2022-08-07 改訂
2009-05-29~2022-07-30 実施
2014年4月25日。奥宮の前を通り、いよいよ鳥居ゾーン。稲荷山を徹底的に探訪します。
2020年9月19日。令和2年3月に建てられた最新の鳥居。花王の創立130周年記念に奉納されました。稲荷山の鳥居は今でも増え続けています。その経緯はこれから紹介しますので、実際に参道を歩いている感覚で読み進めてください。
2022年5月28日。新しい鳥居が増える一方で、古い常夜燈も残されました。この2基の常夜燈は「夲敬神組」「有志中」による奉納。裏側には入れなさそうな雰囲気だったので、奉納年は未確認です。
2020年9月19日。参道入口に佇む記念碑。一つずつ銘文を確認します。
2020年10月11日。昭和15年(1940年)の「紀元二千六百年記念樹」の碑。「京都市實業青年團」により奉納されました。元の場所から移設されたのか、記念樹は見当たりません。
2020年10月11日。明治35年(1902年)の「寄附 敷石々段」の記念碑。「京都(大)共成組」によって奥宮南脇から上供物所・十二洞前まで石畳が敷設されました。稲荷神社の記録に「境内より命婦谷に至る敷石布設工事竣工」とあり、そのときに奉納された碑と分かります。十二洞は裏参道の一角に鎮座する産場稲荷のことです。(p.25を参照)
2020年9月19日。平成9年(1997年)の「参道改修奉納」の記念碑。福岡市の崇敬者の松井スミ氏によって奉納され、やはり伏見稲荷の工事記録に残ります。昔も今も庶民の寄進で成り立つ稲荷社。その証となる常夜燈や記念碑を撮影しておきたい。
2020年9月19日。大正8年(1919年)己未歳8月の石鳥居。「祈祷所 羽倉伯耆守」(荷田氏系の社家)と刻まれた常夜燈。安政3年(1856年)丙辰歳の11月に「東村」から寄進された玉垣…あらゆる場所に稲荷社の歴史が散らばっています。
2018年5月20日、2022年7月30日、5月28日。朱塗りの鳥居が並ぶ参道へ。人気の撮影スポットになっており、昼間は混雑します。できれば稲荷社の歴史の中で鳥居が奉納されるようになった経緯も知ってほしいです。
稲荷山に鳥居を奉納する風習は江戸時代に生まれました。江戸時代末期、元治元年(1864年)刊行の『花洛名勝図会』では、上ノ殿(奥宮)~命婦社(奥社奉拝所)に並ぶ鳥居が確認できます。当時、鳥居ゾーンは麓の一部の参道にしか存在しなかったのです。
明治時代に神仏習合の稲荷信仰が否定され、稲荷山の大部分が官有地として没収されると、個々の崇敬者が稲荷神社に無断で鳥居を奉納するようになりました。石鳥居や朱塗りの鳥居は増え続け、大正14年(1925年)に吉田初三郎が描いた『伏見稲荷全境内名所図絵』では、既に稲荷山全域の参道が鳥居で埋め尽くされています。
鳥居の増殖と同じ時期、オリジナルの神名を記した石碑を無断で奉納するお塚の信仰も発生。神社側で稲荷山を管理できなくなった間に、その風景は著しく変容しました。稲荷山が伏見稲荷大社に返還された現在では無秩序な建立は禁止され、社務所か茶屋を通じて奉納することになっています。財力と信仰心がある方はどうぞ。
ちなみに、稲荷山に奉納された鳥居は約1万基あるらしい。古代の秦氏が見たら驚愕するか感心するか分かりませんが、稲荷社が誇る1300年以上の歴史の中では最新ともいえる風習です。今ではすっかり定着して稲荷山の象徴になりました。(明治以降の稲荷山の変容はp.17で詳しく紹介)
2014年4月25日と2018年10月14日。参道の左手に神苑斎場の入口があります。
2018年5月20日と2022年7月30日。参道に吊るされた電燈には、伏見稲荷の神紋である抱き稲。かっこいいデザインです。
2019年8月4日。神苑斎場は大正時代に整備された広場。奉射祭や火焚祭など神事の場として使用されます。普段は入れません。
2019年8月4日。神苑斎場の南縁部。ここが古墳時代(4世紀末)の命婦谷遺跡です。
昭和55年(1980年)の調査により、神苑斎場の南縁部から丹後型円筒埴輪が出土。付近の古墳にあった埴輪を棺に転用したらしく、深草を統治した有力な豪族の埋葬地と推測されます。秦氏が山背国に入る以前の文明を示す貴重な遺跡。深草と丹後地方の豪族が交流していた証拠でもあります。
古代の伏見・深草には紀氏や土師氏の勢力が存在。埴輪を利用して有力者を埋葬した光景が想像できます。悲しいことに古墳時代に興味ある人は少なくて、案内板も設置してもらえません。山上にも何らかの遺跡があり、鏡や石棺らしきものが発見されています。(p.18を参照)
2018年5月20日と10月14日。朱塗りの鳥居に朝日が反射して美しいです。
2014年4月25日。扁額に「稲荷大神」の神号が輝き、神様の存在を意識します。
