東方巡遊記

九州探訪 III

目次

01
川内駅~新田神社/可愛山陵~霧島神宮駅~霧島神宮~高千穂河原
02
高千穂河原~霧島神宮古宮址~御鉢~霧島神宮元宮~高千穂峰/天逆鉾~高千穂河原
03
高千穂河原~霧島神宮~鎮守神社/若宮神社/御手洗川~華林寺跡/両度川~千滝~亀石坂
04
霧島神宮~国分駅~隼人駅~鹿児島神宮~卑弥呼/卑弥弓呼神社~石體神社~宮内の田の神
05
~隼人塚~隼人駅~嘉例川駅~鹿児島空港~高屋山上陵~嘉例川駅
06
嘉例川駅安楽温泉犬飼滝和氣神社熊襲の穴妙見温泉国分駅鹿児島中央駅

2019年1月1日(火) 4日目

旅の終わり。

※当サイトの内容を過信して発生したトラブルには一切の責任を負いかねます。必ず注意事項に目を通してからレポをお楽しみくださいますよう、強くお願いします。サイト内に掲載している写真・文章等のコンテンツは、形態を問わず転載厳禁。野宿要素が大変多く含まれているので、苦手な方はお引き取りください。

嘉例川駅

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0500起床。新年を迎えました。本日は2019年1月1日、元日です。

現在地は鹿児島県霧島市の「嘉例川駅前公園」。シュラフを撤収したらJR肥薩線の嘉例川駅に入ります。気温は6℃で4シーズンの装備がピッタリな温度域。あっという間に4日目。今日が最終日です。

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駅舎内で旅人に遭遇。岩手出身で東京在住の若い旅人でした。

鉄道と徒歩で鹿児島をぶらぶらしており、昨晩の最終便でやってきて野宿していたとか。歩くことと野宿が大好きでデジタル機器に疎かったり、自分と共通点が多すぎて意気投合してしまいました。これほど生態が似ている種族は珍しい。

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朝食を済ませてパッキングしながら語り合い、新進気鋭の旅人は0615発の吉松行きで人吉方面へ。

旅人との一期一会の交流は本当に楽しいもので、語り合った時間は一生の思い出になります。私も、そろそろ出発しましょうか。

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0635、予定より35分遅れて出発。R56に乗って嘉例川を渡ります。

和氣神社地図 
嘉例川駅から和氣神社に至る地図。R56~R223~R470を乗り継いで和氣神社へ。熊襲の穴も探訪し、事後はバスで国分に下ります。距離は10kmぐらい。徒歩行程はオススメしません。

※国土地理院の「地理院地図(新版)」から抜粋。「カシミール3D」で出力し、ポイントを追記しています。

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嘉例川トンネルを抜けて新川渓谷に下ります。

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0702、天降川沿いのR223に合流。左折するとR223の一本道で北東の霧島神宮へ。右折しても和氣神社を経由して霧島神宮に繋がります。初詣に向かうらしい車が嘉例川方面から続々やってきました。

もちろん私は自力で目的地に辿り着かなければなりません。「徒歩の旅をやっている自分は特別な存在なのだ」という謎の優越感に浸ってしまう意味不明さ。先程の旅人も同感だそうで。

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新川渓谷を流れる天降川。いかにも天孫降臨に由来するネーミング。実際には霧島連山の西に位置する国見岳(648.7m)が水源で、国分・隼人市街の手前で霧島川と合流して鹿児島湾に注ぎます。

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R223を進みます。一帯には霧島連山から温泉が湧いており、かつて賑わったと思われる温泉旅館が点在します。どう見ても寂れていて、一部は廃墟になっていました。

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天気は曇り。黙々と車道を歩きます。

2014年9月の「九州ツーリング I」(p.7)でも走っているのに、霧島神宮と高千穂峰を訪れた達成感のおかげで記憶無し。午前中に高千穂峰登山、午後から国分方面に下るという、ツーリングにありがちなノンストップの行程でした。

安楽温泉

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0740、安楽温泉郷に入りました。

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さて、安楽温泉から和氣神社にショートカットするつもりが……

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残念ながら工事中につき全面通行止。R470で大きく迂回してアクセスします。

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安楽温泉の先でR223からR470に左折。直進すると妙見温泉。後で向かいますよ。

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R470を上ります。右手には妙見温泉と九州電力の妙見発電所。

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ひたすら車道を歩きます。国分行きのバスに間に合わない予感。

犬飼滝

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0820、犬飼滝滝見台の駐車場。ノンストップで歩いてきたので小休止とします。高千穂峰以外、つまらない車道歩きばかりでした。

