東方巡遊記

九州探訪 III

目次

01
川内駅~新田神社/可愛山陵~霧島神宮駅~霧島神宮~高千穂河原
02
高千穂河原~霧島神宮古宮址~御鉢~霧島神宮元宮~高千穂峰/天逆鉾~高千穂河原
03
高千穂河原~霧島神宮~鎮守神社/若宮神社/御手洗川~華林寺跡/両度川~千滝~亀石坂
04
霧島神宮国分駅隼人駅鹿児島神宮卑弥呼/卑弥弓呼神社石體神社宮内の田の神
05
~隼人塚~隼人駅~嘉例川駅~鹿児島空港~高屋山上陵~嘉例川駅
06
嘉例川駅~安楽温泉~犬飼滝~和氣神社~熊襲の穴~妙見温泉~国分駅~鹿児島中央駅

2018年12月31日(月) 3日目

神話と歴史の境界。

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0530起床。九州の夜明けは遅い。

現在地は日向国/鹿児島県霧島市の「霧島市観光案内所」。野宿セットを撤収して朝食を済ませ、日の出まで待機します。気温は6℃。この程度は寒いうちに入りません。

霧島神宮

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0700、出発。天気は曇り。高千穂峰と霧島神宮を探訪できたから十分です。本日は国分に下って鹿児島神宮周辺の史跡を探訪。高屋山上陵も訪れます。

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鹿児島交通バスを利用して国分へ。霧島神宮駅バス停から0728の便に乗車します。

ほぼノープランで実施する自転車旅と異なり、徒歩旅では鉄道とバスの時刻表を調べ上げ、探訪ポイントを絞って行程を作成しなければなりません。もう少し余裕のある旅にしたいと思っています。

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0808、国分駅バス停にて下車。運賃は620円でした。降車用のバス停は駅前ではなく、周辺の通りにあります。と、運転手さんに教えてもらったので迷うことなく駅に直行。

国分駅

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こちらがJR日豊本線の国分駅。2014年9月の「九州ツーリング I」(p.7)では、霧島神宮からR223に乗って国分に下りました。

平成17年(2005年)、国分市が姶良郡の霧島町など6町と合併して霧島市が誕生。霧島市役所は国分市街に置かれており、駅名は国分駅のまま。一口に霧島と言っても広すぎるので、ここは国分市街と呼ぶのが普通。個人的には、「霧島」は霧島神宮周辺のことだと思います。

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0815発の鹿児島中央行きに乗車。鹿児島神宮の最寄駅となる隼人駅へ。ノンストップで歩いた昨日の行程と比べると、今日は鉄道とバスの乗り継ぎが多くて楽です。

隼人駅

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0819、隼人駅にて下車。運賃は160円でした。北東の霧島連山は雲の中。一応、昼から晴れるらしい。

鹿児島神宮地図 
鹿児島神宮周辺の地図。隼人駅から北の鹿児島神宮と石體神社、南の隼人塚まで徒歩でも十分回れる距離。探訪後は隼人駅に戻り、嘉例川駅に向かいます。

※国土地理院の「地理院地図(新版)」から抜粋。「カシミール3D」で出力し、ポイントを追記しています。

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隼人駅前の様子。気温は10℃。

先住民族の隼人が暮らした地であることから、昭和4年(1929年)に姶良郡の西国分村が隼人町に改称。上述の合併により消滅し、国分市と共に霧島市の一部となりました。駅前には大和朝廷に服従した隼人が用いた隼人楯が展示されているほか、薩摩にゆかりのある島津家の家紋も掲げられています。

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晴れる気配はなく、0930に渋々出発。R473で鹿児島神宮に向かいます。

鹿児島神宮

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R473を過ぎて一の鳥居が見えました。

鹿児島神宮は大隅国(鹿児島県)一之宮。社伝によると彦火火出見尊が暮らした高千穂宮に創建。年代は不詳ながら神武天皇御代(紀元前660~582年頃)の創建とも伝わります。『延喜式神名帳』には桑原郡の鹿児島神社とあり、日向国諸県郡の霧島神社と並んで有力な社だったことが分かります。

大隅正八幡や国分正八幡と称し、全国の正八幡の本宮とされる鹿児島神宮。八幡宮になった経緯は不明ながら、渡来氏族の秦氏によって九州北部から持ち込まれたと考えることもできます。八幡宮の総本宮である宇佐神宮において秦氏系とされる辛島氏が影響力を失う中、ここが本来の八幡宮という意味で正八幡宮と称したとする説…どうでしょうね?

