

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1435、出発。高岡市街の北を通り、R268に乗り継いで小林方面へ。えびのまで伸ばすのは、ちょっと遠すぎますね~

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……R268に入り、梁瀬隧道内で事案発生。右側のSTIレバー内部で変速ケーブルが切れ、リアディレイラーが使用不能になってしまいました。

私のマシンはSTIレバーで変速する仕様。STIのケーブルはフロントバッグと干渉するため、変速バナナを差し込んでケーブルを曲げています。しかしレバーの根本で無理に曲げていることから、変速を繰り返すうちにケーブルが摩耗して破断に至ったと推測。昨年オーバーホールを実施した際、ケーブルの摩耗はノーチェック。こうなった以上、ケーブルを交換しなければ行程続行は不可能です。

せっかく順調な行程だったのに、なんでこうなるの……

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ひとまず高岡市街に下ります。この町で自転車屋を探し、無ければ重いギアを漕いで宮崎へ。最悪の場合、宮崎港からフェリーで撤収となるでしょう。

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運良く自転車屋を発見。オーナーのお兄さんに事情を説明して、変速ケーブルの交換作業に取りかかります。

厄介なことにケーブルはレバー根本で捩じ切れており、内部ユニットの中にタイコと端末が入り込んでいました。行きつけの自転車屋のオーナーにも電話で助言を求め、レバーを操作してスキマを開きながらプライヤーで摘出完了。

後はケーブルを入れてディレイラーを調整。紛失してしまった変速バナナも新調してもらいました。断線の原因とは言え、これが無いとフロントバッグが使えません。突然のトラブルに対応していただいて、本当にありがとうございました。

全ての作業が終わり、一息ついて出発。時刻は1840、これからの行程を大切に走ります。

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セブンイレブンで夕食の後、夜間走行の準備。R10を引き返し、道の駅に戻りましょう。

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1940、道の駅「高岡」に到着。本日の走行距離は約96.5km。午後の出来事で一気に疲れてしまいました。さっさとシュラフを設置して寝させてもらいます。

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安心も束の間、ここには大量のGが生息していることが発覚。こんなところで寝られませんから、空き地に退避してテント設営。何もかも適当に済ませてシュラフに倒れ込むのでした。

2145、ようやく就寝。今日は本当に疲れました。

2014年9月10日(水) 9日目

霧島への入口。

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0500起床。テントを撤収して速やかに出発準備。新しい一日が始まります。

序盤の雨の頃は蒸し暑い夜だったのに、最近は夜中から朝方にかけてよく冷えます。天気は引き続き快晴。日中は暑くなるでしょう。

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0625、出発。R10で高岡市街の北を抜けて小林方面へ。本日は小林を起点に霧島六社権現の探訪です。

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R268に乗り継ぎ。狭くて交通量が多く、アップダウンもあります。このルートは走りにくい。帰りは南を迂回したほうがいいですね。

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いつの間にか小林市に入って野尻市街。0830、道の駅「ゆ~ぱるのじり」で休憩タイム。ん?勇パル……!?

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昨日のケーブル交換は突貫作業だったので、細部に異常が残っていないかチェックしておきます。ギアやディレイラーが路面の塵で汚れるのはいつものこと。0930、点検を終えて出発します。

小林

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R268を道なりに進み、小林市街に入りました。雲が多くなってきたけど大丈夫でしょうか?

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1022、JR吉都線の小林駅。ここまで約41km。南西に、うっすらと霧島連山が見えます。

霧島地図 
高千穂峰地形図 
こちらが霧島連山周辺の地図。霧島連山とは、韓国岳(1700.1m)を最高峰とする火山群の総称。南には天孫降臨の地とされる高千穂峰(1573.6m)と高千穂河原。北麓~東麓~南麓にかけて霧島六社権現の社が点在します。

※国土地理院の「地理院地図(新版)」から抜粋して掲載。「カシミール3D」で出力し、ポイントを追記しています。

急峻な地形の活火山から構成される霧島連山。古代には火山そのものが信仰の対象であったと考えられています。火常峰(御鉢)と高千穂峰の間には脊門丘という鞍部(1408m)があり、日本に仏教が伝来して間もない 欽明天皇元年(540年頃)に、僧侶であった慶胤上人が当地に天降った瓊々杵尊を奉斎。これが天孫をお祀りする霧島の社の起源であり、霧島神宮元宮となります。

時は流れて平安時代。当地で修行していた性空上人は、一帯の六社を修験道の拠点として整備し、霧島六社権現を確立。度重なる噴火で焼失・移転を繰り返しながらも一大霊場として発展。それぞれ別当寺が置かれ、長らく神仏習合の社寺として栄えました。明治時代の神仏分離・廃仏毀釈の影響を受け、現在の霧島六社権現に仏教要素は残っていません。

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小林駅を起点に霧島の社を巡ります。例によって「Googleマップ」から作成した乗換地図を駆使。レポ執筆が前提なので出来る限りスムーズに進行したい。
(詳細はナビゲーションのページを参照)

北東麓の霧島岑神社・夷守神社、東麓の狭野神社・霧島東神社・東霧島神社、南西麓の霧島神宮によって構成される霧島六社権現。夷守神社は霧島岑神社に合祀され、現在では五社となります。

