東方巡遊記

伏見稲荷大社探訪 V

2022-02-05 改訂
2009-05-29~2021-07-25 実施

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目次

01.「伏見稲荷大社探訪」の目次と概要

17.明治期に生まれたお塚信仰と熊鷹社

熊鷹社/新池

明治の神仏分離と稲荷山の変容お塚の急増と神域回復稲荷山中の新池

明治期に生まれたお塚信仰と熊鷹社

熊鷹社/新池

早朝の稲荷山参道 熊鷹社へ
2014年4月25日。参道に戻り、まもなく熊鷹社の三叉路。その前に階段下のお塚を探索しましょう。

熊鷹社のお塚 熊鷹社のお塚
熊鷹社のお塚 熊鷹社のお塚
2019年2月24日と2018年5月20日。熊鷹社の手前に並ぶ無数のお塚。千本鳥居しか知らずに訪れたら圧倒されると思います。今では千本鳥居と並ぶ人気の撮影スポットになっていますが、誰も稲荷山の信仰そのものに興味を持っているように見えないのが残念です。

熊鷹社のお塚 熊鷹社のお塚
熊鷹社のお塚 熊鷹社のお塚
2014年4月25日と2019年2月24日。鳥居の扁額や石碑には「白玉大神」「大岩大神」「福繁大神」などオリジナルの神名が記されており、一つ一つのお塚に崇敬者の信仰がこめられています。たまに墓地と勘違いされるけど違います。拝所ですよ。

熊鷹社のお塚 お供え物は持ち帰ってほしいとの注意書き
熊鷹社のお塚
2020年10月11日。お供え物は持ち帰ってほしいとの注意書き。カラスが荒らして掃除が大変だそうです。カラスが火のついた蝋燭を咥え去るのが原因でボヤ騒ぎも頻発しています。山火事を引き起こす恐れがありますので、参拝後は必ず蝋燭の火を消してください。大社からの切実なお願いです。

熊鷹社のお塚 熊鷹社のお塚
熊鷹社のお塚 熊鷹社のお塚
2019年2月24日。無数の鳥居とお塚が密集する稲荷山独特の風景。現在の稲荷山には1万基以上のお塚が存在するらしい。明治時代と違って無秩序な建立は禁止されています。

明治の神仏分離と稲荷山の変容

ここで、近世の稲荷山の変化を説明しましょう。室町時代に勃発した応仁の乱により稲荷社は壊滅。古代の山上の祭祀やお山巡りの信仰(p.19を参照)は衰退したようですが、勧進聖(僧侶)の尽力によって稲荷社はまもなく復興。本願所(後に愛染寺に発展)が設置されて江戸時代には神仏習合の稲荷信仰が全国の庶民に広まりました。その中で、個々の霊験に基づく様々な民間信仰が生まれます。(勧進聖と愛染寺についてはp.10を参照

ところが明治時代に状況は一変。明治元年(1868年)に神仏判然令が出されると、全国規模で廃仏毀釈の嵐が吹き荒れました。稲荷社では仏教勢力に反発していた社家の主導により、愛染寺をはじめとする諸堂や仏像・神像は速やかに撤去。明治4年(1871年)には官幣大社の「稲荷神社」になり、仏教色を廃した新しい稲荷神社として境内が急速に近代化されました。(神仏分離についてはp.5を参照

仏教のみならず修験道などの民間信仰は異端とされ、諸堂が破却されたことで庶民は心の拠り所を失いました。明治2年(1869年)頃から、オリジナルの神名を刻んだ石碑を稲荷神社に無断で持ち込み、独自の拝所を設ける者が出現。稲荷山の神蹟破壊を危惧した神社側が禁止・撤去を通告するも効果はありませんでした。庶民の素朴な信仰に基づく石碑は次々に持ち込まれ、稲荷山の至るところに拝所が乱立します。