豊前国(大分県)の宇佐神宮は「九州ツーリング I」(p.2)で訪れました。秦氏にルーツを持つ八幡信仰は難解すぎて手に負えないから、このテーマは割愛させてください。

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微妙な天気なので貴重なリバーサルフィルムは使わず、コンデジだけで淡々と探訪します。

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一の鳥居をくぐって参道へ。右手の宮内小学校は弥勒院跡にあります。鹿児島神宮も古くは神仏習合。霧島六社権現を整備した性空上人によって別当寺の弥勒寺が置かれましたが、明治時代の神仏分離・廃仏毀釈で破壊。現在の鹿児島神宮に仏教要素は残っていません。

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参道両脇には末社の三之社。右手前は豊姫命と磯良命、右奥は武甕槌命と経津主命。左奥は火闌降命と大隅命をお祀りしています。

豊姫命は神功皇后の妹で、豊玉比売命と同一視されることも。磯良命は神功皇后の三韓征伐を先導した海神、安曇磯良です。武甕槌命と経津主命は葦原中国を平定した武神。火闌降命は彦火火出見尊に服従した兄で、隼人の祖神とされています。大隅命は…火闌降命の子孫の隼人でしょうか。

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二の鳥居。すっかり忘れていたけど今日は大晦日。今夜から明日にかけて凄まじく混雑しそう。

葦原中国の日向に天降った瓊々杵尊が木花咲耶姫命に出会い、彦火火出見尊が生まれた経緯は初日の新田神社(p.1)で書きました。既に紹介したように、彦火火出見尊は瓊々杵尊と木花咲耶姫命の三男。またの名は火遠理命(山幸彦)で、長男は火照命(海幸彦)といいました。

『古事記』では火照命、火須勢理命、火遠理命が生まれたとする一方、『日本書紀』には火闌降命、彦火火出見命、火明命と記載されています。他にも諸説併記しており、神日本磐余彦尊の諱が彦火火出見命であるとも。どれが定説か分からないので、ここでは『古事記』に基づいておきましょう。古い時代の伝説だから、多少の矛盾があっても気にしない。

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0950、境内へ。

海で漁をする兄の火照命と、山で猟をする弟の火遠理命。ある時、お互いの道具を交換して海と山に出かけたところ、全く獲物が取れなかった挙句、火遠理命は兄の釣り針を紛失。火遠理命が兄に責められ途方に暮れていると塩筒大神が現れ、船で海積宮(綿津見神の宮)に向かうよう助言を与えました。

海積宮にやってきた火遠理命は豊玉姫命と出会い、豊玉姫命の父で海神の大綿津見神に認められて結婚。海積宮に滞在して釣り針も発見し、3年後に故郷に帰ります。火遠理命は大綿津見神のマジックアイテムで兄を服従させ、天孫の子のうち、火遠理命が最も有力な存在になりました。

後に、豊玉姫命は天孫の子を産むため陸に上がり、作りかけの産屋に隠れて鵜葺草葺不合命を出産します。その際、本来の姿を火遠理命に目撃されて海に帰ってしまい、妹の玉依姫命を派遣。鵜葺草葺不合命は玉依姫命と(以下略)

……というのが有名な山幸彦と海幸彦の伝説。火遠理命が海積宮で豊玉姫命と出会って結婚する展開は、浦島太郎が竜宮城で乙姫に出会うエピソードにも似てますね。『日本書紀』では豊玉姫命の正体が竜だったとありますし。

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神橋を渡ると末社の御門神社。新田神社・霧島神宮と同じ構成であり、左に櫛磐窓命、右に豊磐窓命を祀ります。

