東方巡遊記

九州探訪 III

目次

01
川内駅新田神社/可愛山陵霧島神宮駅霧島神宮高千穂河原
02
高千穂河原~霧島神宮古宮址~御鉢~霧島神宮元宮~高千穂峰/天逆鉾~高千穂河原
03
高千穂河原~霧島神宮~鎮守神社/若宮神社/御手洗川~華林寺跡/両度川~千滝~亀石坂
04
霧島神宮~国分駅~隼人駅~鹿児島神宮~卑弥呼/卑弥弓呼神社~石體神社~宮内の田の神
05
~隼人塚~隼人駅~嘉例川駅~鹿児島空港~高屋山上陵~嘉例川駅
06
嘉例川駅~安楽温泉~犬飼滝~和氣神社~熊襲の穴~妙見温泉~国分駅~鹿児島中央駅

2018年12月29日(土) 1日目

3度目の九州遠征。「九州ツーリング I」を補完する徒歩の旅。天孫降臨の神話で知られる高千穂峰が主目的です。鉄道を乗り継ぎ、鹿児島の神社と史跡を探訪します。

※当サイトの内容を過信して発生したトラブルには一切の責任を負いかねます。必ず注意事項に目を通してからレポをお楽しみくださいますよう、強くお願いします。サイト内に掲載している写真・文章等のコンテンツは、形態を問わず転載厳禁。野宿要素が大変多く含まれているので、苦手な方はお引き取りください。

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0350に兵庫県の自宅を出発してJR新大阪駅へ。0600発の山陽・九州新幹線「みずほ601号」に乗車し、博多駅で0839発の九州新幹線「さくら405号」に乗り換え。新幹線を利用すれば超速で西海道/九州にINできます。

今日から冬休みシーズン。「みずほ601号」は始発にも関わらず超満員でした。13kgの自転車を携えて輪行することに比べたら、20kgのザックを背負って移動するほうが遥かに楽ですね。

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あまり需要がないのか「さくら405号」はガラガラ。鉄の趣味を持っていないので車両の種類はよく知りませんが、新800系の内装はN700系よりもリッチ感じ。ゆったりしています。

例によって過密スケジュールなので今のうちに探訪の準備。行動用のパッキングに変換し、カメラにフィルムを装填します。全国的に寒波に覆われており東海道新幹線は遅延している模様。南国の九州は寒波とは無縁。今回も快晴続きの旅になってほしい。

そういえば計画を紹介していませんでした。まずは以前の旅のおさらいから始めましょう。

九州略地図 
2014年9月の「九州ツーリング I」は、九州北部の新門司港をスタートして南部の志布志港まで、岩戸開きや天孫降臨といった神話の舞台を巡る充実の内容。霧島六社権現を探訪し、天孫降臨の地である高千穂峰にも登山。総合走行距離は15日間(実質走行期間13日)で約995.6kmでした。

九州略地図 
2018年8月の「九州ツーリング II」は、九州南部の鹿児島中央駅をスタートして中部の熊本駅まで、神武東征に至る神話の舞台を巡って宮崎の社を一括補完しました。ただの補完に留まらず椎葉や阿蘇山も訪れ、やはり充実の内容に。総合走行距離は8日間(実質走行期間7日)で約550.1kmでした。

九州略地図 
今回の「九州探訪 III」は鹿児島に限定。鉄道とバスを乗り継いで徒歩で神話の舞台を巡るため、自転車ほど効率よく回れない一方、じっくり探訪できるプラン。「九州ツーリング I」(pp.6-7)で訪れた霧島神宮と高千穂峰の他、新田神社や鹿児島神宮など、鹿児島の社を補完していきます。

川内駅

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1003、予定通りJR川内駅にて下車。

鹿児島本線と九州新幹線が乗り入れており、平成16年(2004年)、九州新幹線の開業に伴いリニューアルされました。鹿児島本線のうち八代駅~川内駅の区間は肥薩おれんじ鉄道に移管。肥薩おれんじ鉄道線に改称されて川内駅に乗り入れています。

