東方巡遊記

伏見稲荷大社探訪 V

2022-08-07 改訂
2009-05-29~2022-07-30 実施

「東方巡遊記」にアクセスしていただき、誠にありがとうございます。当サイトの情報は一旅人の感想に過ぎません。記載内容を過信して発生したトラブルには一切の責任を負いかねますので、必ずサイトの趣旨を理解した上で記事をお読みください。サイトに掲載する写真・文章等の著作権は管理人のMarcyが有します。コンテンツの転載や二次使用は形態を問わず固く禁じます。

目次

01.「伏見稲荷大社探訪」の目次と概要

20.稲荷山に設けられた拝所と滝行の場

清瀧大神清明瀧天龍社傘杉社経塚発掘跡薬力社/薬力の滝

現在も残る「稲荷山官有地」平安時代に造営された経塚稲荷山に設けられたお滝

稲荷山に設けられた拝所と滝行の場

御膳谷から清瀧へ 御膳谷から清瀧へ
2019年4月20日。御膳谷(p.19を参照)から北の沢沿いに下って清瀧へ。

御膳谷から清瀧へ 御膳谷から清瀧へ
2019年4月20日。七神蹟を巡拝する参道を外れるから迷わないように。沢を渡ると清明瀧、薬力社に繋がります。後で訪れますよ。

御膳谷から清瀧へ 御膳谷から清瀧へ
2019年4月20日。「いなこん」ではシシ&ロロが案内した、うか様の神殿に至るルートです。下流から見ると、いなりちゃんが下ってくる場面。作中では朱塗りではなく石鳥居が建っていました。いなりちゃんって毎回ここまで来てたんや。凄い健脚やね。(うか様の神殿そのものは実在しません)

御膳谷から清瀧へ 外国人観光客向けの注意
2019年4月20日。英語で書かれた折り返しの表示。外国人観光客が迷い込むらしい。

清瀧大神

清瀧へ 清瀧大神の扁額
2019年4月20日。清瀧です。真夏は蜘蛛や蚊のような蟲がいっぱい。苦手な方は覚悟してください。

清瀧の苔むしたお塚 清瀧の苔むしたお塚
清瀧の苔むしたお塚 清瀧の苔むしたお塚
2019年4月20日。苔むしたお塚が並びます。稲荷神社が稲荷山を管理できなかった時期、あらゆる場所に拝所が開かれ、お塚が集まりました。(お塚についてはp.17を参照

清瀧大神を祀る社
清瀧大神を祀る社 拝所
2019年4月20日。清瀧大神をお祀りする社。山中に数多くの鳥居や拝所、お塚が並んでいるのは、霊験があって神様を崇敬する人がそれだけ多いということ。

お滝
2019年4月20日。熱心な崇敬者により滝行の場が設けられています。信仰を持たない人には理解できないでしょう。お山で行者さんを見かけても絶対に邪魔しないようお願いします。

清瀧の山道 清瀧の山道
2019年4月20日。この沢は稲荷山三ヶ峰の北斜面から湧き出て、北西麓の東福寺を経て琵琶湖疏水をくぐり鴨川に合流。東福寺に三名橋が架けられていることから三ノ橋川と称します。沢沿いに下ると京都一周トレイル東山コース、E-5を経て東福寺・泉涌寺・今熊野観音寺方面へ。反対側に登ると、清明瀧を経てお山巡りに復帰します。

清明瀧

天龍社清橋 稲荷社境界の標柱
2019年4月20日。沢を登り返して天龍社清橋を渡ります。

現在も残る「稲荷山官有地」

参道脇には「稲荷社境界」の標柱。明治4年(1871年)の上知令で稲荷山の大部分が官有地として没収された後、稲荷神社が管理できる社有地と、管理できない官有地の境界を示すために設置されたものでしょう。官有地の時代が長かったことから「稲荷山官有地」なる地名が成立し、山上の茶屋・拝所の住所として使われるようになりました。(上知令と稲荷山の変容はp.17を参照

昭和37年(1962年)に全ての官有地が伏見稲荷大社に返還されても「稲荷山官有地」の住所は残りました。地図で確認すると稲荷山のほぼ全域が「稲荷山官有地」。伏見稲荷の本殿周辺は「深草藪之内町」です。返還から50年以上経ち、官有地でなくなっても使われる官有地の住所。上知令と神域回復の歴史を後世に伝えるために、敢えて残しておいたほうがいいのかもしれません。

