東方巡遊記

伏見稲荷大社探訪 V

2022-08-07 改訂
2009-05-29~2022-07-30 実施

「東方巡遊記」にアクセスしていただき、誠にありがとうございます。当サイトの情報は一旅人の感想に過ぎません。記載内容を過信して発生したトラブルには一切の責任を負いかねますので、必ずサイトの趣旨を理解した上で記事をお読みください。サイトに掲載する写真・文章等の著作権は管理人のMarcyが有します。コンテンツの転載や二次使用は形態を問わず固く禁じます。

目次

01.「伏見稲荷大社探訪」の目次と概要

27.稲荷社の歴史を残す江戸期の常夜燈

常夜燈

江戸時代の貴重な常夜燈竈家を称した東羽倉家「稲荷山復元記念之碑」の由緒

稲荷社の歴史を残す江戸期の常夜燈

常夜燈

 十石橋手前の石燈籠(常夜燈)
2020年9月19日。啼鳥菴から十石橋に至る参道(p.26を参照)を探索します。

十石橋手前の石燈籠(常夜燈) 十石橋手前の石燈籠(常夜燈) 十石橋手前の石燈籠(常夜燈)
2019年8月4日、2020年9月19日、10月11日。参道脇に並ぶ石燈籠(常夜燈)。このページでは江戸時代に奉納された常夜燈を一つずつ紹介します。

江戸時代の貴重な常夜燈

伏見稲荷の参道や境内に立ち並ぶ常夜燈をよく見ると、明治や大正に混じって江戸時代の元号が刻まれていることに気付きます。奉納年月日はもちろん、奉納した講や庶民の名、奉納を取り次いだ社家や愛染寺をはっきり読み取れる常夜燈が数多く残っており、稲荷社の歴史を伝える貴重な文化財です。既に本記事では表参道(p.5)と神幸道(p.6)、本殿周辺(p.8)、山麓参道(p.16)の興味深い常夜燈を紹介しました。

伏見稲荷大社探訪 V|表参道で秦氏と稲荷社の歴史を紹介
かつての稲荷社には祭祀や運営を担う社家がおり、江戸時代後期の記録では東大西家、北羽倉家、大西家、羽倉下野家、毛利分家、祓川家、松本家、羽倉家、毛利家。西羽倉家、中津瀬家、鳥居南家の屋敷を確認できます。これらの社家は稲荷社の由緒に登場する秦氏や荷田氏の末裔の意識を持ち、大西家や毛利家は秦氏系、羽倉家は荷田氏系でした。残念ながら明治の神社改革によって衰退を余儀なくされ、大西家の一部のみ存続しています。(社家についてはp.5を参照

伏見稲荷大社探訪 V|稲荷社の一大勢力だった愛染寺跡
稲荷社を支えたもう一つの勢力が愛染寺です。室町時代の応仁の乱の後、稲荷社復興のために奔走した勧進聖の活動に始まる愛染寺。江戸時代には稲荷社の社家を凌ぐほどに発展し、庶民に神仏習合の稲荷信仰を広めました。愛染寺の諸堂は明治の神仏分離に際し、仏教勢力に反発していた社家の主導で跡形もなく抹消されてしまいますが、「愛染寺」と刻まれた常夜燈は境内各所に残ります。(愛染寺についてはp.10を参照

社家と愛染寺は常夜燈の奉納を取り次ぐ立場。実際に奉納したのは稲荷の神様を崇敬する庶民であり、その多くは崇敬者の集まりである講に所属していました。常夜燈に刻まれた「日之出搆」や「道具講」など多種多様な講の存在を確認できるだけでなく、今となっては素性も分からない庶民の名を通じて、近世の稲荷信仰の在り方を再認識できます。昔の稲荷社を知るには、朱塗りの鳥居ではなく石燈籠に注目しなければなりません。