ここは薩摩国/鹿児島県薩摩川内市。薩摩国に属した自治体が薩摩+αを称するパターン。毎回、平成の大合併について書いている気がします。行政区分の改変や地名の廃絶に言及すると、きりがありません。

新田神社地図 
こちらが新田神社周辺の地図。川内駅から神社までバスを利用してアクセスします。探訪後は川内駅に戻り、霧島神宮駅に向かいます。

※国土地理院の「地理院地図(新版)」から抜粋。「カシミール3D」で出力し、ポイントを追記。利用規約に基づいて掲載しています。

新田神社

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新田神社まで、くるくるバスを利用。川内駅バス停から1030の東回り便に乗車します。1052、新田神社バス停にて下車。運賃は150円でした。

※バスの運賃や時刻表は頻繁に改正されます。レポ記載の情報は古くなっていることがありますので、必ず最新の運賃・時刻表を確認した上で訪れてください。

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最初の探訪ポイント、新田神社から行程開始。川内川北岸の一の鳥居からR44まで参道が設けられています。二の鳥居の北には神亀山(67m)。これが可愛山陵です。

新田神社は薩摩国(鹿児島県)一之宮。社伝によると葦原中国の日向に天降った瓊瓊杵尊が暮らし、亡くなって埋葬された後に神霊をお祀りする社が創建されました。一説では奈良時代初期、聖武天皇御代の神亀2年(725年)に創建。平安時代の貞観年間(859~877年)に再興されています。

千台(高殿)を築いて暮らしたから川内の地名に、川内川から水を引いて新田を作ったから新田神社になったとか。古くは社殿が存在せず、山そのものが信仰の対象だったと伝わります。こじんまりした山ながら、二の鳥居から見るだけでも山陵らしい雰囲気。高く険しい山だけが神奈備ではないのです。

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二の鳥居をくぐって境内へ。快晴で気温は9℃。寒波の影響は皆無です。

探訪のメインカメラは工事現場用のコンデジ、RICOH G800。サブカメラとしてフィルム式の一眼、MINOLTA α8700iも携行。フィルムはFUJIFILM Velvia 100(リバーサル)を使用しています。
(詳細は「GEARS」を参照)

「高千穂峰トレッキング II」主体の企画とするも、霧島神宮と高千穂峰の再訪だけで済ませるのは勿体無い。せっかく九州に乗り込むのだから周辺の社も確実に補完。最近ではフィルムを活用する探訪が多くなりました。

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新降来橋で銀杏木川を渡ります。

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その奥には忍穂井川に架かる降来橋。瓊瓊杵尊の父、天忍穂耳尊に由来する川でしょうか。

平安時代中期の承平・天慶年間(931~947年)、平将門の乱と藤原純友の乱が相次いで発生しました。その際に山城国(京都府)の石清水八幡宮から八幡大神を勧請。新田八幡宮と称し、川内川から延びる参道には寺院が並びました。八幡信仰といえば神仏習合ですが江戸時代には元に戻され、現在の新田神社に仏教要素は残っていません。

ちなみに石清水八幡宮も平安京守護のために勧請され、八幡宮の総本宮は豊前国(大分県)の宇佐神宮になります。2014年9月の「九州ツーリング I」(p.2)では宇佐神宮を探訪。東方的には「永夜抄」や「花映塚」に登場した因幡てゐと小ネタ程度の繋がりがあります。

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では、山頂の本殿エリアへ登りましょう。

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左手には末社の西門守神社。櫛磐間戸神が参道の西を守ります。

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右手には東門守神社。豊磐間戸神が参道の東を守ります。櫛磐間戸神と豊磐間戸神は天孫降臨に加わり、天石戸別神とも称します。

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中腹は広場になっています。古くは中腹から山陵を遥拝していたのが、平安時代末期の承安3年(1173年)に社殿を焼失。安元2年(1176年)になって山頂に遷座されました。参道脇には旧社地の礎石が残っています。