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石段を登って末社の雨之社。彦火火出見尊の妃である豊玉比売命の父、海神の豊玉比古命(大綿津見神)を祀ります。背後には樹齢約800年という御神木の大楠。

海積宮から帰った彦火火出見尊は青島で暮らしたとも伝わり、その跡地に創建されたのが日向国(宮崎県)の青島神社です。2017年8月の「九州ツーリング II」(p.5)では青島神社を探訪。数々の神社に関連があってリンクを貼るのが大変です。

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本殿エリアまで登ってきました。後で石體神社や田の神にも寄り道します。

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勅使殿の左右に西長庁・東長庁が設けられ、奥に拝殿と本殿が並びます。新田神社・霧島神宮・鹿児島神宮は独特の建築様式ですね。

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巫女さん達が初詣に向けた準備中。海積宮の伝説に因んだ龍宮の亀石がありました。

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勅使殿奥の拝殿にて参拝。主祭神は天津日高彦火火出見尊と妃の豊玉比売命。相殿に帯中津日子命(仲哀天皇)、息長帯比売命(神功皇后)、品陀和気命(応神天皇)、仲姫命(応神天皇の后)をお祀りしています。

『古事記』によると彦火火出見尊は高千穂宮に580年暮らし、高千穂山の西に埋葬されました。高千穂峰のことでしょうか。『日本書紀』では日向の高屋山上陵に埋葬されたと記載があり、鹿児島空港北西の山陵が彦火火出見尊の御陵に治定されています。午後から訪れますよ。(p.5

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拝殿と本殿。右手には末社の四所神社。大雀命、石姫命、荒田郎女、根鳥命を祀ります。大雀命は応神天皇の子の仁徳天皇。石姫命はその后。荒田郎女と根鳥命も応神天皇の子でしたね。

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武内宿禰をお祀りする武内神社と、日本武尊をお祀りする隼風神社。武内宿禰は景行天皇~仁徳天皇に仕えた有能な側近です。

日本武尊は景行天皇の子である小碓命の別名。先住民族、熊襲の首領の熊襲建(川上梟帥)を抹殺し、その勇猛さを讃えられて倭健命(日本武尊)と称するようになりました。熊襲建の住処と伝わる熊襲の穴は鹿児島空港の東に位置。明日訪れます。(p.6

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本殿エリアから境内末社へ。

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駐車場の奥には、英霊をお祀りする招魂社。

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山城国(京都府)から勧請したと伝わる稲荷神社。稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社については、2014年4月の「伏見稲荷大社探訪 V」を参照してください。

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本殿の裏手を通り、薄暗い参道を歩きます。

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車道と交差。左に息長帯姫命をお祀りする末社の大多羅知女神社。右に大山津見命をお祀りする山神神社があります。

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手水舎を過ぎて社殿が見えました。

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本殿にて参拝。祭神は宇賀魂命、大宮売命、猿田彦命。三柱で稲荷大明神と称します。

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本殿裏手に何かあるようです。

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苔むした石碑と石像。

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狐穴と思われる岩穴。稲荷大明神の眷属をお祀りしているのでしょう。

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時刻は1045。これから鹿児島神宮周辺を探訪します。大型ザックは目立ち、地元の人達によく声をかけられます。重装備で歩き慣れているし、冬でも寒くありませんので、そんなに心配しないでください。

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奉納木馬の前を通って石體神社へ。

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隼人歴史民俗資料館や卑弥呼神社もあります。

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宮内原用水に架かる宮坂橋。江戸時代中期の正徳元年(1711年)、一帯に農業用水を通すための工事が始まり、完成に5年を要する大変な事業だったそうです。

卑弥呼/卑弥弓呼神社

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宮坂橋を渡ると卑弥呼/卑弥弓呼神社。熱心な卑弥呼ファンにより昭和57年(1982年)に創建。古代っぽい造形の卑弥呼像もファンが設置したものでしょう。

