目次 |
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01 |
川内駅~新田神社/可愛山陵~霧島神宮駅~霧島神宮~高千穂河原 |
02 |
高千穂河原~霧島神宮古宮址~御鉢~霧島神宮元宮~高千穂峰/天逆鉾~高千穂河原 |
03 |
高千穂河原~霧島神宮~鎮守神社/若宮神社/御手洗川~華林寺跡/両度川~千滝~亀石坂 |
04 |
霧島神宮~国分駅~隼人駅~鹿児島神宮~卑弥呼/卑弥弓呼神社~石體神社~宮内の田の神 |
05 |
~隼人塚~隼人駅~嘉例川駅~鹿児島空港~高屋山上陵~嘉例川駅 |
06 |
嘉例川駅~安楽温泉~犬飼滝~和氣神社~熊襲の穴~妙見温泉~国分駅~鹿児島中央駅 |
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1300、午後の行程開始。高千穂河原ビジターセンターを出発。R408を引き返して霧島神宮へ。
昨晩と同じく7kmの徒歩行程。マイカーの登山者が颯爽と走り去る中、黙々と車道を下ります。ここだけ自転車を使いたい。
……と思っていたら、私の前に車が停まりました。「よかったら乗っていきません?」と言われてありがたく乗車。今回に限らず、フル装備で車道を歩いていると時々起きる展開。地元の鹿児島に久々に帰ってきたというお兄さんと談笑しつつ、霧島神宮まで乗せてもらいます。
1402、霧島市観光案内所でありがたく下車。
本来なら2時間で歩かなければならなかった行程。いつも善良な人の助けが得られるわけではありませんし、通りすがりの車に乗せてもらうのが前提では他力本願すぎます。自力で道を進んでいるからこそ、こういう出会いが輝くのですね。
1430、R223に面した大鳥居から出発。鳥居の島木には天皇のシンボルである菊の御紋。奥に早朝から登った高千穂峰(p.2)が見えます。
こじんまりした観光地。予定より1時間も早く、今からじっくり探訪できそう。
ロータリーを直進。神橋を渡って霧島神宮へ。霧島神宮が創建された経緯は昨日(p.1)書きました。
表参道を抜けると、左手に展望台があります。こんな時期でも観光客は多かった。
展望台から南西方面の眺望。桜島は分かりますよね。直接視認できませんが神代三山陵の位置も示されています。
坂本龍馬と妻のお龍のパネル。新婚旅行で薩摩国を訪れたことが紹介されてました。神代に関心がある一方、幕末について何も知りません。今回のレポも天地開闢~平安時代の範囲に収まっています。
徳富蘇峰の神聖降臨之詩碑。天皇が日本の中心という皇国史観に基づく詩。別に戦前の軍国主義的な主張をしているわけではありません。揉めそうな話題は極力書きたくないから、深入りしない。
社伝によると欽明天皇元年(540年頃)、慶胤上人が御鉢~高千穂峰の脊門丘にて瓊瓊杵尊を奉斎。天孫をお祀りする霧島の社の起源であり、霧島神宮元宮となります。平安時代には性空上人が一帯の六社を修験道の拠点として整備し、いわゆる霧島六社権現を確立。神仏習合の一大霊場として発展しました。
霧島神宮元宮は霧島連山の度重なる噴火で炎上・焼失。平安時代の天暦年間(947年~957年)、性空上人によって高千穂峰西麓の高千穂河原に遷座されるも噴火によりことごとく焼失。戦国時代の文明16年(1484年)になって兼慶上人が現在地に社殿を移転。霧島西御在所六社権現と称し、別当寺として華林寺が置かれました。
古くは霧島岑神社が霧島六社権現の中心となる社だったようですが、長い歴史の中で荒廃や遷座を繰り返すうちに関係が変わり、今では霧島神宮が中心的な社に。明治時代の神仏分離・廃仏毀釈の影響を受け、現在の霧島神宮に仏教要素は残っていません。
御神木である樹齢800年の杉。文明16年の遷座より古くから存在します。
本殿前の様子。カメラを2台携行していることもあり、「九州ツーリング I」に比べて撮影枚数が激増。構図のセンスを持ち合わせていないのは仕方ないとして、朱塗りの社殿を撮影するにはリバーサルのVelviaが最適です。
勅使殿にて2度目の参拝。主祭神は天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊。相殿に妃の木花咲耶姫尊、彦火火出見尊と豊玉姫尊、鵜葺草葺不合尊と玉依姫尊、神倭磐余彦尊をお祀りしています。霧島神宮元宮や高千穂河原と同様、高千穂峰を遥拝する向きですね。