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広場にも末社が並んでいます。こちらは級長津彦神と級長津姫神をお祀りする早風神社。

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大山祗命をお祀りする中央神社。瓊瓊杵尊の妃、木花咲耶姫命の父です。

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天鈿女命をお祀りする高良神社。天孫降臨に加わった神様ですね。

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がらっぱ大明神のイザナギ河童&イザナミ河童。ガラッパとは九州南部に伝わる河童のような妖怪です。平成3年(1991年)に川内がらっぱ共和国が建国された際、2体の像がいつの間にか高台に鎮座されていた…とのこと。

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旧社地から山頂へ。初詣は混雑しそうです。

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右手には樹齢650~800年という大樟。大穴牟遅神の彫刻が施されているらしい。

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本殿エリアまで登ってきました。天照大御神から神日本磐余彦尊(後の神武天皇)の系譜は以前のレポで紹介済み。独立したレポとして読めるよう以下コピペ。かなり重複するので、ご存知の方は読み飛ばしてもらって構いません。

『古事記』と『日本書紀』の記述によると、伊弉諾尊と伊弉冉尊は多くの島々と神々を生みますが、伊弉冉尊は火の神である迦具土神を産んで亡くなります。それから伊弉諾尊が黄泉比良坂を通って黄泉国を訪れると、腐って醜い姿になった伊弉冉尊を目撃して恨まれてしまい、一騒動あって黄泉国を脱出するのでした。

伊弉諾尊は水辺で黄泉国の穢れを祓い、多くの神々が生まれました。左目を洗うと天照大御神、右目を洗うと月読尊、鼻を洗うと素盞嗚尊が誕生。最後に生まれた三柱の神々は三貴子と呼ばれ、父に使命を与えられます。天照大御神は高天原、月読尊は夜、素盞嗚尊は海を治めることになり、素盞嗚尊だけは使命を拒否して勘当されてしまいます。

高天原に向かった素盞嗚尊は天照大御神に警戒されますが、潔白を証明するために誓約を行い、やはり多くの神々が誕生しました。その際に生まれた天忍穂耳尊が、高皇産霊尊の娘の栲幡千千姫命と結婚。天火明命(一説には饒速日尊とも)と瓊瓊杵尊という二柱の子をもうけます。天津神の代表格、天照大御神の孫だから天孫と呼ばれるのですね。

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勅使殿にて参拝。主祭神は天津日高彦火瓊瓊杵尊。天照皇大御神と正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊を配祀しています。

天孫の瓊瓊杵尊は葦原中国の日向に天降った後、山神である大山祇神の娘の木花開耶姫命に出会って結婚。木花開耶姫命は一夜で身籠り貞操を疑われたことから、天孫の子であることを証明するため自ら産屋に火を放ち、三柱の子(火照命、火須勢理命、火遠理命)を出産します。

ある時、三男の火遠理命(山幸彦または彦火火出見尊)は、長男の火照命(海幸彦または火闌降命)の道具を紛失。それがきっかけで海神、大綿津見神の娘の豊玉姫命と結ばれます。海で暮らす豊玉姫命は天孫の子を出産するため陸に上がり、作りかけの産屋で鵜葺草葺不合尊が生まれました。

出産中の姿を彦火火出見尊に目撃された豊玉姫命は海に帰ってしまいますが、代わりに妹の玉依姫命を派遣。成長した鵜葺草葺不合尊は育ての親である玉依姫命と結婚し、四柱の子(五瀬命、稲飯命、御毛沼命、若御毛沼命)が生まれ、四男の若御毛沼命が神日本磐余彦尊、後の神武天皇となります。

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勅使殿の左右に西長庁・東長庁が設けられ、その奥に舞殿・拝殿・本殿が並ぶ独特の建築様式。境内では初詣の準備が進んでいました。