「稲荷社御寶前」「奉寄進永代常夜燈」と刻まれた常夜燈 「祈祷所 大西播磨守」「岩部 中村」と刻まれた常夜燈
2020年10月11日。江戸時代前期、元禄10年(1697年)丁丑歳の卯月吉日に奉納された常夜燈。柱に「稲荷社御寶前」「奉寄進永代常夜燈」「祈祷所 大西播磨守」「 岩部 中村」と刻まれています。大西とは上述した秦氏系の社家。稲荷社を崇敬する二人の庶民が、大西氏の取り次ぎで常夜燈を奉納したと読み取れます。旧字体の「稻」が用いられていますね。

「常夜燈」「講中」と刻まれた常夜燈 「御祈祷所 社司大西下総守」と刻まれた常夜燈
2020年10月11日。「常夜燈」「講中」「御祈祷所 社司大西下総守」。奉納年月日は江戸後期、宝暦3年(1753年)癸酉年の2月初午です。平安時代に生まれた2月初午の稲荷山参詣の風習は江戸時代に受け継がれ、この日に合わせて常夜燈を奉納する崇敬者もありました。それは現代の鳥居奉納も同じです。(初午詣についてはp.19を参照

愛染寺の痕跡として最も有名な常夜燈 愛染寺の痕跡として最も有名な常夜燈
2020年9月19日。愛染寺の痕跡として最も有名な常夜燈。境内で一番見つけやすいです。

「稲荷山御神前」「宿坊 愛染寺」と刻まれた常夜燈 「稲荷山御神前」「奉寄進永代常夜燈」と刻まれた常夜燈
「京衣棚 服部清兵衛 京銭座」と刻まれた常夜燈 「京衣棚 服部清兵衛 京銭座」と刻まれた常夜燈
2020年10月11日。「稲荷山御神前」「奉寄進永代常夜燈」「宿坊 愛染寺」「京衣棚 服部清兵衛 京銭座」。奉納年月日は江戸中期、元禄14年(1701年)辛巳歳の10月吉日です。衣棚の服部清兵衛なる人物は不詳。銭貨を鋳造した京銭座の関係者なのでしょうか。愛染寺が稲荷社の一大勢力だったことを示す重要な常夜燈です。

稲荷社参道の常夜燈
「敷石 燈籠 有志 輩」と刻まれた常夜燈 「祈願所 羽倉御殿預」と刻まれた常夜燈
2019年8月4日と2020年9月19日。「祈願所 羽倉御殿預」「敷石 燈籠 有志 輩」。奉納年月は明治3年(1870年)庚午年の11月です。羽倉とは荷田氏系の社家のこと。明治3年は稲荷社の社家が衰退する直前にあたります。この時点で愛染寺は破却されており、稲荷社には存在しませんでした。

稲荷社参道の常夜燈 「永代常燈 幾世講」と刻まれた常夜燈
「祈願所 大西相模守」と刻まれた常夜燈 嘉永2年(1849年)に奉納された常夜燈
2020年9月19日と10月11日。「永代常燈 幾世講」「祈願所 大西相模守」「伴庄兵衛」。奉納年は江戸後期の嘉永2年(1849年)です。江戸時代の「守」は単なる肩書のようなものであり、昔の国司のように行政を担ったわけではありません。

稲荷社参道の常夜燈
2020年10月11日。十石橋から鳥居が立ち並ぶ参道へ。伏見稲荷の記録によると昭和35年(1960年)、社頭に点在する石燈籠50基が参道両脇に移設されました。境内の整備に伴う移設は度々行われているようで、啼鳥菴の建設地にあった常夜燈は、エレベーター乗り場に通じる参道(p.11を参照)に移設されたと思われます。

「永代常夜燈 両基」と刻まれた常夜燈
2020年10月11日。まずは「永代常夜燈 両基」から見ていきましょう。

「奉寄進稲荷社御寶前」と刻まれた常夜燈 元禄15年(1702年)壬午歳に奉納された常夜燈
「田中亀太良 宿坊 愛染寺」と刻まれた常夜燈 「田中亀太良 宿坊 愛染寺」と刻まれた常夜燈
2020年10月11日。「奉寄進稲荷社御寶前」「田中亀太良 宿坊 愛染寺」。奉納年は江戸中期の元禄15年(1702年)壬午歳です。常夜燈は日陰に移されたり、風化して読みにくい場合があります。こうしてライトで照らすと奉納年や愛染寺の文字が浮き上がり、稲荷社の歴史を再発見できるのです。