自転車の場合は酷道でもない限り効率よく回れますが、移動の行程がメインで探訪の割合は僅かしかありません。また、装備重量を気にせず適当にパッキングできる反面、デリケートな一眼やフィルムを携行するのは厳しい。その分、走りを楽しむプランを設定できます。

徒歩の場合は移動を鉄道やバスに頼り、アクセスが限られる一方で探訪に集中できます。カメラの携行を前提に結構シビアにパッキングするため、今回のプランのように補完写真を撮影する旅にはピッタリ。但し、あまりにも長い距離を歩くのは苦行です。

どちらのスタイルも一長一短。10年も旅を続けて体力・気力・装備は完全充足し、程よく使い分けてレポを充実させようと思っています。とにかく、自分の足で道を進むことに意味があります。趣味というよりライフワークなのかもしれません。

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霧島連山を水源とする中津川の犬飼滝。下流の妙見温泉で天降川に合流し、鹿児島湾に注ぎます。

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各所に設置されている龍馬ハネムーンロードの案内板。坂本龍馬が新婚旅行で薩摩国を訪れた際、犬飼滝を絶賛したそうです。

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私も犬飼滝を絶賛してみたくなり、ザックを残置して遊歩道へ下ります。

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駐車場から滝壺まで片道15分。流石にフル装備で登り返すのは辛いです。

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滝壺付近まで下りました。曇りがちな天気のおかげで、霧が立ち込めて幻想的な景色に。

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ネガフィルムで撮影。やはりフィルムの写りは素晴らしい。コンデジより遙かに写真っぽいですね。

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0850、駐車場に戻ってザックを回収。ここから和氣神社に向かいます。

和氣神社

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和気公園を抜けて和氣神社へ。ローカルテレビ局、KTSが来ています。

右手に展示されているのは和気清麻呂の大絵馬。和気公園では毎年4月~5月に藤まつりが開催。清麻呂の出身地である岡山県和気郡和気町(備前国藤野郡)から藤が贈られました。

和気町は、その名の通り和気氏の本拠地。垂仁天皇の子である鐸石別命が和気氏の祖と伝わります。和気町の和気神社では鐸石別命を主祭神として、子孫の清麻呂もお祀りされています。

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0905、参道へ。初詣客が押し寄せるわけでもなく、地元の人達に親しまれる社のようです。

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和氣神社の祭神は和気清麻呂公命。神号が護王大明神、神徳に皇統護持とあるように、陰謀から皇統を守った偉人として顕彰されています。

『続日本紀』によると奈良時代の神護景雲3年(769年)。女帝の称徳天皇は僧侶の道鏡と怪しい関係にありました。天皇は仏教重視の政治を行い、道鏡に権力を与えて法王なる地位に任命。遂には道鏡を天皇に即位させようとする偽の八幡大神の託宣が出回ります。神意を確認するため近衛将監の和気清麻呂が宇佐神宮に派遣されると、八幡大神が現れて無道の人(道鏡)を排除するようにと託宣します。

当時、豊前国(大分県)の宇佐神宮は朝廷に重視されており、聖武天皇御代の天平勝宝元年(749年)には、祭神である八幡大神が東大寺の大仏造営を助けるため大和国(奈良県)の平城宮を訪れるなど、神託により朝廷を助けたエピソードがいくつも残っています。「九州ツーリング I」(p.2)の宇佐神宮でも書いたように、道鏡の陰謀に八幡大神が利用された事件にはそのような背景があったのです。

さて、真の託宣を奏上された称徳天皇は何故か激怒。清麻呂を別部穢麻呂に改名させる陰険極まりない処分を下し、大隅国(鹿児島県)へ配流。途上では激怒した道鏡にも暗殺されかけます。しかし称徳天皇は翌年に崩御し、権力を失った道鏡は下野国(栃木県)に追放。清麻呂は朝廷に呼び戻され、桓武天皇御代には様々な事業で活躍しました。皇統を守った功績により、後世には「護王大明神」の神号を贈られています。

『日本後紀』によると清麻呂は平安時代初期、桓武天皇御代の延暦18年(799年)に薨去とあります。清麻呂の経歴や神託事件についても詳しく記載されており、国家の存亡に関わる事件だったと認識されていたことが分かります。編纂者の藤原緒嗣が無能役人を痛切に批判する記事が多い中で、清麻呂は非常に高く評価され、偉人と見なされていました。

時系列は不明ながら、足が不自由になった清麻呂が宇佐神宮へ参拝する際、300頭ほどの野猪が清麻呂を先導して山中に消えていき、参拝後は歩けるようになったという伝説も同記事中に記載されています。この伝説により、和氣神社では猪が神使になっているのでした。