伏見稲荷大社探訪 V|明治期に生まれたお塚信仰と熊鷹社

清明舎 清明舎
2019年4月20日。清明舎です。稲荷山に由緒不明のお塚やお滝が増え続ける中、稲荷神社がオフィシャルな行場として開設したのが清明瀧。昭和9年(1934年)、社務所的な清明舎も建てられました。

清明瀧 清明瀧
2019年4月20日。沢に下ると清明瀧。この先は滝行をする行者さんしか入れません。

天龍社

天龍社へ 天龍社へ
天龍大神を祀る天龍社
2019年4月20日。清明舎から登り、天龍大神をお祀りする天龍社。

傘杉社

傘杉社 傘杉社
2019年4月20日。天龍社の先には傘杉社。傘杉大神、一本杉大神、三本杉大神をお祀りします。

御神木の杉 御神木の杉
2019年4月20日。沢から登ってきたところ。かなりのダメージを受けた御神木があります。

傘杉社 御神木の杉
傘杉社
2019年4月20日。杉を御神木とする社。「しるしの杉」の信仰(p.19を参照)に由来するのでしょう。

薬力社へ 薬力社
2019年4月20日。傘杉社から薬丸大神を祀る薬丸社を経て薬力社へ。お山巡りの参道に復帰します。

稲荷山参道
2014年4月25日。少し戻って、御膳谷奉拝所から薬力社に向かいます。

ぽいすて禁止 山の緑を火災から守ろう
2013年5月2日。参道に掲げられた看板。山火事防止のため、吸い殻のポイ捨てはやめてください。

経塚発掘跡

自販機が設置されている家屋 自販機が設置されている家屋
2020年10月11日。自販機が設置されている家屋から山側へ。特に案内板はありません。

山の中に点在するお塚 山の中に点在するお塚
平安時代末期の経塚跡 平安時代末期の経塚跡
2020年10月11日。山の中にお塚が点在。その奥に平安時代末期の経塚跡が存在します。

「明治四十四年 経塚發掘趾」の記念碑 「明治四十四年 経塚發掘趾」の記念碑
2020年10月11日。「明治四十四年 経塚發掘趾」の記念碑。昭和41年(1966年)、伏見稲荷大社宮司の守屋光春氏により建立されました。

平安時代に造営された経塚

明治44年(1911年)、御膳谷の茶屋が土砂採取を行っていたところ、山中から刀身片が出土。発掘調査が行われると地中の石室から経筒が見つかり、多種多様な品々を埋納した経塚であることが分かりました。稲荷山の聖地としての位置付けを理解する上で重要な遺跡です。

江戸時代前期の元禄4年(1691年)頃、大和国の金峯山(奈良県の山上ヶ岳)山頂の蔵王堂付近で経塚が発見され、出土品の内容から平安時代中期の寛弘4年(1007年)の造営と判明。当時の最高権力者だった藤原道長が経筒を携えて山上ヶ岳に登り、山頂に埋納したと推測されています。山上ヶ岳は2019年4月の「大峯奥駈道トレッキング」(p.3)で訪れました。

経塚とは、平安時代に末法思想の影響で始まったとされる信仰形態。未来の弥勒の世のため、仏教の経典を保存する崇高な目的がありました。山上ヶ岳で発見された藤原道長の金銅経筒は日本最古のもの。経塚は信仰の対象であった聖地・聖山に造営され、稲荷社が鎮座する稲荷山も当てはまります。後世には、経典保存から故人の追善供養の目的に変化したようです。

稲荷山の経塚の造営者は藤原北家の九条兼実と推定。兼実の日記である『玉葉』によると、平安末期の養和元年(1181年)に亡くなった姉の藤原聖子(崇徳天皇中宮)の供養のため、翌年に聖子の墓地の近くに如法経を埋納したとあります。この場所に造営された経塚には、姉を亡くした兼実の想いがこめられていたはず。その精神を感じることが稲荷山の信仰の理解にも繋がります。

……冷静に考えると、経塚を掘り起こして中身を抜き取った時点で、兼実の目的は果たせなくなったのではないでしょうか。稲荷山の経塚の造営者が誰であれ、未来の弥勒の世に備える、あるいは故人を弔うために経典や品物を埋めたのです。たとえ歴史的発見があったとしても、経塚を暴くのは造営者の想いを踏みにじっているように思えてなりません。それは道長の経塚についても言えることです。

