東方巡遊記

伏見稲荷大社探訪 V

2022-02-05 改訂
2009-05-29~2021-07-25 実施

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目次

01.「伏見稲荷大社探訪」の目次と概要

18.三ツ辻から稲荷山中腹の四ツ辻へ

三ツ辻榎木大神四ツ辻

外国人観光客に人気の伏見稲荷稲荷山中腹の四ツ辻鬼の伝説が残る老ノ坂峠修験道の一大道場だった愛宕山稲荷山を巡拝する「お山巡り」稲荷山三ヶ峰の遺跡

三ツ辻から稲荷山中腹の四ツ辻へ

三ツ辻

三ツ辻 三ツ辻の標柱
2014年4月25日。三ツ辻に到着。標高は100mぐらい。まだ稲荷山の中腹ですらありません。

右折すると四ツ辻方面へ。左折すると裏参道(p.25を参照)で稲荷山を下り、産場稲荷を経て玉山稲荷社の前に戻ります。三ツ辻の標柱には「←お山参詣道 御本社へ七丁→」と刻まれています。「いなこん」の作中では標柱も完全再現。細かい描写が素晴らしいです。舞台探訪が趣味の人はしっかり見てますからね。

茶屋「三玉亭」 茶屋「三玉亭」
三ツ辻へ 茶屋「三玉亭」
2014年4月25日、2013年5月2日、2018年5月20日。三ツ辻を右折して茶屋「三玉亭」を通過。うか様と燈日くんも同じルートを歩きました。

稲荷山参道
四ツ辻へ。どんどん登りましょう。まだ稲荷山の七神蹟巡りがありますので、四ツ辻に辿り着く前に体力を消耗しないように。きつくて途中で引き返してしまう人が結構いるらしい。

茶屋「京屋」 お塚
茶屋「京屋」。ここにもお塚が並びます。

榎木大神

大阪榎木講社のお塚 大阪榎木講社のお塚
うか様と燈日くんの痴話喧嘩の場所
榎木大神をお祀りするお塚。大阪榎木講社の崇敬者によって建立されました。うか様と燈日くんが痴話喧嘩の挙句別れてしまった場所。「榎木大神」と「大阪榎木講社」はそのまま再現されています。

稲荷山参道 稲荷山参道
山麓から中腹まで意外と長いです。あのまま痴話喧嘩せずに四ツ辻まで登っていたら、うか様と燈日くんはどうするつもりだったのでしょう?神殿に案内して一緒にゲームしたとか……?

朱色に塗ったばかりの鳥居 朱色に塗ったばかりの鳥居
2018年5月20日。「ペンキぬりたて」の鳥居。実際にはペンキではなく光明丹が使用されます。

朱塗りの鳥居が並ぶ参道 朱色が映る石鳥居
朱塗りの鳥居が並ぶ参道
2018年5月20日。やっぱり鳥居。石鳥居に朱色が反射して神々しいです。

令和元年の鳥居 令和元年の鳥居
2019年8月5日。令和元年5月に建てられた最新の鳥居です。第125代の天皇陛下は4月をもって退位され上皇陛下に。5月から第126代の天皇陛下による治世が始まりました。平成から令和へ。稲荷山も新時代を迎えています。

鎮座1300年記念の鳥居 鎮座1300年記念の鳥居
2019年8月5日。朱色に塗り直されたばかりの鳥居。平成23年(2011年)の鎮座1300年記念に建立されています。流石の「いなこん」でも鳥居の裏側は再現してませんでした。氏名とか住所とか出すわけにはいかへんし。

「外国人に人気の日本の観光スポット2013」
茶屋に貼られていたポスター。最近、外国人に人気だそうです。

外国人観光客に人気の伏見稲荷

伏見稲荷大社は外国人観光客の間で急激に人気が高まっており、「外国人に人気の日本の観光スポット2013」において第2位を獲得。スマートフォンやSNSの普及が人気急上昇の一因なのでしょう。立派な社殿、朱塗りの鳥居や狐像、お塚といった風景をきっかけに、稲荷山の神様や独特の信仰について知ってもらえると嬉しいですね。……などと呑気に思っていた時期もありました。

