東方巡遊記

九州ツーリング II

目次

01
プロローグ
02
鹿児島中央駅~鹿児島港~桜島港~愛宕枚聞神社~湯之平展望所~腹五社神社~垂水
03
垂水~志布志~串間~都井~南郷
04
南郷~鵜戸神宮~吾平山上陵~波切神社
05
~青島~青島神社~宮崎~宮崎神宮/宮崎縣護國神社
06
宮崎~江田神社/御池~高鍋~都農神社~美々津/立磐神社~東郷
07
東郷~椎葉~上椎葉ダム/日向椎葉湖~椎葉厳島神社/鶴富屋敷~国見峠~蘇陽
08
蘇陽高森峠南郷谷箱石峠阿蘇谷阿蘇神社国造神社二重峠大津
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エピローグ

2017年8月17日(木) 6日目

阿蘇。

※当サイトの内容を過信して発生したトラブルには一切の責任を負いかねます。必ず注意事項に目を通してからレポをお楽しみくださいますよう、強くお願いします。サイト内に掲載している写真・文章等のコンテンツは、形態を問わず転載厳禁。野宿要素が大変多く含まれているので、苦手な方はお引き取りください。

蘇陽

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0430起床。もっと寝たかった。

現在地は肥後国/熊本県上益城郡山都町、蘇陽の道の駅「そよ風パーク」。暗くて目立たないうちにテントを撤収して、パーク内の駐車場に移動します。6日目を迎え、もう完全に旅モード。しかし、この旅もまもなく終わります。

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駐車場で朝食と洗面を済ませて出発準備。こちらには24時間OPENのトイレがありました。

前回は南下するほど悪天候で気温が下がり、夜は冷え込んで毎日シュラフを使っていました。今回は蒸し暑く、一度もシュラフを出していません。暑すぎて給水が追いつきませんが、雨でお寒い感じになるよりマシです。

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0600、出発。R265を北上して阿蘇方面へ。気温は22℃。霧が晴れて日が昇ってきました。

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外輪山を越えるまで緩いアップダウン。険しいルートが続くと思っていたから拍子抜け。だからといって、急坂はもう上りたくないです。

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0653、展望台にて小休止。周囲には山と森しか見えません。

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すぐに出発。外輪山の手前でR325に乗り換えると、3年前に訪れた高千穂峡や延岡・日向方面に接続します。阿蘇に入るルートは色々。プランに応じて選んでください。

高森峠

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0720、あっという間に高森峠隧道。高森峠(872.4m)を回避して外輪山を越えるトンネルです。これも歩道は通行できない構造。諦めて車道を走ります。

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高森峠隧道を抜けると外輪山の内側に。小トンネルが連続するつづら折れの下り。ここは阿蘇郡高森町です。

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展望台の北西に広がる阿蘇の眺望。これが日本有数の活火山である阿蘇山です。

古代の火山活動によって形成された巨大なカルデラ地形。1000m級の外輪山内側の火口原は集落や農地として開拓され、その中央には現在も噴火を続ける中央火口丘群がそびえます。九州の中で圧倒的にインパクトのある景色でした。

3日目の宮崎神宮(p.5)にも書いたように、神武天皇が橿原宮で大和朝廷を立ち上げた頃、出身地の九州は未だに統治できていませんでした。当地の伝説によると孫の建磐龍命は九州を治めるよう命じられ、山代国(京都府)の宇治を出発して九州中心部を目指しました。

高森の草部に着いた建磐龍命は阿蘇津媛命と出会って結婚。阿蘇津彦命と名乗って未開の阿蘇を開拓、統治したと伝わります。建磐龍命は神八井耳命の子。阿蘇津媛命は草部吉見神(日子八井命)の娘。『古事記』によると日子八井命と神八井耳命は神武天皇の子ですから、阿蘇開拓の関係者は全て神武天皇の子孫になります。

南郷谷

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0747、南郷谷(南側の平野)まで下りました。さて、どうやって阿蘇を出ようかな?