2014年7月12日。宵宮祭・本宮祭の準備が進む参道。沢山の献納提灯が設置され、境内が真っ赤に照らされます。本宮祭の模様は2014年7月20日の「伏見稲荷大社探訪 VI」をご覧ください。「いなこん」の舞台探訪としても一度は訪れたいお祭りです。
2020年9月19日。石鳥居に足場が組まれ、補修工事の準備が進んでいました。参道を横から見ると、鳥居の高さが一定していないのが分かります。
2020年10月11日。上述した石鳥居。大正9年(1920年)に奉納されてから100年も経っています。
2022年6月4日と5月28日。補修後の石鳥居を確認しに来ました。大きな変化は見られません。
2022年6月4日。奉納者は「加賀国金沢市尾張町 菓子問屋 下村次三郎」。奉納年月日は大正9年(1920年)6月吉日です。金沢の商人が稲荷山に奉納した石鳥居は、建立102周年を迎えました。
2022年5月28日と6月4日。この石鳥居は扁額の跡が目印です。
2022年6月4日。「発起人 京都市錦小路角(通)小林清治郎」。奉納年月日は大正11年(1922年)2月です。
2022年6月4日と5月28日。せっかく朱塗りの鳥居が並んでいるのに、古い石鳥居ばかり確認している気がします。稲荷名物の狐面を装備して参道を歩いている女の子がかわいいです。
2022年6月4日。「京都共栄會」「御大典記念」。大正4年(1915年)11月、京都御所で大正天皇の即位の礼が行われた記念に奉納されました。
2022年6月4日。よく見るとブラケットとアンカーボルトで補強されていました。丈夫そう。
2014年4月25日。千本鳥居までやってきました。伏見稲荷で最も有名と思われる鳥居のトンネル。二手に分かれた参道は両方とも奥社奉拝所に至ります。2014年の時点では順路は決まっておらず、左右どちらを通っても構いませんでした。
千本鳥居が初めて設けられた時期は不明。元治元年(1864年)の『花洛名勝図会』を見ると二手に分かれた鳥居が描かれており、江戸時代末期には千本鳥居が存在したと断言できます。明治27年(1894年)刊行の『都名詞画譜』には風流な感じで、明治28年(1895年)の『京都伏見官幣大社稲荷神社之全図』には精密に千本鳥居が描かれ、鳥居が急増してから稲荷神社の名所になっていたと分かります。
明治36年(1903年)の『日本之勝観』には千本鳥居の白黒写真が掲載。まだ鳥居のサイズが統一されずバラバラな感じが面白いです。近代の稲荷神社の様相を知るには、文献だけでなく絵画や写真も参考になります。現在撮影している千本鳥居の写真も、100年後には必ず価値を持ちます。
2018年5月20日。有名になりすぎて観光客だらけ。9割は外国人です。2013年頃までは早朝にひっそり散策していたのが、2018年時点では6時でも観光客を見かけるようになりました。昼間は大混雑し、記念撮影のために行列ができるほ
ど。参道は混雑緩和のため右側通行と指定され、外国語の表示も現れました。静かな千本鳥居の風景が懐かしいです。
2018年5月20日。千本鳥居の入口を守る神使の狐達。ネガでもリバーサルでも印象的に写ります。左の狐が咥える巻物は稲荷の秘宝、右の狐が咥える玉は稲荷大神が秘める神徳の象徴。それぞれに意味があります。(狐についてはp.7を参照)
2020年9月19日。千本鳥居前の狐像の基壇は大正2年(1913年)に奉納。狐像は基壇より新しく見えますが、奉納年月日は分かりませんでした。
2022年6月4日。千本鳥居前の石鳥居。奉納者は「大阪天王寺産 十二代目 朝日山四郎右衛門」。奉納年月日は明治41年(1908年)4月。朝日山部屋の力士のようです。
2020年10月11日。石鳥居はもう一つあります。こちらは大正12年(1923年)の建立でした。
2022年7月30日。人が通り過ぎたタイミングを見計らって入口から撮りました。
2014年4月25日と7月12日。まだ早朝は静かだった頃の千本鳥居。他の参道より鳥居が低くて密度が高いため、鳥居のトンネルを通るような独特の雰囲気。大人気の観光スポットになったのも頷けます。
2018年5月20日。朝日が差し込む朱色のトンネル。リバーサルフィルムで鮮やかさとコントラストを強調しました。鳥居の裏側には奉納した個人や企業の名が刻まれており、全国規模で崇敬されていることが分かります。大阪近鉄バファローズの監督だった梨田昌孝氏の鳥居は特に有名です。
2022年6月4日。人が密集する千本鳥居を歩きながら、それらしい写真を撮ります。「伏見稲荷大社」の三角コーンが置かれているのは、鳥居の建立予定地です。
2022年6月4日と7月30日。千本鳥居の更新頻度は高く、10年以上前の鳥居は少数派です。2022年時点では、令和に建立された鳥居の数が着実に増えています。
2014年7月12日、2022年6月4日、7月30日。千本鳥居内部に吊るされた電燈。夜は幻想的な風景を楽しめます。(p.2を参照)