宇治探訪 III 1/2/3

2015年5月1日(金)
春の宇治探訪。
水橋パルスィと 藤原妹紅の元ネタ巡り。
宇治の平等院周辺を歩きます。

※当サイトの内容を過信して発生したトラブルには一切の責任を負いかねます。
必ず注意事項に目を通してからレポをお楽しみくださいますよう、強くお願いします。

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0748、京阪宇治線の宇治駅にて下車。
通勤・通学ラッシュに紛れてやってきました。
天気は快晴、気温は24℃。今日は暑くなりそうです。

宇治地図 
こちらが宇治周辺の地図。
本日は東方関連で平等院鳳凰堂と橋姫神社。
個人的な趣味で天ヶ瀬ダムや宇治上神社を巡ります。
山歩き要素の少ない、気楽な探訪プラン。

※国土地理院の「地理院地図(新版)」から抜粋。
「カシミール3D」で出力し、ポイント及びルートを追記。
利用規約に基づいて掲載しています。

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宇治駅を出発。
早速、宇治川に架かる宇治橋へ。
ここは京都府宇治市です。

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R7の宇治橋を渡ります。
最初に宇治橋が架けられたのは大化2年(646年)のこと。
現在の橋は平成8年(1996年)に架け替えられました。

北西の下流方面に見えるのは愛宕山(924m)。
東方的には、「儚月抄」の綿月依姫の神降ろしで登場する愛宕様。
2015年12月の「愛宕山ハイキング IV」でカバーしています。

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宇治橋西詰交差点。
ここでJR宇治駅や平等院に分岐します。

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こちらがJR奈良線の宇治駅。
アクセス的にはそれほど変わりませんが、
宇治橋を渡って平等院に向かう京阪のほうがオススメ。

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R15からR3に乗り換え、橋姫神社を経て平等院へ。
ここは『源氏物語』、宇治十帖の舞台としても有名ですね。

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橋姫伝説でお馴染みの橋姫神社にやってきました。
地味な佇まいで、意外と気付きにくい。

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祭神は瀬織津媛と住吉明神。
宇治橋の守護や悪縁切りで知られています。
左の看板は・・・ノーコメントで。

橋姫伝説は、「地霊殿」の水橋パルスィの元ネタの一つ。
橋姫が渡辺綱に片腕を斬り落とされたというエピソードは、
茨木童子がモデルと思われる茨木華扇にも当て嵌まります。
もっとも、パルスィはペルシャの伝説も元になってますし、
橋姫そのものというわけではないと思います。はい。

尚、宇治の橋姫伝説が伝わる貴船神社奥宮については、
2013年6月の「鞍馬・貴船ハイキング II」でカバーしています。

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R3で先程の交差点に戻りました。
この鳥居は、橋姫神社の先にある縣神社の一の鳥居。
後で寄り道しましょう。

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再び宇治橋。
『源氏物語』の作者とされる紫式部像があります。
時刻は0840、そろそろ観光客が増え始める時間。

ご覧のように、宇治川周辺は大規模工事中。
洪水対策として塔の島地区の河川改修が進んでいます。

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橋の中ほどには、三之間と呼ばれる張り出しが見えます。
大化2年に橋が架けられた際、瀬織津媛をお祀りした名残だとか。

宇治橋の三之間で生まれた橋姫伝説。
瀬織津媛は西詰でお祀りするようになりましたが洪水で流失。
明治39年(1906年)に、現在の橋姫神社に遷されました。

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では、R248の表参道に入って平等院へ。

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ここから表門前広場。

平成6年(1994年)、「古都京都の文化財」として、
京都府や滋賀県にある17の寺社が世界遺産に登録されました。
宇治周辺では、平等院と宇治上神社が含まれています。

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庭園開門は0830~1730。
拝観料は600円となっています。

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0855、表門をくぐって庭園にINします。
既に観光客がいっぱい。

かつて源融の別荘だった地が、藤原道長の別荘である宇治殿になり、
永承7年(1052年)に息子の頼通が寺院に改めたのが平等院の始まり。
この辺りの歴史は御存知でしょうから、基本的には割愛させてもらいます。

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まずは左手、観音堂の手前にある扇の芝へ。
こっちに寄っていく人は皆無の様子。

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扇の芝。
治承4年(1180年)、平氏打倒を掲げて
以仁王と共に挙兵した源頼政が追い詰められ、
この芝生の上で自刃したと伝えられています。

こんな探訪をやっている割に、私は歴史マニアではありません。
東方にハマらなければ、平等院を訪れることもなかったでしょう。

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藤棚前は一眼レフカメラマンで溢れています。
あの煙は・・・蓬莱の薬でも焼いてるのかな。

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というわけで本日のメイン。もこたん堂・・・じゃなくて鳳凰堂。
天喜元年(1053年)、藤原頼通によって阿弥陀堂として建立された仏閣です。
特定の宗派には属さない単立寺院で、山号は朝日山となっています。