阿蘇地図 
こちらが阿蘇周辺の地図。阿蘇山の中央火口丘群のうち杵島岳(1271m)、烏帽子岳(1336.7m)、中岳(1506m)、高岳(1592.3m)、根子岳(1408.2m)を阿蘇五岳と称し、その最高峰が高岳です。

車道(阿蘇パノラマライン)と登山道が整備され、麓から山頂付近まで、自転車は3ルートでアプローチ可能。条件が良ければ中岳火口を間近で見学することもできました。しかし、昨年の熊本地震と噴火の影響で一部ルートは通行止め。火口周辺は現在でも入山規制が続いています。

今回は登山を目的としておらず装備もありません。阿蘇谷(北側の平野)にある阿蘇神社と国造神社を探訪するため、外輪山と根子岳をかすめて北側に抜けるR265を走ることにします。熊本へ抜けるには外輪山の西の切れ目を通るR57が無難ですが、熊本地震で阿蘇大橋が崩落しており、やはり通行不能に。どこかで外輪山を越えなければなりません。

※国土地理院の「地理院地図(新版)」から抜粋して掲載。「カシミール3D」で出力し、ポイントを追記しています。

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R265で根子岳へ。他の山から独立した急峻な地形で、山頂付近は天狗峰と呼ばれる岩場になっています。猫のようなシルエットだから根子岳だそうで、化け猫の伝説も残っています。

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左手には高岳&中岳。徐々に上りがきつくなります。

『日本書紀』によると古くは阿蘇国と呼ばれた地域。第12代の景行天皇が九州遠征の際に当地を訪れると、まだ開拓は進んでおらず遠くまで原野が広がっていました。天皇が「この国には誰も住んでいないのか」と言ったところ、阿蘇津彦と阿蘇津媛が現れて無人ではないと宣言。それで阿蘇と命名されたそうです。

『肥後国風土記』では景行天皇が阿蘇郡を訪れ、『日本書紀』と共通のエピソードが紹介された後に、阿蘇都彦と阿蘇都媛の社が郡家の東にあると記載。当地を開拓した神々の信仰は、ずっと昔から存在しました。単なるおとぎ話ではなく、そこに暮らす人々のルーツなのです。

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根子岳の麓を回り込む、なかな険しい上り。それでも海沿いのアップダウンよりは緩いです。

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0900、阿蘇市に入りました。根子岳を眺めつつ高原を快走します。

『日本書紀』の阿蘇国は後の阿蘇郡に相当。阿蘇山周辺にあった歴史的な行政区分でした。平成17年(2005年)には阿蘇町・一の宮町・波野村が合併。阿蘇郡のうち阿蘇谷エリアだけが阿蘇市として独立しています。

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交通量が少なく、のんびり走りを楽しめるルート。南から北東まで回り込み、もうすぐ下りです。

箱石峠

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0918、箱石峠(906m)を越えました。ここからダイナミックな下りが続きます。

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ツーリングのために存在しているとしか思えない快走路。山の風を感じながらペダルを漕いで阿蘇谷へ下ります。自転車でなければ、この感覚は絶対に味わえません。文章に出来ないほど素晴らしい道です!

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振り返ると根子岳(1408.2m)。もうここまで走ってきました。

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前方には高岳(1592.3m)と中岳(1506m)。山頂付近には阿蘇山公園道路と阿蘇山ロープウェーが整備。地震と噴火の被害を受け、通行止め・運休状態となっています。火山活動は落ち着いているようで、噴煙は見えませんでした。

『筑紫風土記』には肥後国閼宗県の閼宗岳と記載。阿蘇郡になる以前は閼宗県という表記が用いられました。肥後国4県の中心に堂々とそびえることから中岳と呼ばれ、山頂には石壁に囲まれた霊池があると記されています。この記述によると中岳=閼宗神宮らしい。

『日本後紀』でも中岳火口について記載あり。阿蘇郡山上の神霊池は水位が増減することがなく、涸れると水害や旱害、疫病の予兆と考えられました。平安時代初期、桓武天皇御代の延暦15年(796年)には太宰府から神霊池が涸れたとの報告があり、天皇は災いを恐れて賑給や読経を実施させています。

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中岳に連なる樽尾岳(1331m)。中腹の建物は仙酔峡ロープウェイの仙酔峡駅と仏舎利塔。ロープウェイは平成22年(2010年)から営業を休止。このまま廃止されるようです。

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その奥に見えるのが往生岳(1237.5m)と杵島岳(1271m)。巨大なカルデラの中に、これだけの山々が形成されました。かつては火山そのものが信仰の対象だったのでしょう。