明治4年に悪名高い上知令(上地令とも)が出され、古代より神域であった稲荷山の大部分が官有地として没収。社有地として認められたのは七神蹟と、それらを結ぶ参道のみ。稲荷神社による管理は不能となり、石碑だけでなく鳥居の奉納も始まりました。これまで麓の参道にしか存在しなかった鳥居は稲荷山全域に急増し、参拝者のための茶屋まで無断で開かれます。(鳥居の増殖はp.13を参照

神仏習合の稲荷信仰が否定されて仏教勢力が消えた後、国家が神道・神社を管理する神社改革の影響で社家も衰退を余儀なくされました。表参道の社家屋敷は姿を消し、社家が守ってきた神奈備すら明治政府に没収。神社側で稲荷山を管理できなくなった間に、その風景は著しく変容しました。明治時代の一方的な改革は庶民だけでなく、稲荷神社にとっても応仁の乱の破壊に匹敵する重大事件だったのです。

お塚の急増と神域回復

上知令で神域を取り上げられても稲荷神社は諦めず、とりあえず神社側で管理できる七神蹟を巡拝する現代版の「お山巡り」を宣伝。稲荷山の三ヶ峰を含む七神蹟にはオフィシャルな拝所が整備されました。ところが逆効果になり、神蹟にオリジナルの石碑を奉納する崇敬者が続出しました。応仁の乱で衰退していたお山巡りが神仏分離の余波で復活するとは皮肉な話。明治20年(1887年)頃、新しい拝所が「お塚」と呼ばれるようになったらしい。

稲荷神社としては祭祀のために稲荷山の返還が不可欠であり、何度も請願を行い、官有地として没収された土地を取り戻していきます。明治35年(1902年)の返還の際、もはや非公式のお塚の撤去は難しい状態にあり、新設は認めず、既存のお塚は修復のみ許可という方針に転換します。この時期、多くのお塚と茶屋が稲荷神社の管理下に入りました。大正3年(1914年)、稲荷神社宮司の大貫眞浦氏により「稲荷山復舊之記」が建立されます。(p.19を参照

それでも稲荷山の新しい信仰はどんどん庶民に広がり、明治の混乱が落ち着いた大正時代にお塚が急増しています。崇敬者団体である稲荷講社がお塚信仰の隆盛に関わっており、お塚の向かいに設けられた茶屋が新規の信仰者を受け入れ、「オダイサン」という霊能者を通じてお山巡りを紹介する機能がありました。これらの民間信仰は今日まで受け継がれています。

戦後、官幣大社から単立宗教法人の「伏見稲荷大社」に改称しても稲荷山返還の努力は続きました。昭和25年(1950年)に取り戻したのは没収された土地の半分以下。上知令から91年後…鎮座1250年の翌年となる昭和37年(1962年)、ようやく全ての官有地が伏見稲荷大社に返還。明治時代に奪われた稲荷山を取り戻し、神域回復に成功したのです。その翌年、宮司の藤巻正之氏により「稲荷山復元記念之碑」が建立されました。(p.26を参照

秦氏による伊奈利社創建(p.5を参照)に始まり、稲荷山は神様が鎮座される神聖な祭祀の場として、それぞれの創建伝承を持つ秦氏と荷田氏に守られました。1300年以上の歴史を持つ稲荷社の根源となる神奈備。その返還が伏見稲荷にとってどれほど重要な出来事で、歴代宮司が腐心されてきたか。ここまで読んできた方にはお分かりでしょう。

稲荷社側の視点に偏っていますが、以上が明治以降に起きた稲荷山の変容です。鳥居とお塚が密集する風景が出来上がった経緯。お塚は稲荷社の歴史の中では最新の信仰形態であること。山麓の伏見稲荷とは異なる民間信仰が存在すること。衰退していたお山巡りの信仰に通じる要素があること。などを併せて理解していただけたかと思います。