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時は流れて江戸時代末期。薩摩藩主の島津斉彬は公卿の近衛忠煕と三条実美に依頼され、八田知紀に命じて大隅国桑原郡にて清麻呂の遺跡を調査させました。調査の結果、配流された清麻呂は稲積の里で暮らしていたことが分かり、斉彬自身も当地を訪れて忠烈無比なる清麻呂公を讃えています。

偉人の清麻呂をお祀りしようという運動は戦前に始まり、戦後の昭和21年(1946年)、和氣神社が創建されました。配流地に選ばれただけあってアクセスしにくい山中に鎮座。九州以外から訪れるのは相当な歴史好きだと思います。

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「照國公手植松之記」「忠烈和氣公之遺跡」「義人稲積翁之碑」。

清麻呂が稲積の里にやってきた頃、中津川には河伯(中国の水神あるいは河童)が住むと信じられていました。河伯の怒りを鎮めて洪水を防ぐため娘を生贄にする河伯祭が行われていたのが、ある時、稲積翁が祭りは悪人の陰謀であることに気付いて清麻呂に通報。清麻呂は悪人を打倒して娘を救い、河伯祭の因習を廃止。代わりに堤防を築いて里民に尊敬されたと伝わります。

『日本後紀』の記事をもう一つ紹介。淳和天皇御代の天長元年(824年)には、清麻呂の息子の真綱と仲世が神託事件について天皇に言上。極悪非道な道鏡が皇位を狙っていることに気付いた八幡大神が、称徳天皇を介して清麻呂を派遣させ、陰謀を暴いたと語っています。道鏡と怪しい関係にあった称徳天皇を無理に擁護している印象ですね。

正史で天皇を批判するのは危険だから仕方ないとして、神託事件は道鏡を増長させた称徳天皇に責任があると私は考えます。称徳天皇が孝謙上皇だった頃、道鏡に看病されて寵愛するようになり、その関係に危機感を持った藤原仲麻呂が反乱を起こすも失敗。仲麻呂派であった淳仁天皇を淡路国(兵庫県)に配流し、憤死させる事件がありました。権力闘争の一貫です。

事件後、孝謙上皇は重祚して再び天皇に即位。道鏡に法王の地位を与えて強権政治を行うのでした。称徳天皇と道鏡のダークな権力に媚びる輩が蔓延る中、清麻呂のように誠実な人物が宇佐神宮に派遣されたのは、やはり八幡大神の導きによるものだったと感じます。

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清麻呂と猪を描いた日本一の大絵馬。平成19年(2007年)に奉納された絵馬をオールカラーにアップグレードしたものです。

2019年は平成31年、皇紀2679年。干支は己亥。第125代の天皇陛下は今年の4月をもって退位され、5月から新時代が始まります。きっと平和な治世になるでしょう。

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鳥居をくぐって境内へ。テレビ局の皆さんが中継してます。

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静かな境内の様子。今頃、霧島神宮や鹿児島神宮は大混雑してそうです。

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拝殿にて参拝。素朴な猪のオブジェがありました。

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狛犬ならぬ狛猪。『日本後紀』の記述に基づいています。

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境内左手には立派な白亥殿があり、白猪「和気ちゃん」が暮らしています。元日は屋内でゆっくりしている模様。

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地元の人達に混じって一休み。

薩摩国と大隅国で色々差異はあるのでしょうが、毎回、鹿児島の人々は大らかで優しいと感じます。私の装備は実用性重視でアウトドアに偏りすぎているため、やっぱりバックパッカーではなく登山家と間違われるのでした。神話と歴史の舞台探訪にはインドアの活動も重要ですよ~

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時間に余裕はないけど展望台に向かいます。

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本殿の裏手を通って遊歩道へ。

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0932、展望台に到着。曇ってます。

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北東には霧島連山の高千穂峰。瓊々杵尊一行は厚い雲を押し分けて天降ったそうな。陰謀から皇統を守ったために当地に配流された和気清麻呂は、ここから天孫降臨の地を眺めて不毛な政治を嘆いたのでしょうか。

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南西には桜島。急いで妙見温泉に向かいましょう。

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R470に戻り、早足で下ります。

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妙見発電所。かなりハイペースです。

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1025、R223に復帰。安楽橋で天降川を渡ります。

熊襲の穴

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1030、最後の探訪ポイント、熊襲の穴。新しい雰囲気のホテルにマイカーが多数駐車。殆ど九州ナンバー。地元では流行っているらしい。

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竹道久氏による「神々の想い」のモニュメント。この先に先住民族の熊襲が暮らしていました。