稲荷社参道の常夜燈
「永代常夜燈」と刻まれた常夜燈 「取次 羽倉摂津守」と刻まれた常夜燈
2020年9月19日。「永代常夜燈」「取次 羽倉摂津守」「福原□□ 小児中」「大阪」。奉納年月日は江戸後期の安永6年(1777年)丁酉歳の9月吉日です。

238
183 181
2020年9月19日と10月11日。「永代常夜燈」「取次 羽倉摂津守」「西京」「大阪」。奉納年月日は江戸後期の安永6年(1777年)丁酉歳の9月吉日。向かいの常夜燈とともに奉納されました。

福岡市の崇敬者の松井スミ氏により再々興された永代常夜燈 福岡市の崇敬者の松井スミ氏により再々興された永代常夜燈
福岡市の崇敬者の松井スミ氏により再々興された永代常夜燈 福岡市の崇敬者の松井スミ氏により再々興された永代常夜燈
2020年9月19日と10月11日。平成8年(1996年)丙子歳の4月、福岡市の崇敬者の松井スミ氏により再々興された永代常夜燈。松井氏は平成9年(1997年)に参道改修奉納(p.13を参照)を行っています。元々の常夜燈は江戸初期、慶安元年(1648年)戊子歳の5月に 「安藤左馬之助 御前丁町中」によって奉納されました。

「江州草津 奉献永代常夜燈 池尾其兵衛」と刻まれた常夜燈 「江州草津 奉献永代常夜燈 池尾其兵衛」と刻まれた常夜燈
「宿坊 愛染寺」と刻まれた常夜燈 安永2年(1773年)癸巳年の8月に奉納された常夜燈
2020年10月11日。「江州草津 奉献永代常夜燈 池尾其兵衛」「宿坊 愛染寺」。奉納年月は江戸後期、安永2年(1773年)癸巳年の8月です。愛染寺が取り次いだ常夜燈は意外なほど残っています。

稲荷社参道の常夜燈 「京スワノ町 神事講 藤原忠二良」と刻まれた常夜燈
延享元年(1744年)甲子歳の11月吉日に奉納された常夜燈 「祈祷所 祓川佐渡守」と刻まれた常夜燈
2020年9月19日と10月11日。「常夜燈」「京スワノ町 神事講 藤原忠二良」「祈祷所 祓川佐渡守」。奉納年月日は江戸中期の延享元年(1744年)甲子歳の11月吉日。祓川は秦氏系の社家です。

神事講は稲荷祭の復興に活躍した講。応仁の乱の影響で縮小された稲荷祭は江戸後期の安永3年(1774年)から本格的に復活。庶民によって結成された神事講の奉賽により、神輿渡御における祠官の供奉が叶いました。当時作成された豪華な装丁の講員名簿が、伏見稲荷の宝庫に保管されているそうです。

稲荷社参道の常夜燈 稲荷社参道の常夜燈稲荷社参道の常夜燈 朱塗りの鳥居が見える参道
2020年10月11日。朱塗りの鳥居が見える参道。1枚目は千本鳥居の入口(p.13を参照)。4枚目は奥社奉拝所から三叉路に至る参道(p.16を参照)です。伏見稲荷といえば朱塗りと鳥居と狐像であり、参道脇の石燈籠は完全に見落とされているのが現実。だからこそ徹底的に探訪して紹介するのです。

火袋に鹿が彫られた春日燈籠 朱塗りの鳥居が見える参道
根上りの松 朱塗りの鳥居が見える参道
2019年2月24日。同じ場所です。火袋に鹿が彫られた春日燈籠は稲荷山では珍しい存在。昭和の常夜燈まで確認するときりがないから、ここでは江戸時代に主眼を置きます。全ての常夜燈や記念碑を調べてデータベース化すれば、稲荷社の様相を後世に伝える貴重な資料になるでしょう。