熊鷹社のお塚 新池
階段を登りきった三叉路のお塚。突き当りに新池があります。「いなこん」の作中では枝の形までリアルに再現されていました。

熊鷹大神を祀る熊鷹社
熊鷹大神を祀る熊鷹社 熊鷹社
2014年4月25日と2018年5月20日。 三叉路左手、新池の畔に鎮座する熊鷹社。祭神の熊鷹大神は勝負事に強い神様として崇敬され、向かいの茶屋「竹屋」で蝋燭を買ってお供えするのが定番です。畏れ多くて撮りませんが、いつ訪れも神前に火が灯っています。

熊鷹社のお塚 熊鷹社のお塚
熊鷹社のお塚 熊鷹社の猫ちゃん
2014年4月25日と2019年2月24日。三叉路右手にも沢山のお塚が密集します。この三叉路は、うか様が鳥居の上からいなりちゃんを見守る回想シーンの場所。北山さんが三条さんにしばかれそうになった現場でもあります。ああいう女の子、怖いよね。

熊鷹社の猫ちゃん 膝の上に居座る猫ちゃん
2018年10月14日。熊鷹社のお塚には猫ちゃんが多いです。かなり人懐っこくて、写真を撮っていたら走り寄ってきて膝の上に居座る傍若無人ぶり。怖いもの知らずです。

新池に突き出した熊鷹社 新池に突き出した熊鷹社
新池に突き出した熊鷹社 93
2018年5月20日、2014年4月25日、2020年10月11日。熊鷹社が突き出して鎮座する新池。

稲荷山中の新池

稲荷山北麓の古池に対して新池と称する稲荷山中の池。江戸時代初期の慶長8年(1603年)に農業用水として修築された記録が残ります。ここから流れる沢は八島ヶ池(p.25を参照)を経て祓川となり、神幸道沿いに流れて西麓の田畑に注ぎました。祓川は疏水や参道の整備が進むにつれて暗渠化しており、今では灌漑用水の役割を失って人知れず琵琶湖疏水に注ぎます。(p.6を参照

秦親臣が写した江戸時代前期、寛文9年(1669年)の『寛文之大絵図』を見ると新池の畔に鳥居が描かれており、稲荷山の奉拝所であったと推測されます。明治時代にお塚の信仰が生まれると周囲にお塚が集まり、現在の姿になりました。新池の別名は谺ヶ池。ここで柏手を打つと谺が返ってきて、その方角に尋ね人の手がかりが見つかるとか。稲荷山には様々な霊験譚があります。

稲荷山参道 稲荷山参道
三ツ辻へ。熊鷹社を過ぎると登り道に。体力に見合ったペースで無理なく進んでください。

稲荷山参道の鳥居 稲荷山参道の鳥居
2018年5月20日。いなりちゃんのように走って登るのはきついです。ていうか、いなりちゃんって結構体力あるよね。

稲荷山の猫たち 参道脇でゴロゴロくつろぐ猫たち
参道脇でゴロゴロくつろぐ猫たち 参道脇でゴロゴロくつろぐ猫たち
2020年10月11日。参道脇でゴロゴロくつろぐ猫たち。邪魔しないように撮りました。

稲荷山の猫ちゃん 稲荷山の猫ちゃん
お散歩中の猫ちゃんを発見。「なんだ猫か」と思っていたら猪が飛び出すことも。夜間は本当に猪が出没します。十分注意してください。

稲荷山の猫ちゃん 稲荷山の猫ちゃん
2019年8月5日。黒猫にカメラを向けたら警戒されました。すいません。怪しい者ではありませんので。

三ツ辻手前
三ツ辻手前。左に抜け道があります。深夜、この辺りで猪に遭遇しました。大きかったです。

三ツ辻手前 三ツ辻手前
何の変哲もない抜け道の様子。いなりちゃん&マルちゃんvs観月組の戦闘現場です。最後はバトル物になるのかと不安になりましたが、うか様が鎮めてくれて良かったです。

三ツ辻へ
三ツ辻が見えました。茶屋の中の人が参道を清掃中。ブロワーのケーブルが階段に通されています。

三ツ辻から稲荷山中腹の四ツ辻へ
次ページ、稲荷山中腹の四ツ辻まで登ります。

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