東方巡遊記

九州ツーリング II

目次

01
プロローグ
02
鹿児島中央駅~鹿児島港~桜島港~愛宕枚聞神社~湯之平展望所~腹五社神社~垂水
03
垂水~志布志~串間~都井~南郷
04
南郷鵜戸神宮吾平山上陵波切神社
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10
エピローグ

2017年8月14日(月) 3日目

神話探訪。

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南郷

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0400起床。睡眠が足りません。

現在地は日向国/宮崎県日南市、南郷の道の駅「なんごう」。テントを撤収したら軽くストレッチ。まだ体が重い。0450、とりあえず出発します。

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R448に乗って南郷市街へ。最初のコンビニで朝食にします。

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0515、JR日南線の南郷駅。この駅舎は寝場所向き…そんなことばかり考えます。日の出前の静かな街。周辺にコンビニは見当たりません。

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R220に乗り換えるとセブンイレブンを発見。地元の方と談笑しながら朝食タイムとします。

本日はR448とR220を乗り継いで日南海岸を北上。最初の探訪ポイントである鵜戸神宮と青島神社へ。距離的には宮崎より先に伸ばしてもいいぐらい。寝場所は時間次第で決めましょう。

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0610、出発。今日も快晴です。アップダウンをこなして宮崎方面へ。

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日向灘沿いのR220、日南フェニックスロードを飛ばします。青い空、青い海、強い日差し…最高のコンディション!こういう南国らしい道を求めていたんです。

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有名なルートだけあって交通量は多いです。殆ど九州ナンバーで、本州から来ているのは走り屋ぐらい。ドライバーは意外と大人しく、危険な運転には遭遇しませんでした。

鵜戸神宮

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快走路を抜けて、まもなく鵜戸神宮。前回は色々あってカットせざるを得ませんでした。

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R220を逸れて参道へ。この辺りは小さな漁港になっています。

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0740、八丁坂参道の入口にやってきました。ここに自転車を放置するのは気が進みません。

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というわけで、R443で西側の駐車場まで上ります。

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0748、鵜戸神宮の駐車場に到着。ここまで約27kmでした。

例によってサイクルコンピュータの反応が鈍り、出発からの走行距離が計測されていませんでした。雨や振動に弱くて使い物にならず、困ったものです。

鵜戸神宮地図 
こちらが鵜戸神宮周辺の地図。日向灘に突き出た鵜戸崎に位置しており、断崖の岩窟内に本殿が建てられている珍しい社です。最高峰の速日峯(152m)には祭神のものとされる陵墓も。じっくり探訪すれば1時間以上かかりそう。

※国土地理院の「地理院地図(新版)」から抜粋。「カシミール3D」で出力し、ポイントを追記。利用規約に基づいて掲載しています。

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自転車を置いて探訪モード。駐車場の左手に八丁坂参道の入口があります。

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別当墓地を経て本殿に通じる八丁坂。ここは後から訪れましょう。

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新参道を歩いて境内へ。

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鵜戸崎隧道を抜けると日向灘です。

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こじんまりした観光地。本殿を守護する神犬石がありました。

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宮崎県西臼杵郡高千穂町~西諸県郡高原町まで、日向国を縦断する「ひむか神話街道」として整備されています。

2014年9月の「九州ツーリング I」では天岩戸神社(p.4)、霧島六社権現(pp.5-6)、高千穂峰(p.7)など、岩戸開きや天孫降臨の舞台を探訪。宮崎神宮・青島神社・鵜戸神宮は行程の都合でカットしてしまったので、今回の旅では宮崎の社を一括補完していきます。

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神門をくぐって本殿に向かいます。

主祭神は日子波瀲武??草葺不合尊。神日本磐余彦尊(後の神武天皇)の父として知られる神様です。天照大御神の孫である瓊瓊杵尊から 神日本磐余彦尊の系譜は前回のレポで紹介済み。独立したレポとして読めるよう以下コピペ。かなり重複するので、ご存知の方は読み飛ばしてもらって構いません。

『古事記』と『日本書紀』の記述によると、天孫の瓊瓊杵尊は葦原中国の日向に天降った後、山神である大山祇神の娘の木花開耶姫命に出会って結婚。木花開耶姫命は一夜で身籠り貞操を疑われたことから、天孫の子であることを証明するため自ら産屋に火を放ち、三柱の子(火照命、火須勢理命、火遠理命)を出産します。

ある時、三男の火遠理命(山幸彦または彦火火出見尊)は、長男の火照命(海幸彦または火闌降命)の道具を紛失。それがきっかけで海神、大綿津見神の娘の豊玉姫命と結ばれます。海で暮らす豊玉姫命は天孫の子を出産するため陸に上がりますが、鵜の羽で産屋の屋根を葺き終えないうちに産まれたので、鵜葺草葺不合尊という名になったそうな。

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海を眺めつつ楼門へ。左手には吾平山上陵への登り口。これも本殿参拝の後で寄り道しますよ。

海神の娘である豊玉姫命の本来の姿は、『古事記』では八尋和邇(サメだかワニだか)。『日本書紀』では竜と記載されています。彦火火出見尊はこっそり産屋を覗いてしまい。妻の正体を知って驚愕。その姿を見られた豊玉姫命は海に帰ってしまいますが、子の養育のため妹の玉依姫命を派遣します。