稲荷社の永代常夜燈
稲荷社の永代常夜燈 稲荷社の永代常夜燈
2020年9月19日と10月11日。この「永代常夜燈」にも色々刻まれています。

慶安元年(1648年)戊子歳の5月に「安藤左馬之助 御前丁 町中」によって奉納 「祈祷所御殿預竈」と刻まれた常夜燈
元文2年(1737年)丁巳歳の正月吉日に「願主 前之町中 寄講中」により再興された常夜燈 元文2年(1737年)丁巳歳の正月吉日に「願主 前之町中 寄講中」により再興された常夜燈
2020年10月11日。江戸中期、元文2年(1737年)丁巳歳の正月吉日に「願主 前之町中 寄講中」により再興された常夜燈。元は江戸初期、慶安元年(1648年)戊子歳の5月に「安藤左馬之助 御前丁 町中」によって奉納されました。安藤左馬之助がどのような人物だったのか知る術はなくても、こうして名が残されたことに価値を感じます。

竈家を称した東羽倉家

この常夜燈の注目箇所は「祈祷所 御殿預竈」。上述した稲荷社の社家のうち、御殿預の東羽倉家(荷田氏系)は「竈家」を称しました。東寺に伝わる『稲荷大明神流記』には荷田氏の祖神たる竜頭太が登場。空海が作った竜頭太の面は竈戸殿にお祀りされたことから、竈神の要素を持っていたと考えられます。竈の火を守る竈神は田の神様でもあり、荷田氏の信仰や役割を考察する上で重要な存在です。

中世に荷田氏の後裔を称して台頭した羽倉氏は、かつての荷田氏の竈神信仰の名残で「竈家」を名乗ったのではないでしょうか。秦氏系の毛利公治が江戸時代前期の元禄7年(1694年)に編纂した『水台記』には、荷田氏について「古くは神供を調する竈役であった」と記されています。ちなみに江戸中期に活躍した国学者の荷田春満は東羽倉家の出身でした。(荷田氏についてはp.9を参照

稲荷社参道の常夜燈 「車丁 大居卯之助」と刻まれた常夜燈
「愛染寺」と刻まれた常夜燈 「弥生」と刻まれた常夜燈
2020年10月11日。「車丁 大居卯之助」「愛染寺」「弥生」。奉納年は江戸前期の慶安3年(1650年)。ここに並ぶ常夜燈は稲荷社の歴史そのもの。今の伏見稲荷には存在しない社家や愛染寺の遺跡であります。

「稲荷山復元記念之碑」
2019年8月4日。十石橋を渡ると、右手に石碑があります。

「稲荷山復元記念之碑」 「稲荷山復元記念之碑」
「稲荷山復元記念之碑」
2022年7月30日。「稲荷山復元記念之碑」。稲荷山の返還を記念して建立された碑です。

「稲荷山復元記念之碑」の由緒

伏見稲荷大社探訪 V|明治期に生まれたお塚信仰と熊鷹社
明治4年(1871年)、稲荷社は官幣大社の「稲荷神社」に改称されて国家の管理下に入りました。同年に悪名高い上知令(上地令とも)が出され、古代より神域であった稲荷山の大部分が官有地として没収。社有地として認められたのは三ヶ峰を含む七神蹟と、それらを結ぶ参道のみ。神社側で稲荷山を管理できなくなった間、無断で石碑(お塚)や鳥居が奉納されるようになり、稲荷山の風景は著しく変容しました。(p.17も参照

稲荷神社としては祭祀のために稲荷山の返還が不可欠であり、何度も請願を行い、明治政府に没収された土地を取り戻していきます。明治35年(1902年)、とても十分な面積とは言えませんが一部の土地が返還。大正3年(1914年)、稲荷神社宮司の大貫眞浦氏により「稲荷山復舊之記」(p.19を参照)が建立されました。記念碑には神域回復のために行動された宮司の並々ならぬ思いが刻まれています。