可愛山陵

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社務所前を通って可愛山陵へ。神亀山は亀の頭部と甲羅のような地形。山陵全体が甲羅に相当します。

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本殿裏手にひっそり佇む可愛山陵。瓊瓊杵尊は葦原中国に立派な宮殿を築いて暮らし、『日本書紀』によると筑紫の日向の可愛山陵に埋葬されました。曾孫の神日本磐余彦尊が東征を決意するのは179万2470余年後の話です。

あまりにも昔のことだから仕方ないのですが、可愛山陵は古くから所在不明になって各地に候補地が点在。明治時代に新田神社にある山陵が瓊瓊杵尊の御陵に治定され、現在では歴代の天皇陵と同じく宮内庁によって管理されています。

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難しい考証はさておき、ここが天孫の御陵なのです。旅の開始を報告して高千穂峰に向かいましょう。

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新田神社の裏手へ下ります。

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苔むした石段。表参道より静かな空間です。

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1155、神亀山の東に降りました。

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可愛山陵を含む神代三山陵の案内。

瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鵜葺草葺不合尊は日向三代と称し、『日本書紀』によると可愛山陵、高屋山上陵、吾平山上陵に埋葬されました。明治時代に数々の候補地を検討した結果、可愛山陵は薩摩国の新田神社。高屋山上陵と吾平山上陵は大隅国と、全て鹿児島県内に治定されています。

かつて日向国であった宮崎県には受け入れ難い決定なのですが、古代の日向は薩摩国と大隅国を含む九州南部の地域であり、神話の舞台は宮崎県だけでなく鹿児島県にも点在します。神代三山陵が鹿児島県にあってもおかしくありません。

今回は瓊瓊杵尊を祀る霧島神宮と高千穂峰(pp.2-3)に加え、彦火火出見尊を祀る鹿児島神宮(p.4)と高屋山上陵(p.5)も探訪。2017年8月の「九州ツーリング II」では宮崎の社を補完しており、鵜葺草葺不合尊を祀る宮崎県の鵜戸神宮(p.4)と、彦火火出見尊を祀る青島神社(p.5)を訪れました。

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神亀山の北を反時計回りに歩きます。亀の頭部に相当する小山には新田神社の摂社と陵墓が存在。瓊瓊杵尊の妃、木花咲耶姫命を祀る端陵神社。二柱の第二子、火闌降命を祀る中陵神社が鎮座しています。

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公園前に入り口っぽいゲートがありました。案内板は無し。勝手に入っていいのかな?

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南側に回り込むと、団地の一角に閉ざされたゲート。フェンスの向こうには鳥居…侵入は遠慮しておきます。

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1226、二の鳥居に戻りました。行きと同じく、くるくるバスを利用して川内駅へ。新田神社バス停から1229の西回り便に乗車します。

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1252、川内駅バス停にて下車。寒気が南下してきたのか曇り気味。天気図を見る限り、高千穂峰は大丈夫そう。

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切符を買って、駅前のファミリーマートで休憩&昼食タイム。自転車旅で素早く行動することに慣れたせいで、ゆっくりするわけでもなく速やかに補給して出発します。習性化されているから仕方ない。

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次は瓊瓊杵尊が天降った高千穂峰と霧島神宮へ。JR川内駅から1422発の都城行きに乗車します。CTと書かれているのは通勤電車とのこと。当然ながら初めて乗る電車です。

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鹿児島の中心駅となる鹿児島中央駅を通過。九州の南部に神話の舞台が集中しているため、毎回、鹿児島中央駅を経由する行程になります。

古代には九州南部の地域を日向と称したようで、飛鳥時代末期、律令制の成立に伴って日向国が誕生。大宝2年(702年)に唱更国、和銅6年(713年)に大隅国が独立。唱更国は薩摩国に改められ、長らく西の薩摩国、東の大隅国、北の日向国という行政区分が用いられました。