2014年には広島平和記念資料館を抜いて第1位に。以来、伏見稲荷は外国人が溢れて異常に混雑するようになりました。稲荷山が神域であることを理解せず、境内で好き勝手に振る舞う観光客は年々増加。今では至るところに外国語の禁止・警告の看板が設置されています。人気の観光スポットとか宣伝しまくった結果、大切な神域が乱され荒れていく惨状を招いたのです。本当に残念です。

稲荷山参道の鳥居 稲荷山参道の鳥居
ひたすら石段を登り、まもなく四ツ辻です。

令和元年の鳥居
令和元年の鳥居 令和元年の鳥居
2019年8月5日。四ツ辻まで最後の登り。つい先日建てられた令和元年の鳥居がありました。

村上氏と冨永氏が寄進した石段
「京都 村上??郎」と刻まれた標柱 「尾道 尾道 冨永茂七郎」と刻まれた標柱
2020年10月11日。崇敬者により奉納された参道の石段。「京都 村上□□郎」「尾道 冨永茂七郎」と刻まれた標柱がありました。

村上氏と冨永氏が寄進した石段 村上氏と冨永氏が寄進した石段
崇敬者により奉納された石段 「奉納 石段敷石十七段」「大阪堂嶋 岡田竹松」と刻まれた標柱
2020年10月11日。村上氏と冨永氏が寄進した石段を登ります。他にも「奉納 石段敷石十七段」「大阪堂嶋 岡田竹松」などの標柱が確認でき、多くの庶民の寄進で成り立っていることが分かります。庶民というより豪商かもしれませんが。

四ツ辻 四ツ辻へ
2014年4月25日と2018年5月20日。四ツ辻が見えました。これからがお山巡りの本番です。

四ツ辻

稲荷山の四ツ辻 四ツ辻から京都市街の眺望
0733、四ツ辻に到着。相変わらずの快晴です。

四ツ辻から京都市街の眺望 四ツ辻の様子
四ツ辻から京都市街の眺望 昼間の四ツ辻
2018年5月20日。賑わっている…というかバテた人達が休憩中。観光地だと思っていたら滅茶苦茶歩かされるやつ。山麓で念を押したように、お山巡りはハイキングに相当します。四ツ辻には茶屋があるから、ゆっくり休憩していってください。この場所は江戸時代から休憩所として機能していました。

稲荷山中腹の四ツ辻

四ツ辻の標高は160mぐらい。稲荷山の中腹に位置し、地形的には荒神峰と三ノ峰の間の峠です。秦親臣が写した江戸時代前期、寛文9年(1669年)の『寛文之大絵図』には「石燈籠」と書かれている地点。山麓から長々と石段を登ってきたおかげで山頂だと錯覚しますが、ここから標高233.8mの一ノ峰まで登らなければなりません。江戸時代の石燈籠は現存しないようで、見つけられませんでした。

十字路になっているのが四ツ辻の由来。江戸時代末期の元治元年(1864年)に創業した茶屋「にしむら亭」が現在も営業されています。西は山麓の本殿、北は荒神峰、東はお山巡り時計回り(御膳谷を経て一ノ峰)、南はお山巡り反時計回り(三ノ峰を経て一ノ峰)のルートに分岐。もちろん「いなこん」にも登場しており、いなりちゃんは四ツ辻から反時計回りに一ノ峰へ駆け抜けていきました。

京都一周トレイル東山コース3-1番の標識 京都一周トレイル東山コースの地図
京都一周トレイル東山コース、E-3-1。四ツ辻の時計の傍らに設置されています。いなりちゃんが駆け抜ける場面で一瞬写っていましたね。正式なコースでは一ノ峰を経由せず北麓の泉涌寺方面へ。せっかくだからお山巡りしていくのもいいと思います。