薬力社/薬力の滝

薬力社へ 薬力社
薬力社と茶屋「薬力亭」 薬力社と茶屋「薬力亭」
2014年4月25日、2013年5月2日、2018年5月20日。御膳谷奉拝所から薬力社までやってきました。

薬力社と茶屋「薬力亭」 薬力社と茶屋「薬力亭」 薬力大神を祀る薬力社
2018年5月20日。薬力大神をお祀りする薬力社。その奥に石井大神を祀る石井社、おせき大神を祀るおせき社。茶屋「薬力亭」があり、昔の参道を訪れているような雰囲気です。ここだけ昭和の空気が流れていました。

薬力社の薬力の滝 薬力社の薬力の滝薬力社の薬力の滝 薬力社の薬力の滝
2014年4月25日、2020年10月11日、2013年5月2日、2018年5月20日。 稲荷山のお滝の一つ、薬力の滝の入口です。手持ちの写真は全て掲載します。

薬力の滝に通じる路地 薬力の滝に通じる路地
2020年10月11日。お滝に通じる路地にも、お塚がひしめきます。

薬力社の薬力の滝 薬力社の薬力の滝
2014年4月25日と2013年5月2日。路地の奥に、こじんまりとした滝行の場があります。静かな参道に滝の音だけが響いていました。とても清浄な空間です。

雨上がりの薬力の滝 雨上がりの薬力の滝
雨上がりの薬力の滝
2020年10月11日。薬力の滝。雨上がりで水量が多く、路地が沢のようでした。

雨上がりの薬力の滝 雨上がりの薬力の滝
2020年10月11日。この滝に打たれて修行すれば劇的な効果が得られそうです。

薬力の滝の上部 薬力の滝を覗く
2020年10月11日。滝の上部から覗いてみました。

薬力の滝の上部 薬力の滝の上部
薬力の滝の水場 薬力の滝を覗く
2020年10月11日。上流の様子。山上の水を引いて人工の滝を設けています。

稲荷山に設けられたお滝

薬力の滝に代表される行場は、明治以降のお塚信仰の隆盛とともに整備されました。その大部分が民間信仰の行場であり、稲荷神社がオフィシャルな行場として開設したのは上述の清明瀧のみ。室町時代の応仁元年(1467年)、稲荷山に参籠した金春禅竹の『稲荷山参籠記』によると、中世の稲荷山には天然の滝が存在しました。稲荷山は修験道の霊場でもあったらしく、古くから滝行が実践されていたと想像できます。(禅竹と稲荷社の関係はp.8、修験道についてはp.21を参照)

稲荷山参道の狐 稲荷山参道の石段
2014年4月25日。薬力社から御劔社へ。石段で斜面を直登。ここから一ノ峰まで険しい登りが続きます。

薬力社に下ってきたところ 薬力社に下ってきたところ
2018年5月20日。反時計回りで薬力社に下る場面。5月ぐらいがお山巡りに適しています。

「左 山科の里 大石良雄旧跡」と刻まれた案内碑
2020年10月11日。石段を登る際、左下に「左 山科の里 大石良雄旧跡」と刻まれた案内碑を見つけました。元の場所から移設されたらしく「右」と上書きされています。大石良雄は「忠臣蔵」で知られる赤穂浪士、大石内蔵助のこと。討ち入り事件の前、山科の稲荷山東麓に隠棲した歴史に基づき、昭和10年 (1935年)に大石良雄を祭神とする大石神社が創建されました。

秦氏と賀茂氏の伝説が交わる御劔社
次ページ、秦氏と賀茂氏の伝説が交わる御劔社を紹介します。

「東方巡遊記」の感想はこちらから
閲覧ありがとうございます。記事の内容が気に入った方も、そうでなかった方も、感想フォームの匿名アンケートにご協力ください。閲覧者の皆様からのフィードバックは大きな励みになり、サイトを維持・更新する原動力になります。感想フォームの回答や、記事のシェアによるご支援をお願いします!有用なサイトを目指す管理人からの切実なお願いです!

ページトップに戻ります。

「京都の旅」の記事一覧に戻ります。
「東方巡遊記」に戻ります。