明治時代には歴史的な行政区分が一新。西南戦争の混乱を経て、日向国に相当する宮崎県、薩摩国と大隅国を統合した鹿児島県に落ち着きました。鹿児島は桜島の古い表記である麑島に由来するらしい。

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鹿児島駅を過ぎると鹿児島本線から日豊本線へ。鹿児島湾(錦江湾)を挟んで東に桜島が見えました。2014年9月の「九州ツーリング I」(p.8)では雨の中で南岸を走り、2018年8月の「九州ツーリング II」(p.2)は北岸を走っています。

島そのものが火山活動によって形成され、現在でも噴火の続く活火山として知られる桜島。噴火で流出した溶岩で大隅半島と陸続きになっており、地形的には島というより半島の一部だったりします。最高峰は標高1117mの御岳(北岳)。南に中岳(1060m)と南岳(1040m)があり、その周囲には多くの寄生火山が存在しています。……と、前々回のレポからコピペ。

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北東には今回の主目的地である霧島連山の高千穂峰(1573.6m)。霧島連山とは、韓国岳(1700.1m)を最高峰とする火山群の総称。左から韓国岳、新燃岳(1421m)、中岳(1332.4m)、高千穂峰。高千穂峰は天孫降臨の地とされ、南西麓に霧島神宮が鎮座します。

霧島神宮駅

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1619、JR日豊本線の霧島神宮駅にて下車。福岡県の小倉駅から鹿児島県の鹿児島駅を結ぶのに、豊前国~豊後国~日向国で日豊本線というネーミング。鹿児島県に相当する大隅国~薩摩国は入りません。変なの。

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霧島神宮の参道をイメージした駅前。ここは薩摩国/鹿児島県霧島市です。

霧島地図 
こちらが高千穂峰周辺の地図。霧島神宮駅を標榜しながら霧島神宮まで6kmほど。歩いても疲れるだけなのでバスを利用して探訪します。高千穂峰の登山口となる高千穂河原ビジターセンターには、運行するバスが限られており徒歩で向かわなければなりません。

※国土地理院の「地理院地図(新版)」から抜粋して掲載。「カシミール3D」で出力し、ポイントを追記しています。

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鹿児島交通バスを利用して霧島神宮へ。霧島神宮駅バス停から1631の便に乗車します。観光客の皆さんはホテルの送迎バスやタクシーを使う模様。

霧島神宮

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1644、霧島神宮バス停にて下車。運賃は250円でした。ロータリーを直進すると霧島神宮です。

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霧島神宮と高千穂峰の一帯は、古くは日向国に属しました。神橋を渡って霧島神宮へ。簡潔に由緒を紹介しておきます。

急峻な地形の活火山から構成される霧島連山。古代には火山そのものが信仰の対象であったと考えられています。火常峰(御鉢)と高千穂峰の間には脊門丘という鞍部(1408m)があり、日本に仏教が伝来して間もない欽明天皇元年(540年頃)に、僧侶であった慶胤上人が当地に天降った瓊々杵尊を奉斎。これが天孫をお祀りする霧島の社の起源であり、霧島神宮元宮となります。

時は流れて平安時代。当地で修行していた性空上人は、一帯の六社を修験道の拠点として整備し、霧島六社権現を確立。度重なる噴火で焼失・移転を繰り返しながらも一大霊場として発展。それぞれ別当寺が置かれ、長らく神仏習合の社寺として栄えました。明治時代の神仏分離・廃仏毀釈の影響を受け、現在の霧島神宮に仏教要素は残っていません。

2014年9月の「九州ツーリング I」では、霧島六社権現(pp.5-6)と高千穂峰(p.7)を探訪。今回は徒歩で霧島神宮と高千穂峰だけ再訪します。探訪ポイントを絞って徹底的に補完し、詳しいレポを作成するという発想です。

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まもなく日没。高千穂河原まで徒歩行程が残っているため、本格的な探訪は明日に回します。