成長した鵜葺草葺不合尊は育ての親である玉依姫命と結婚し、四柱の子(五瀬命、稲飯命、御毛沼命、若御毛沼命)が生まれ、四男の若御毛沼命が神日本磐余彦尊、後の神武天皇となります。 『日本書紀』によると、神日本磐余彦尊が東征を開始したのは天孫降臨から179万2470余年後…長いですね。

尚、瓊瓊杵尊と木花咲耶姫命、彦火火出見尊と豊玉姫命、鵜葺草葺不合尊と玉依姫命の三代の夫婦神は日向三代と称し、高千穂峰の麓に点在する霧島六社権現にてお祀りされています。説明が重複する部分もありますから、前回のレポと併せてどうぞ。

火遠理命と火照命…すなわち山幸彦と海幸彦のエピソードや、「儚月抄」に登場する綿月豊姫と綿月依姫のモチーフなど、東方的な話題は青島神社(p.5)で触れましょう。一度に紹介するのは大変です。

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立派な楼門をくぐります。

社伝によると崇神天皇御代(紀元前97~30年頃)の創建。奈良時代末期の延暦元年(782年)には光喜坊快久が別当となり再興。鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺と称し、修験道の拠点に発展しました。長らく神仏習合の社寺として栄えますが明治時代の神仏分離・廃仏毀釈の影響を受け、現在の鵜戸神宮に仏教要素は残っていません。

ちなみに当神宮における神使は兎。「鵜」が「卯」に転じて神使になったそうです。月の民が使役する玉兎とは関係ないと思う。

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千鳥橋を渡ります。

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神橋の手前。運玉のモニュメントがありました。

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下に見える鳥居が本殿エリア入口。豊玉姫命は、この断崖の岩窟内に産屋を作り、鵜葺草葺不合尊を出産されたと伝わっています。

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神橋(玉橋)を渡って本殿エリアへ。ここから先は神域となります。

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急な石段。足元に気を付けて下ります。

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鳥居をくぐり、岩窟内の本殿にて参拝。産屋跡に豪華な社殿が建てられていました。主祭神は日子波瀲武??草葺不合尊。相殿に大日?貴(天照大御神)、天忍穂耳尊、彦火瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、神日本磐余彦尊をお祀りしています。

彦火火出見尊に本来の姿を見られた豊玉姫命は、育児のため自分の乳房を岩に貼り付けて海に帰りました。想像すると怖いですが、岩窟内にはお乳岩が残されています。あまりにも神秘的な空間だったので写真は撮りませんでした。

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岩窟正面には、波の侵食で出来た奇岩が並んでいます。こういう荒々しい地形から信仰が生まれたのでしょうね。

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『日本書紀』の一書にあるように豊玉姫命が出産のために乗ってきたという霊石亀石。亀のような形状の巨岩で甲羅の部分に窪みがあり、運玉を投げて見事INすると願いが叶うらしい。中の人が窪みを清掃していました。

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では、参道に戻ります。

吾平山上陵

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次は吾平山上陵へ。

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神武天皇御降誕傳説地の碑。鵜葺草葺不合尊が暮らした西洲宮の跡地とも。

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倉稲魂神を祀る鵜戸稲荷神社。

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恵比須神社の左に、吾平山上陵への登り口があります。分岐を右折すると波切神社にも繋がっている模様。時刻は0848、ちょうど1時間経ちました。

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取り付き開始。スズメバチにご注意下さい。

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分岐を直進して御陵へ。

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急で滑りやすい石段が続きます。ハイキングシューズは必須。

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速日峯(152m)にひっそり佇む陵墓。

『日本書紀』によると、鵜葺草葺不合尊は西洲宮で亡くなり日向の吾平山上陵に埋葬されました。吾平山上陵は古くから所在不明になり、各地に候補地が点在。明治時代には大隅国(鹿児島県)の山陵が鵜葺草葺不合尊の御陵に治定。こちらは宮内庁によって、鵜戸陵墓参考地という位置付けで管理されています。

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先程の分岐に下ります。

波切神社

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波切神社へ。こっちも険しいルート。

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波切神社は海に面した岩窟内にあります。鵜戸神宮との関係は分かりません。

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波切不動尊とありますが由緒等の詳細は不明。地元の漁師さんに信仰されているようです。

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打ち寄せる波の音が岩窟内に響いていました。そろそろ自転車に戻りましょう。

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0935、登り口まで戻りました。

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暑すぎるので一旦休憩タイム。観光客が増えてくる時間です。

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東側の駐車場から鵜戸埼灯台に寄り道。ランドマークを見つけると寄っていく習性。

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鵜戸神宮の景観にマッチするよう石灯籠風にデザインされた鵜戸埼灯台。空気が霞んできました。

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2時間経ったことに気付き、新参道を引き返します。

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最後に八丁坂参道へ。奈良時代末期の延暦年間(782~806年)に整備された本参道です。

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直進すると本殿。右手に仁王護国寺の別当墓地。鵜戸神宮が神仏習合だった時代の名残となります。

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1005、ようやく自転車に戻ってきました。しばらく休憩してから宮崎方面へ。
次ページに続きます。

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