本殿エリアの右には神楽殿。玉垣の間から勅使殿奥の拝殿が見えました。
時刻は1525。日没まで余裕があります。これから霧島神宮周辺を探訪しますよ。
1545、若宮神社と鎮守神社。この辺りには霧島神宮に関連する史跡が点在。文字岩・亀岩・風穴・両度川・御手洗川・蒔かずの種・夜中の神楽から成る霧島の七不思議が紹介されています。
高千穂峰を遥拝する向きの鎮守神社。霧島神宮の末社となります。
祭神は天照大御神。孫の瓊瓊杵尊に葦原中国の統治を命じました。
社殿の右手には性空上人墓。平安時代に霧島六社権現を整備した僧侶です。
祭神は天忍雲根命、水波能売神、市岐島姫命、大名牟遅神。冬場なので水量が少ないですが、5月頃には奥の岩穴から水が湧き出るとか。天孫降臨の際に高天原から持ってきた真名井の水が混じっていると伝わり、霧島の七不思議の一つになっています。
更に車道を進んで華林寺跡と両度川。霧島神宮が霧島西御在所六社権現と称した頃は、別当寺の華林寺を中心に運営されていたようです。
古い石段の右手に両度川があります。普段は涸れており、毎年6月頃に二度流れることから両度川と呼ばれ、霧島の七不思議の一つです。
豪華な社殿の霧島神宮とは対象的に、明治時代の神仏分離・廃仏毀釈で消滅した華林寺の跡地。周辺は寺院や宿坊が立ち並ぶ一大霊場だったのが、殆ど破壊されてしまいました。本当に残念なことです。
高台に佇む兼慶上人墓。1500年ぐらい前に慶胤上人が天孫を奉斎したことに始まり、性空上人が整備し、兼慶上人によって中興された霧島六社権現。当地を整備した僧侶達は、華林寺跡を見てどう思うでしょうか?
華林寺跡から先へ進みます。霧島川に砂防ダムが建設されていました。道は荒れており、自転車で走るには厳しいコンディション。
1620、宮之原橋から千滝の様子。写真ではスケールが分かり辛いです。
新燃岳の溶岩が浸食されて出来た滝。地下水が崖から湧き出して滝になってます。神社や史跡以外は投げやりな紹介になる傾向。
そろそろ寝場所に向かいましょう。明日は霧島神宮を下って鹿児島神宮へ。九州を出るまで快晴続きは無理でしょうね。
1630、若宮神社と鎮守神社。亀石坂と呼ばれる旧参道で霧島神宮に戻ります。早朝から高千穂峰に登って午後もノンストップで探訪。今から、この石段を登るのは、結構、きつい、です。
亀石坂を登ります。左右に霧島の七不思議の風穴と亀石があったのに、撮ってませんでした。補完でも撮り忘れはよくあります。
石段を登ると、霧島神宮の本殿エリアの裏手。案内板の猿田彦邸跡と野上神社が気になるけど、日没が迫っているので観光案内所に戻ります。
大木の根元に鎮座する山神社。祭神は不明…大山祗命でしょうか。
ここから高千穂峰まで、お嶽道と呼ばれる旧登山道が現存。湯之野の標識が入口。R480の西に位置するペンションの南を通り、沢沿いにR480と並行して高千穂河原に向かうルートになります。整備されているようには見えず、ナビゲーションが必要です。
1713、一の鳥居に戻りました。本日の歩行距離は約12.5km。程よい探訪プランでした。
今日の寝場所となる「霧島市観光案内所」。年末年始で営業しておらず、足湯も稼働していません。観光客はホテルに引き上げて誰も案内所に立ち寄らず、私からすれば大変好都合。ゆっくり寝られそうです。
いつも通りジュニアバーナーで自炊。日が沈むと気温が下がり、急に寒くなりました。手早く湯を沸かして濃厚カレーラーメンを作ります。グルメは興味無し。温かいインスタント麺で満足です。
(詳細は自炊セットのページを参照)
自炊セットを片付けたら洗面を済ませ、ウェットティッシュで体を拭いてリフレッシュ。昨日は到着が遅くて何もできませんでした。やはり夜間行程は極力避けるべきです。
「九州ツーリング II」で贅沢しすぎた反省から、今回は徹底的に野宿する方針。暗くなったら軒下のベンチに野宿セットを展開。グラウンドシート・ダウンシュラフ・シュラフカバー・エアマット&ピローから構成されています。
(詳細は野宿セットのページを参照)
19時を過ぎると気温は4℃。冬の九州でも4シーズンの装備で快適に就寝。
3日目に続きます。