北東麓の霧島岑神社・夷守神社、東麓の狭野神社・霧島東神社・東霧島神社、南西麓の霧島神宮によって構成される霧島六社権現。日向三代の夫婦神、六座をお祀りすることから霧島六所権現とも。夷守神社は霧島岑神社に合祀され、現在では五社となります。

『続日本後紀』によると平安時代初期、仁明天皇御代の承和4年(837年)に日向国諸県郡の霧嶋岑神が官社に指定。『延喜式神名帳』には霧島神社とあり、おそらく霧島岑神社に相当します。古くは霧島岑神社が霧島六社権現の中心となる社だったようですが、長い歴史の中で荒廃や遷座を繰り返すうちに関係が変わり、現在では霧島神宮が中心的な社になっています。

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石段を登って二の鳥居をくぐります。

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この時間は人が少なくて静かです。

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展望台から南西方面の眺望。桜島が平常通り噴煙を上げています。

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本殿エリアへ。

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三の鳥居をくぐります。

霧島神宮元宮は霧島連山の度重なる噴火で炎上・焼失。平安時代の天暦年間(947年~957年)、性空上人によって高千穂峰西麓の高千穂河原に遷座されるも噴火によりことごとく焼失。戦国時代の文明16年(1484年)になって兼慶上人が現在地に社殿を移転。霧島西御在所六社権現と称し、別当寺として華林寺が置かれました。

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本殿前。勅使殿の左右に西長庁・東長庁が設けられ、その奥に拝殿・幣殿・本殿が並ぶ新田神社に似た様式。社殿手前には櫛磐間戸神と豊磐間戸神をお祀りする門守神社。瓊瓊杵尊を守るのは狛犬ではなく天石戸別神なのですね。

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勅使殿にて参拝。主祭神は天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊。相殿に妃の木花咲耶姫尊、彦火火出見尊と豊玉姫尊、鵜葺草葺不合尊と玉依姫尊、神倭磐余彦尊をお祀りしています。天孫降臨の経緯は明日の高千穂峰(p.2)で紹介していきましょう。

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参道を引き返します。いつも日没前には寝場所を探していますから、こうして夕暮れの神社を訪れるのは結構珍しい。

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九州は本州に比べると日没が遅いです。観光客はホテルに引き上げたようで閑散としていました。

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R223に面した大鳥居。高千穂河原まで遠い……

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1730、誰も居ない霧島市観光案内所。軒下にベンチがあって寝場所にピッタリです。しかし、ここで留まると明日の行程に影響します。ヘッドランプとセーフティライトを用意して出発準備。先に進まなければなりません。

高千穂河原

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1745、出発。R223とR480で高千穂河原まで7km。徒歩旅ではよくある行程です。

バスで高千穂河原に向かうには丸尾で乗り換える必要があり、本数が限られているため実際にはマイカーかタクシー推奨です。幸いにも(?)私は徒歩行程に慣れているので歩いてアクセス可能。苦行ではありますが、2時間あれば辿り着けるし黙々と歩きます。

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R480に乗り換えて高千穂峰の中腹へ。電灯は存在せず、ライトで路面を照らして進行。PETZLとStreamlightは特に信頼性が高くて安心。時折、ペンションに向かうらしい車が通り過ぎていきます。

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ペンションとの分岐を通過。あと1時間。星空の煌めきを感じるほど真っ暗な山道。藪の中に獣の気配を感じて照らしてみると、鹿がこちらの様子を窺っていました。

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傾斜は8~10度。0℃近いのに暑いです。自転車旅の強行軍で疲れ果てたのに、徒歩でも相変わらず強行軍が前提。アホすぎます。この行程は一切オススメしません。真似しないでね。

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1930、「高千穂河原ビジターセンター」に到着。気温は-1℃。歩くのをやめた途端に冷えてきました。コンビニで補給したパンを食べて、速やかに寝る準備。軒下にシュラフを展開。シュラフカバーも被せておきます。

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初日の歩行距離は約12.5km。2030、明日の登山に備えて就寝。
2日目に続きます。

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