説明不要かと思いますが卑弥呼は『魏志倭人伝』に記載され、倭国の邪馬台国に都を置いて支配したとされる古代の女王です。卑弥弓呼は狗奴国の男王で、隣の邪馬台国と戦争状態にありました。彦火火出見尊と関係を持ってヤマト王朝になったという珍説は置いといて、とりあえず卑弥呼と卑弥弓呼をお祀りしています。

神話の舞台を巡る旅をやっていると、必ず神話と歴史の整合性の問題に直面します。『古事記』と『日本書紀』に記載されている歴代天皇の時代と、弥生時代の卑弥呼や古墳時代の倭の五王が一致しておらず、実際のところ古代の天皇の実在性や大和朝廷が成立した経緯はよく分かりません。

こちらは神話と別に古代史というジャンルがあり、神話と同じく僅かな史料に頼った独自解釈に基づき、様々な紛争…じゃなかった論争が繰り広げられています。邪馬台国の所在地とか歴代天皇の実在性といった問題に深く関わるつもりはありませんので、これ以上は触れないことにします。

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卑弥呼/卑弥弓呼神社へ。

私は神社巡りから派生して神話の舞台探訪にハマり、『古事記』に基づく神話を実際の出来事と仮定して楽しんでいます。もちろん『古事記』と『日本書紀』が作り上げられた経緯や、縄文時代~古墳時代あたりの実際の歴史と一致していないこと、明治維新後に日本が天皇を中心とする国として発展する過程で神話が軍国主義に利用されたことも知っています。

とは言え、神話を否定して古代史の真実とやらを主張するより、『古事記』や『日本書紀』を尊重して旅するほうが楽しいのです。アカデミックな観点で考察すると、日本各地の勢力が覇権争いを繰り広げ、勝者となった勢力によって神武天皇から始まる天皇の歴史が作り上げられたのでしょうけど、当サイトでは日本神話をベースに探訪を進めます。

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右手には彦那岐武命の石碑。彦火火出見尊と豊玉比売命の子、彦波瀲武鵜葺草葺不合尊のことです。

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拝殿にて参拝。祭神は卑弥呼と卑弥弓呼です。天皇のシンボルである菊の御紋が使われており、ヤマト王朝の起源説を推してそうな印象。まあそんなところで。

石體神社

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卑弥呼/卑弥弓呼神社の先には鹿児島神宮摂社の石體神社。彦火火出見尊の高千穂宮の跡地と伝わる鹿児島神宮の起源。飛鳥時代末期の和銅元年(708年)に鹿児島神宮が遷され、この旧社地に石體神社が創建されたとのこと。

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拝殿に向かいます。

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拝殿にて参拝。祭神は鹿児島神宮と同じく、天津日高彦火火出見尊と妃の豊玉比売命です。

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安産祈願の御石。豊玉比売命が鵜葺草葺不合尊を出産したエピソードに因み、安産の神様として崇敬されています。「九州ツーリング II」(p.4)では、鵜葺草葺不合尊の生誕地と伝わる宮崎県の鵜戸神宮を訪れました。

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周辺は宮の杜ふれあい公園として整備されています。トイレと東屋があって寝場所向き…と考えてしまう習性。

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上にも社があるようなので寄り道します。

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鹿児島神宮末社の祖霊社。祖霊をお祀りする社のようです。

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車道の先は鹿児島神宮の駐車場。大多羅知女神社と山神神社に繋がっていました。

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1130、再び境内を出て、今度は左手に進みます。

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今年3月に奉納された御神馬「清嵐」が散歩中。イーグルラヴィの清蘭とは全く関係ありません。

宮内の田の神

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神田の奥に宮内の田の神があります。

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静かな神田の様子。誰もいません。

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宮内の田の神。南九州独特の豊作の神様の像です。江戸時代後期の天明元年(1781年)に製作されました。現在でも鹿児島神宮の御田植祭で祭壇が設けられ、田の神様に豊作を祈願されています。

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探訪を終えて境内を出ます。次は隼人塚に向かいますよ。

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……その前に昼食タイム。1158、隼人駅手前のファミリーマートにIN。
少し休んで、次ページに続きます。

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