丹波国と山城国の境界の老ノ坂峠 四ツ辻から京都市街の眺望
2014年10月18日。稲荷山は東山三十六峰の南端。四ツ辻から西の京都市街と西山を一望できます。

鬼の伝説が残る老ノ坂峠

稲荷山から西の正面に見える凹部は老ノ坂峠(230m)。古くは「大江山(大枝山)」と呼ばれた交通の要衝であり、都が大和国(奈良県)にあった時代から山背国と丹波国の境界です。平安遷都後は四堺(結界)の一つに位置付けられて大江関が設置。現在では京都府京都市西京区と亀岡市の境界になり、山陰道(R9)と京都縦貫自動車道のトンネルが通ります。

平安時代末期の乱世には大江山周辺で山賊などが跋扈することがあり、都の人々から鬼の山と見なされたらしい。南北朝時代~室町時代初期に成立する酒呑童子の伝説では都に近い大江山が鬼の本拠地と想定されていました。やがて都から遠く離れた丹後国の与謝の大山に物語の舞台が移動。近世以降、大江山といえば丹後の大江山が思い浮かべられるようになりました。

酒呑童子の伝説で最も有名なものは『御伽草子』です。室町時代~江戸時代初期に成立した物語集の一話であり、従来の酒呑童子伝説を上手くまとめた完成度の高い作品です。鬼の頭領である酒呑童子が都で悪行の限りを尽くし、勅命を受けた源頼光らが山伏に扮して大江山の鬼ヶ城へ。一行は神仏の加護により、酒呑童子の抹殺に成功。攫われた姫君を救出し、都に凱旋する場面で物語は終わります。

さて、山城-丹波国境の大江山は老ノ坂と呼ばれるようになり、鬼の本拠地の座を奪われるも鬼の伝説は残りました。頼光一行が酒呑童子の首を携えて丹後国から都に戻る途上、老ノ坂峠で道端の地蔵尊に不浄を咎められて首を埋めることに。酒呑童子の首塚の伝説は語り継がれ、今でも老ノ坂峠の一角で首塚大明神として丁重にお祀りされています。

老ノ坂峠の山陰道(R9)
2014年12月の「大枝山探訪」では老ノ坂峠の首塚大明神を訪れたほか、平安時代の稲荷山伐採事件(p.5を参照)で稲荷の神様に祟られた淳和天皇の御陵も参拝しました。東方的には伊吹萃香・茨木華扇・星熊勇儀の元ネタ巡りです。興味のある方はどうぞ。

愛宕神社が鎮座する愛宕山
2014年10月18日。西山の北にそびえる愛宕山。愛宕山の手前にはJR京都駅。京都タワーはギリギリ見えません。前段でも訪れたように、この北にもっと良い展望地(p.23を参照)があります。景色は後回しでいいから、まずは稲荷山の七神蹟を巡りましょう。

修験道の一大道場だった愛宕山

北西の一番高い山は愛宕山(924m)。飛鳥時代末期の大宝年間(701~704年)に、修験道の開祖とされる役小角と泰澄によって神廟が建立されました。奈良時代末期の天応元年(781年)には慶俊と和気清麻呂が白雲寺を創建。長らく愛宕権現をお祀りする神仏習合の道場として栄えますが、明治時代の神仏分離で愛宕神社に改められました。ここにも廃仏毀釈が及んでいます。

愛宕山に神廟が建立されたのは松尾・稲荷社の創建と同時期。立派な山容から、葛野に移住した秦氏の信仰対象であったと想像できます。泰澄は秦氏系とする説があり、役小角と和気清麻呂も秦氏に関係の深い人物。秦氏と伊奈利、荷田氏と稲荷の関係を紹介するだけでも大変だったのに、泰澄や役小角まで話を広げるのは無理。本記事では省略させていただきます。

稲荷山地形図
稲荷山(233.8m)の地形図。本殿が鎮座する西麓から四ツ辻まで登ってきました。ここから時計回り、または反時計回りで一ノ峰に向かいます。四ツ辻から先にも境内案内図と標識が設置されておりますので、よく見て歩けば迷う可能性は低いです。市街地に近い低山とは言え、深く入り組んだ地形であることに変わりはありません。参道を逸脱しないようご注意ください。