阿蘇谷

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阿蘇谷に下りました。R265で南から阿蘇に入る場合は下りがメイン。逆に蘇陽に抜けるのは相当きついと思います。

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R57に乗り換え、阿蘇神社に向かいます。

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1000、阿蘇市街のローソンで早めの昼食タイム。ここまで約39.3km。天気は快晴…ひたすら暑い。

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1050、出発。R11で北の阿蘇神社へ。これほど快晴続きで、雨を避けられるツーリングは珍しい。本格的に雨天装備で走る日もありませんでした。レインウェアを使わないのが理想の旅なのです。

阿蘇神社

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1100、阿蘇神社前に到着。自転車を置いて散策します。

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駐車場から境内へ。肥後国(熊本県)一之宮の阿蘇神社は、全国の阿蘇神社の総本社。主祭神は阿蘇を開拓した健磐龍命(阿蘇都彦命)と妃の阿蘇都比咩命。『延喜式神名帳』には健磐竜命神社、阿蘇比咩神社と記されています。

肥後国と阿蘇郡の中心に鎮座した阿蘇神社。現在では阿蘇郡から独立した阿蘇市に属しており、外輪山北部と南郷谷の町村が阿蘇郡を維持します。尚、阿蘇郡の群家跡は発見されていません。

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楼門はシートに覆われています。

昨年、平成28年(2016年)4月に熊本を震源とする熊本地震が発生。熊本県全域に甚大な被害をもたらし、各地で復旧活動が続けられています。阿蘇神社ではシンボルの楼門と拝殿が全壊し、三つの神殿も一部が損壊。解体修理が徐々に進んでいますが、完全復旧には10年かかるそうです。

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南側の鳥居。阿蘇を開拓した健磐龍命は阿蘇大明神として崇敬され、地形や地名の由来となる様々な伝説が残っています。これは後ほど紹介していきましょう。

社伝によると孝霊天皇9年(紀元前282年頃)、健磐龍命の子の速瓶玉命が両親を奉斎したのが当社の起源。速瓶玉命の子孫は阿蘇氏という有力氏族になって阿蘇を統治。現在に至るまで阿蘇氏が阿蘇神社の宮司を務めています。

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北側の鳥居。東向きの神殿と楼門に対して、参道は南北方向に設けられている変わった構成。北には速瓶玉命をお祀りする国造神社が鎮座します。

南には阿蘇神社の御神体である阿蘇山。山頂に阿蘇神社奥宮の阿蘇山上神社が鎮座。欽明天皇14年(553年頃)に起きた阿蘇山噴火に際し、健磐龍命、阿蘇都比咩命、彦御子神の荒御魂を奉斎。噴火で被害を受けながらも祭祀が続けられています。

『日本後記』によると平安時代初期の弘仁14年(823年)、阿蘇郡の建磐神に対し当郡の封戸20戸を充てたとあります。日照りの際に雨を降らせる護国救民の頼もしい神様であると記され、火山の脅威を神格化しただけの存在ではなかったことが分かります。自然のもたらす恵みと災い…和御魂と荒御魂に通じる要素ですね。

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楼門は通行不能。左手から拝殿に向かいます。

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全壊した拝殿の代わりに仮拝殿が設けられていました。地震の被害を受けても参拝客が途絶えることはなく、阿蘇大明神の信仰は決して失われません。

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仮参拝所にて参拝。左に一の神殿、右に二の神殿、奥に三の神殿があり、健磐龍命の一族、十二柱の神々が鎮座されています。

一の神殿、一宮には主祭神の健磐龍命。三宮に国龍神(草部吉見神)、五宮に彦御子神、七宮に新彦神、九宮に若彦神。五柱の男神を祀ります。

二の神殿、二宮には健磐龍命の妃の阿蘇都比咩命。四宮に比咩御子神、六宮に若比咩神、八宮に新比咩神、十宮に弥比咩神。五柱の女神を祀ります。

三の神殿、十一宮には健磐龍命の子の速瓶玉命。十二宮に金凝明神(綏靖天皇)。二柱の男神を祀ります。次は、速瓶玉命をお祀りする国造神社に向かいましょう。

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1125、駐車場に戻って阿蘇神社を出発。田んぼの中の地道を抜けて国造神社へ。