稲荷山復舊の遺志は受け継がれ、戦後、官幣大社から単立宗教法人の「伏見稲荷大社」に改称しても稲荷山返還の努力は続きます。上知令から91年経ち、鎮座1250年の翌年となる昭和37年(1962年)、ようやく全ての官有地が伏見稲荷大社に返還。明治時代に奪われた稲荷山を取り戻し、神域回復に成功したのです。その翌年となる昭和38年(1962年)、宮司の藤巻正之氏により「稲荷山復元記念之碑」が建立されました。

明治時代に奪われた稲荷山の返還は歴代宮司のみならず全ての関係者の悲願であり、この記念碑は盛大な除幕式とともに披露されたと思います。碑の題字は大物政治家にして御鎮座一千二百五十大祭奉賛会総裁の河野一郎氏、御詠歌の「年々にいなりの御山栄え栄えむ」は伊勢神宮祭主にして神社本庁総裁の北白川房子氏によるもの。昭和36年(1961年)には房子氏染筆の「伏見稲荷大社」の扁額が楼門に奉納されています。(p.7を参照

稲荷社参道の常夜燈
「奉挑永代常夜燈」「稲荷社御寶前」と刻まれた常夜燈 貞享4年(1687年)丁卯年の正月吉祥日に奉納された常夜燈
2020年9月19日。十石橋を渡った先にも常夜燈が立ち並びます。「奉挑永代常夜燈」「稲荷社御寶前」「戊川良□」。奉納年月日は江戸前期の貞享4年(1687年)丁卯年の正月吉祥日です。

稲荷社参道の常夜燈 「稲荷御神前」「五条塩竈町」と刻まれた常夜燈
2020年9月19日。「稲荷御神前」「五条塩竈町」。塩竈町は地下鉄河原町駅~京阪清水五条駅の五条通(R1)に現存する地名。京都の通りや町名が刻まれているのも見逃せませんね。

「永代常夜燈」「祈祷所 松本伊豆守」と刻まれた常夜燈 「稲荷社」「祈祷所 羽倉摂津守」と刻まれた常夜燈
2020年9月19日。「永代常夜燈」「祈祷所 松本伊豆守」と「稲荷社」「祈祷所 羽倉摂津守」。松本は秦氏系、羽倉は荷田氏系の社家です。江戸時代の記録にある社家のうち、鳥居南家が取り次いだ常夜燈のみ発見できず。見つけたら教えてほしいです。

「永代常夜燈」「祈祷所 東大西三位」「本社 御神酒講」と刻まれた常夜燈 「永代常夜燈」「祈祷所 東大西三位」「本社 御神酒講」と刻まれた常夜燈
「永代常夜燈」「祈祷所 東大西三位」「本社 御神酒講」と刻まれた常夜燈
2020年9月19日と2022年5月28日。「永代常夜燈」「祈祷所 東大西三位」「本社 御神酒講」。危険ですから登らないでください。

朱塗りの鳥居に通じる参道 稲荷社参道の常夜燈
2019年8月4日。三叉路を直進すると三ツ辻・四ツ辻方面(p.16を参照)、右折すると奥社奉拝所(p.14を参照)へ。両方の参道に興味深い常夜燈があり、各ページで個別に紹介しました。

観光地化が進む伏見稲荷の現状
次ページ、混雑する本殿を経て表参道に戻ります。

「東方巡遊記」の感想はこちらから
閲覧ありがとうございます。記事の内容が気に入った方も、そうでなかった方も、感想フォームの匿名アンケートにご協力ください。閲覧者の皆様からのフィードバックは大きな励みになり、サイトを維持・更新する原動力になります。感想フォームの回答や、記事のシェアによるご支援をお願いします!有用なサイトを目指す管理人からの切実なお願いです!

ページトップに戻ります。

「京都の旅」の記事一覧に戻ります。
「東方巡遊記」に戻ります。