「永夜抄」に登場した藤原妹紅の元ネタとして大変有名な鳳凰堂。
もはや元ネタの説明をする必要も無さそう。

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これは2013年5月1日撮影分。
平成24年(2012年)9月から、鳳凰堂を建立当時の姿の近付けるための修理工事が開始。
平成26年(2014年)3月末に主な修理を終えるまで、シートに覆われていました。

遠方から訪れる際は、この手の情報を必ず調べておきましょう。
せっかく来たのに見られなかったら、とても悲しいことに・・・

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そして2014年4月7日撮影分。
リザレクションしたばかりのもこたん堂を見物にやってきました。
尾廊の修理は継続中で、全ての修理を終えたのは9月末のこと。
ちなみに、修理以前の鳳凰堂を訪れたことはありません。

「永夜抄」と「儚月抄」のベースとなった、作者不詳の『竹取物語』。
かぐや姫との結婚を画策して蓬莱の玉の枝を偽造させた車持皇子は、
藤原不比等をモデルにしているとの説が広く知られています。

こういった共通点から、蓬莱山輝夜に難題を吹っかけられたのは
不比等であり、その娘が藤原妹紅だったという考察に繋がるわけですね。

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浄土式庭園に分類される平等院。
鳳凰堂は極楽浄土の宮殿をイメージしたもので、
左から南翼廊、中堂、北翼廊。奥に尾廊という構成。
正面にあるのが阿字池となります。

一見地味な鳳凰堂は、まさに藤原氏の繁栄を象徴する仏閣。
『竹取物語』と「永夜抄」のエピソードではヘタレ扱いの不比等ですが、
実際には藤原氏の繁栄時代を築いた人物なのです。

ちなみに、不比等の父親は藤原氏の始祖である藤原鎌足。
大化の改新の中心人物となった中臣鎌足と同一人物ですから、
「神霊廟」の豊聡耳神子、蘇我屠自古、物部布都とも
深い関係、というか因縁があります。

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屋根には一対の鳳凰、フェニックスが設置されています。
金メッキ処理を施して建立当時の姿を再現していますが、
保存上の観点からレプリカとなっています。

不比等&もこたんは飛鳥~奈良時代の人物。
『竹取物語』の時代設定も奈良時代と考えられています。
不比等は平安時代の人物ではなく、鳳凰堂を建てたわけでもありません。
よく勘違いされているので、間違えないように・・・

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中堂正面から。外人さんにも大人気。
この内部に阿弥陀如来像が安置されています。

不比等が死去したのは養老4年(720年)のこと。
鳳凰堂が完成した頃、もこたんは既に370歳ぐらい。
今では1300歳といったところですが、東方ではよくあること。

蓬莱人になったもこたんは、ひっそりと鳳凰堂を見物に訪れ、
自分と鳳凰の姿を重ね合わせたことでしょう。

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せっかくの機会なので、沢山撮って掲載します。
南北翼廊の屋根には鳳凰と同じく金メッキの宝珠。

小ネタ程度の話題になりますが、
『古事記』の編纂者の一人として知られる稗田阿礼は、
不比等と同一人物だとする説があります。

東方では、稗田阿求は阿礼の生まれ変わりですから、
阿求ともこたんは実の親子と考えることも可能なのです。
但し、阿礼=不比等という説は有力ではありませんので、
話半分に聞いておくのがいいと思います。

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阿字池の鯉&中堂の鳳凰。

書くことが尽きてきたので、小ネタをもう一件。
平安~鎌倉時代の人物である西行法師(佐藤義清)は藤原氏の一族であり、
不比等から400年以上後の時代の子孫ということになります。

「妖々夢」の西行寺幽々子は、西行の娘をモデルにしていると考えられます。
つまり、もこたんと幽々子様は血縁関係にあるわけですが、
幽々子様は亡霊になって生前の記憶もありませんから、
今となってはどうでもいいことです。

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鳳凰堂の正面に見えるのは仏徳山(131.8m)。
後で登ります。

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2014年撮影分。
桜のシーズンということで、桜を入れてみました。

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同じく2014年撮影分。
こういう写真を撮るのは向いてません。センス的な意味で。

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こちらは鳳凰堂の左手にある、平等院ミュージアム鳳翔館。
平成13年(2001年)に開館した現代的な博物館です。

国宝の雲中菩薩供養像や鳳凰等を展示。
開館は9時からとなっています。

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鳳翔館を出て、引き続き散策。
鳳凰の上にカラスが乗ってました。
焼き鳥にされそう。

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鳳翔館の手前には、伏見桃山城から移された旧南門。
ここから浄土院と最勝院に寄っていきましょう。

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浄土宗の栄久上人によって開かれた浄土院。
頼政に仕えた太敬庵通圓の墓もあります。

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浄土院から最勝院へ。
2ページ目に続きます。

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