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国造神社は北の外輪山の麓に位置します。振り返ると阿蘇五岳。いい風景ですね~

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火口原の大部分は農地に利用されています。健磐龍命が阿蘇に来た頃は広大なカルデラ湖だったのが、農地として開拓するため外輪山を蹴破って水を抜いたそうな。『肥後国風土記』でも健磐龍命について記載されていたと思われますが、大部分は現存せず、今となっては不明。本当に残念なことです。

蹴破った箇所は西の切れ目、立野火口瀬に相当。火山活動や浸食の作用で出来た急峻な渓谷であり、阿蘇谷の黒川と南郷谷の白川の合流点となります。R57とJR豊肥本線は立野火口瀬の中を並走しており、地震の前は熊本~阿蘇を結ぶメインルートでした。

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田んぼを抜けると手野の集落に入ります。

国造神社

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1210、国造神社に到着。

阿蘇神社の北に位置することから北宮とも呼ばれる社。主祭神は父の健磐龍命と共に阿蘇を開拓した速瓶玉命。『先代旧事本紀』によると崇神天皇御代(紀元前97~30年頃)、初代阿蘇国造に任命されて阿蘇を統治、整備したと伝わります。

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社前には上御倉・下御倉古墳。6世紀頃の特徴を示す古墳で、当地の開拓を指導した人物が埋葬されたと考えられています。速瓶玉命と妃の雨宮媛命の墳墓という説もあるそうで。

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境内へ。静かな社です。

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宮園川を渡り本殿へ。社伝によると崇神天皇18年(紀元前80年頃)、速瓶玉命の第一子である彦御子神によって創建されました。『延喜式神名帳』にも健磐竜命神社・阿蘇比咩神社と並んで記載。阿蘇国造の祖、国造大明神として崇敬されています。

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拝殿にて参拝。速瓶玉命、妃の雨宮媛命、第二子の高橋神、第三子の火宮神をお祀りしています。

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拝殿右手には鯰社(鯰宮)。その昔、カルデラ湖に住んでいた大鯰の霊を祀ります。

健磐龍命が外輪山を蹴破ってカルデラ湖の水を抜いた際、湖の精であった大鯰が現れました。大鯰は仕方なく湖を退去、あるいは水が無くなって涸死し、阿蘇谷は無事に開拓されました。そういう可哀想な経緯から健磐龍命は大鯰の霊を祀り、鯰の捕獲を禁じたと伝わっています。

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こちらは手野のスギ。速瓶玉命が植えたと伝わる巨木です。

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以前は天然記念物に指定されていましたが、平成3年(1991年)の台風19号の影響で主幹が折れてしまい枯死。現在では折れた主幹の一部に上屋を設けて保存・展示しています。

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1240、探訪を終えて阿蘇市街に戻ります。急に天気が怪しくなってきました。

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一旦ファミリーマートの軒下へ。

大観峰を経由して大回りするプランは却下。この天候で北の外輪山を走るのは危険です。熊本方面に抜けるにはR57+迂回路しかありません。R57で西に向かい、崩落した阿蘇大橋の手前でR23に乗り換え。二重峠で外輪山を越えてミルクロード(R339)で大津に下ります。このまま雨が降らなければいいのですが……

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しばらく休んでから出発。1340、JR豊肥本線の宮地駅に寄り道。ここが阿蘇神社の最寄駅です。はい、次行きましょう。

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R57に乗って熊本方面へ。道路情報板にもミルクロードへの迂回が表示されています。無茶をして走りすぎた旅の終わりが近付き、疲れてきました。

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1405、JR豊肥本線の阿蘇駅。大分県の大分駅から熊本県の熊本駅を結び、豊後国~肥後国で豊肥本線というネーミングの路線。地震の影響により、現在は熊本駅と通じていません。

阿蘇大橋と並走する区間が甚大な被害を受けたことで肥後大津駅~阿蘇駅は運休となり、完全復旧の時期は未定。車道もR57が通行不能のため峠越えの迂回をしなければならず、熊本から阿蘇へのアクセスは大幅に制限されています。それを承知した上で阿蘇に乗り込んできたわけですから、旅人の私には不便だとか言う権利は一切ありません。粛々と迂回路を通って帰ります。

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阿蘇駅に隣接する道の駅「阿蘇」。

車中泊向けの設備が充実する一方で、野宿禁止と明記。確かに道の駅を寝場所に利用するほうが間違っていますし、アホな旅人のせいで野宿禁止になった施設は沢山あります。こうして明記されると締め出されている印象を受けてしまい、善良(?)な旅人として悲しくなるのでした。

ここまで約57.1km。長居したくないので少し休んでから出発。

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と思ったら突然の土砂降り!