神武天皇が大和朝廷を立ち上げた後、出身地の九州は未だに統治できていなかったらしく、第12代の景行天皇は荒ぶる熊襲・土蜘蛛の討伐を決意。神武東征とは逆のルートで九州に乗り込んで各地を平定しました。九州の『風土記』には天皇が各地を訪れたエピソードが沢山あります。

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鳥居をくぐって山道を上ります。深い山中にあり、何か潜んでそうな雰囲気。

『古事記』によると景行天皇の子であった小碓命は、兄の大碓命をうっかり惨殺する荒々しさを父に恐れられ、熊襲の首領の熊襲健を討伐するため当地に派遣されました。小碓命は女装して熊襲の新築祝いに紛れ込み、熊襲健を抹殺。その勇猛さを讃えられて倭健命と称するようになりました。

『日本書紀』では兄の惨殺事件には触れられず、熊襲の首領の川上梟帥を襲撃して日本武尊と称されます。九州を平定して大和国に戻った倭健命は東国平定を命じられ、倭姫命が伊勢国(三重県)の伊勢神宮で奉斎していた草薙剣を託されます。東国平定の後、倭健命は近江国(滋賀県)の伊吹山の神に挑むものの敗退。故郷の大和国に思いを馳せて命を落としました。倭健命の無念の死後、草薙剣は尾張国(愛知県)の熱田神宮の御神体となります。

東西を駆け巡った倭健命の関連レポは色々。執筆と整理が追い付かず、今は割愛します。

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元日からこんなところを訪れる人は皆無。怖いところではないから安心してください。

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階段を登ると巨岩が見えました。

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巨岩の前にザックを残置。岩の下に洞窟の入口があります。

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洞窟内は真っ暗なので照明が設置。スイッチをONにしてから入ってください。念のためライトを携行するといいでしょう。

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では、熊襲の穴にINします。

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内部は蒸し暑く、一瞬でレンズが曇りました。何やら派手なペイントが施されています。

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芸術家の萩原貞行氏による現代アート。何もなければ地味すぎるし、悪くないと思います。

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内部の様子。湿度が高い上に薄暗く、それらしい写真を撮るなら三脚が必須。

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このエリアは第一洞穴。第二洞穴は入口が崩落して進入不可。ここで新築祝いというのは中々……

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外界へ。

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脱出。内部の蒸し暑さに比べると地上の寒さが爽やかに感じられます。探訪後は内部に誰もいないことを確認して、照明をOFFにしてください。

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R223へ。旅が終わろうとしています。

妙見温泉

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半分ぐらい寂れている妙見温泉。こういう情景が好きな人もいるよね。

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大正10年(1921年)から運転している妙見発電所。建物は登録有形文化財になっています。

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1100、妙見温泉バス停に到着。国分行きのバスは1118。間に合いました。

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少しだけ温泉街を散策。後で調べてみると穴場的な観光地だとか。

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ここで天降川に中津川が合流。フィルムで撮ったほうが良かったかも。

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鹿児島交通バスを利用して再び国分へ。1118の便に乗車します。

国分駅

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1140、国分駅バス停にて下車。運賃は330円でした。JR日豊本線の国分駅に直行し、鹿児島中央行きの時刻を確認。本日の歩行距離は約11km。4日間の総合歩行距離は約51km。バックパッキングらしい、のんびりした旅になりました。

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昼食を済ませて1226発の鹿児島中央行きに乗車。旅の終わりは、いつも淡々とした感じ。今回は特に淡々感が強かった。

鹿児島中央駅

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毎度お馴染みの鹿児島中央駅。1348発のJR九州・山陽新幹線「さくら558号」に乗り換え。帰宅したら直ちに装備を切り替えて次の遠征へ。いつになったら落ち着いてレポを執筆できるのでしょう?

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「さくら558号」が新大阪駅に向けて発車。今のうちにレポの構成を整理しておいて…いや、疲れたからやめます。ちょっと寝させて。

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1402、川内駅を通過。瓊瓊杵尊の御陵がある神亀山(p.1)がよく目立ちます。

初日の新田神社から最終日の熊襲の穴まで、神話と歴史の舞台探訪を詰め込んだ旅になりました。私の興味が行程に反映されているので、当然といえば当然。ただの「高千穂峰トレッキング」で済ませるわけがありません。それでは、しばらく仮眠させてもらいます。疲れたょ……

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1748、JR新大阪駅にて下車。ここは摂津国/大阪府大阪市西淀川区です。畿内/本州に帰還。昼過ぎに出発してもう夜。この駅はいつも混雑しています。

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1829、兵庫県の最寄駅にて下車。自宅に帰り着いたのは1645のこと。休む間もなく次の旅に向かうのでした。九州の旅は、まだまだこれからも続きます。とりあえず今回はお疲れ様でした~

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