国土地理院の「地理院地図(新版)」にポイントを追記しています。

稲荷山を巡拝する「お山巡り」

稲荷山の最高峰となるのが一ノ峰(233.8m)。その西に二ノ峰(219.4m)、三ノ峰(192.2m)が並び、伏見稲荷大社では稲荷大神が顕現された三ヶ峰の神蹟として特別視されています。古くは稲荷山の西麓ではなく山上で神様をお祀りしており、平安時代になると山中の上社・中社・下社に参詣する「お山巡り」が確立しました。三ヶ峰=上中下社ではなかったことに留意してください。(平安時代の上中下社とお山巡りはp.19を参照

上述したように、明治時代に神仏分離の余波で「お塚」の信仰が生まれ、上知令により稲荷山の大部分が官有地として没収されました。稲荷神社では社有地として認められた三ヶ峰を含む七神蹟にオフィシャルな拝所を整備し、七神蹟を巡拝する新しい「お山巡り」を宣伝。このとき、三ヶ峰に上中下社神蹟を便宜的に当て嵌めたものと思われます。(この不一致はp.22で詳しく説明

七神蹟の巡拝は時計回り、反時計回りの2通りを選べます。一応は時計回りが正式順路とされますが、反時計回りでも全く問題ありません。時計回りなら御膳谷奉拝所→御劔社→一ノ峰→二ノ峰→間ノ峰→三ノ峰。反時計回りなら三ノ峰→間ノ峰→二ノ峰→一ノ峰→御劔社→御膳谷奉拝所。最後は四ツ辻に戻ってから荒神峰に参拝します。本記事では時計回りを選びました。

地形 的には時計回りのほうが少しだけ楽。御膳谷の先の薬力社から一ノ峰への登りが難所です。反時計回りの場合は四ツ辻から一ノ峰まで登りが続くのがきついと思います。標識によると、時計回りなら約30分の行程。参拝や撮影の時間を考慮すればもっとかかります。何度も訪れて稲荷山の空気を感じてみてください。

稲荷山三ヶ峰の遺跡

稲荷山の三ヶ峰には何らかの遺跡が存在。深草を統治した有力な豪族の墳墓、あるいは祭祀跡と考えられます。古墳説を採用すれば一ノ峰は円墳、二ノ峰は前方後円墳、三ノ峰は円墳。古墳時代(4世紀後半)の築造と推測され、二ノ峰と三ノ峰では鏡が出土。秦氏が山背国に入る以前の文明を示す貴重な遺跡であり、考古学の分野では「稲荷山古墳群」として知られます。

しかし古墳とするには形状が微妙であり、埴輪や石室が見つかっていないという問題点があります。伊奈利山が信仰の山として発展してきた歴史的環境を踏まえ、三ヶ峰を祭祀跡とする説が提唱され、そちらも注目されています。古代、山上で鏡を用いて祭祀を行っていた土着信仰の上に、深草に移住した秦氏の伊奈利社が成立した。という推測です。(三ヶ峰の遺跡はp.22を参照

四ツ辻から一ノ峰へ
四ツ辻を直進。時計回りで一ノ峰を目指しましょう。

手水舎のミニ鳥居 四ツ辻から一ノ峰へ
手水舎のミニ鳥居
手水舎のミニ鳥居 四ツ辻から一ノ峰へ
2013年5月2日、2018年5月20日、2019年4月20日。手水舎にミニ鳥居が掛けられています。2013年はKodak、2018年と2019年はFUJIFILMのネガフィルムでした。こういう撮り比べも楽しいです。

四ツ辻に戻ったところ
2013年5月2日。反時計回りで四ツ辻に戻ったところ。フィルムで撮ると良い雰囲気ですね。

四ツ辻から一ノ峰へ
絶対に30分では巡れない稲荷山の参拝順路へ。

稲荷山の七神蹟を巡拝するお山巡り
次ページから七神蹟を巡る「お山巡り」を始めます。

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