軒下に退避してきたライダーと共に様子見。久留米在住の方で、ちょうど大津から走ってきたところでした。迂回路で熊本方面に抜けるには手強い上りが立ちはだかり、二重峠を越えてしまえば緩い下りのルートとのこと。

スマートフォンで今後の天気を確認してもらうと、雨は一過性のもので1時間後には晴れるとの予報。念のためレインカバーを装着し、雨天走行に備えます。本降りの雨はすぐに止み、そろそろ出発できそうな気配。

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1515、出発。ラストスパートです。このペースなら大津まで2時間ぐらい。

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R57は赤水の先で通行止め。車は渋滞気味、路側帯を安全に走行します。

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まもなく迂回路。この先のR57は熊本~阿蘇を結ぶメインルート。黒川に架かる阿蘇大橋が地震で崩落して通行不能となり、北の阿蘇谷はミルクロード(R339)及び二重峠(R23)、南の南郷谷は俵山トンネル(R28)が迂回路に。

10日後の8月27日には南の阿蘇長陽大橋が復旧し、ひとまず南郷谷へのアクセスは元通りになる予定です。阿蘇大橋が下流に再建されるのは2020年になるそうで、ストレートに阿蘇谷と通じるまで3年かかります。

二重峠

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1600、ミルクロード入口交差点でR23へ。

西には二重峠を越えるつづら折れの急坂が。健磐龍命が最初に外輪山を蹴破ろうとした際、堅牢すぎて破ることが出来なかったという二重峠。麓から見上げるだけでも険しい山道だと分かります。

南の立野火口瀬を蹴破った際には尻餅をつき、「立てぬ」と言ったから立野という地名になったとか。『出雲国風土記』で八束水臣津野命が国引きを終えた際、「終え」と言って意宇の地名が生まれたエピソードを連想します。

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1628、二重峠展望台に辿り着きました。交通量が多くて路側帯を走れるような余裕はなく、麓からずっと自転車を押して歩く羽目になりました。先客のアベックらしきライダーに失笑されますが、お構いなしにベンチに倒れ込んで休憩……

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展望台から東の眺望。快晴だった阿蘇五岳は雲の中に沈んでいます。桜島から阿蘇山へ。火山に始まり火山に終わる旅。九州は火山の島なのでした。

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小雨が降り出したのですぐ出発。いつの間にか二重峠(680.1m)を越え、大津方面に下るミルクロード(R339)に合流します。反対から上ってきたロードバイクのサイクリストを応援。この天候で阿蘇へアタックするのは大変でしょう。

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最後の峠越えをクリアして菊池郡大津町へ。今更ながら、椎葉を経て阿蘇に入るルートより阿蘇から出るほうが遥かにハードだったことに気付きました。 どれだけきつい上り道でも、必ず終わりはあります。そうやってギリギリ気力を保ち、ここまで走ってきました。

大津

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1717、無事、大津市街に下りました。ゴールの熊本まで、あと30kmもありません。

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1725、道の駅「大津」でストップ。本日の走行距離は約81.5kmになりました。R57に面しており、車の出入りが多そうな雰囲気。

明日はゆっくり熊本へ。明後日の早朝、新幹線を利用して帰ります。今のうちにJR熊本駅付近のビジネスホテルを調べて確保。営業時間を過ぎたら適当な軒下にテントを張らせてもらいます。

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近くのセブンイレブンで質素な夕食。地元の人とお喋りすると半分ぐらい聞き取れず、九州の訛りの強さを実感するのでした。

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いつも通りムーンライトテント1型を展開。テント以外はグラウンドシート・ダウンシュラフ・エアマット&ピローから構成されています。
(詳細は野宿セットのページを参照)

阿蘇方面では大雨が降っているようで稲光が見えました。天気のスキマをすり抜け、雨を回避してきた今回の旅。多分、明日も明後日も快晴に恵まれることでしょう。

2100、暑さにも慣れて就寝。
7日目に続きます。

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