古くは日向国諸県郡に属しており、『続日本後紀』には諸県郡の霧嶋岑神と記載されています。『延喜式神名帳』には霧島神社とあり、おそらく霧島岑神社に相当。位置的に霧島岑神社→東霧島神社→狭野神社→霧島東神社→霧島神宮のルートで巡ることにしました。

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まずはR104に乗って霧島岑神社に向かいます。

右手に見えるのは夷守岳(1344.1m)と1327mのピーク。『日本書紀』によると景行天皇が九州に遠征した際、夷守で諸県君泉媛が天皇を出迎えたとあります。空気が霞んでおり、高千穂峰は見えません。

霧島岑神社/夷守神社

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1100、霧島岑神社。ここまで約45.4km。今日中に全て回れるとは思っていないので。

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自転車を置いて境内へ。参道入口には神仏習合の名残である素朴な仁王像。明治の神仏分離で大部分が破壊されてしまい、こうして残っているものは珍しい。貴重な文化財です。

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石畳の参道を歩きます。

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静かで良い雰囲気。

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拝殿にて参拝。祭神は瓊々杵尊と木花咲耶姫命、彦穂々出見尊と豊玉姫命、鵜葺草葺不合尊と玉依姫命。日向三代の夫婦神、六座をお祀りすることから霧島六所権現とも称します。

創建年代は不詳。『続日本後紀』によると平安時代初期、仁明天皇御代の承和4年(837年)に諸県郡の霧嶋岑神が官社に指定。古くは霧島岑神社が霧島六社権現の中心となる社だったようです。

霧島中央権現と称し、別当寺として瀬多尾寺が置かれましたが、霧島連山の噴火で何度も焼失・移転。明治時代には夷守岳北東麓の現在地に遷座しました。その際、元々鎮座していた夷守神社(雛守権現:宝光院)を合祀しています。

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境内を出ると、次に向かうのは東霧島神社。アップダウンのあるR405で西諸県郡高原町を抜けて高崎方面へ。R221に乗り換えて都城市に入ります。

各社は離れており、鉄道とバスを乗り継いで徒歩で巡るのは大変。こんな時に活躍するのが自転車というわけです。車?知らん。

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高崎市街でR42に乗り換え。事前に位置とルートを調べないと見つからないと思う。

東霧島神社

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1325、東霧島神社。ここまで約73.1kmでした。宮崎ナンバーの車が沢山。地元では有名な社のようです。

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孝昭天皇御代(紀元前475~393年頃)の創建と伝わり、平安時代の応和3年(963年)には性空上人が噴火で焼失した社を再興。東霧島権現と称し、別当寺として勅詔院が置かれました。勅詔院は残っておらず、梵鐘が保存されています。

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参道へ。

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龍王神水と、伊弉諾尊が真っ二つに斬ったという神石。あ…割れてる角度から撮ってなかった。

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東霧島神社は長尾山(431m)の南のピーク(328m)の東麓に位置。その昔、鬼が一夜にして積み上げたと伝わる石段で本殿まで登ります。

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なかなか険しい登りです。

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まもなく神門。

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神門をくぐり、拝殿にて参拝。主祭神は伊弉諾尊。相殿に伊弉册尊、神日本磐余彦尊、瓊々杵尊と木花開耶姫命、彦火々出見尊と豊玉姫命、葺不合尊と玉依姫命、狭野尊をお祀りしています。

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神門を振り返ると龍神。樹齢400年の立派な大杉です。帰りは緩いスロープの裏参道から下りますよ。

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拝殿から下り、自転車に戻って一休み。

ルートマップによると西臼杵郡高千穂町~西諸県郡高原町まで、日向国を縦断する「ひむか神話街道」として整備されている模様。今回のツーリングでコンプリートするのは無理っぽい。補完プランも考えておきましょう。

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1515、出発。小林市街に戻ります。北西に高千穂峰が見えました。

小林

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17時頃、小林市街に戻ってきました。今日は昼前からノンストップ。ローソンで休憩&夕食です。寝場所は見つからず、かといって野尻に戻るのは無駄だから却下。

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で、駅前の「今村旅館」にIN。1週間以上走ったのだから贅沢させてもらいます。本日の走行距離は約97.6km。やっぱり100kmを超えられなかった。

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自転車からバッグを下ろして装備を一通り点検。久々にシャワーに浴びて体を洗い、ずっと着たままの服も洗濯します。カメラを充電しつつ、行程をまとめて今後のプランを具体的に検討。

冷房の効いた部屋でゴロゴロするのは本当に久しぶり。まだ行程は残っているのに折り返しみたいな雰囲気です。探訪を終えたら、適当なところで切り上げましょうか。

九州略地図 
新門司港に上陸したのは9月3日のこと。8日間で約653.6km走り、小林まで南下してきました。九州東部を縦断したにも関わらず、実感はありません。

明日も引き続き霧島六社権現の探訪。R223で狭野神社、霧島東神社、霧島神宮を巡り高千穂河原へ。明後日は高千穂峰に登り、鹿児島方面へ下ることに決定。以降、日南海岸を走って宮崎港からフェリーで帰ります。

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やることを全て終え、あとは寝るだけ。21時過ぎ、当てにならない天気予報をチェックして就寝。
10日目に続きます。

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