東方巡遊記

大峯奥駈道トレッキング

目次

01
プロローグ
02
吉野駅~金峯山寺~吉水神社~吉野水分神社~金峯神社~愛染の宿~青根ヶ峰~四寸岩山~足摺宿~二蔵宿~女人結界門~洞辻茶屋
03
洞辻茶屋~大峯山寺/山上ヶ岳~小笹の宿~女人結界門~大普賢岳~行者還岳~行者還小屋~一ノ垰~聖宝ノ宿~弥山~弥山神社
04
弥山~八経ヶ岳~舟ノ垰~楊子の宿~仏生ヶ岳~孔雀岳~馬の背~釈迦ヶ岳~深仙宿
05
深仙宿太古ノ辻天狗山地蔵岳涅槃岳持経宿平治宿転法輪岳行仙岳行仙宿
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08
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エピローグ

2019年4月30日(火) 4日目

深仙組が征く!

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深仙宿

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0410起床。雨は降り続いています。

現在地は大和国吉野郡/奈良県吉野郡十津川村と下北山村の境界。釈迦ヶ岳の南、標高1496mの深仙宿の避難小屋。大峯奥駈道の第三十八靡深仙宿」になります。電燈を点けて慌ただしく準備が始まりました。

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時間を惜しんで朝食はシンプルに。必要カロリー計算なんかどうでもいいです。レインウェアを着てザックにレインカバーを装着。ヘルメットを被ってブーツを履いたら出動します。

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小屋の外は本降りの雨。奥駈組のテントが15張りほどありました。雨の中ではテントの撤収とパッキングが大変。昨日、12時前に小屋泊を決めたのは正解でした。

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0509、R氏、O氏と先行で出発。後からN氏とF氏がハイペースで追従。昨日から加わったK氏も同行するとのこと。

4日目の目的地は、当初の計画通り行仙宿の山小屋。初日と2日目に伸ばした行程が3日目で元に戻りました。結果的には小屋泊で雨をやり過ごせることになったし、予定内に収まったから問題はありません。では、長い一日の始まりです。

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まずは大日岳の分岐まで登ります。雨で足場が悪くなっており、早速滑りました。第三十七靡聖天の森」と第三十六靡五角仙」は気付かず通過。それより行仙を目指し、明日は玉置神社、明後日は熊野本宮大社です。

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0519、大日岳(1568m)と千手岳(1357m)への分岐。第三十五靡の「大日岳」、第三十四靡の「千手岳」です。

どちらも極めて急峻で危険な岩山として知られ、修験者や熟練者以外の立ち入りは推奨されていません。クライミング経験のあるN氏なら普通にアクセスできそう。そういえば、明日は垂直6mの岩場があるんだった……

太古ノ辻

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0529、太古ノ辻まで来ました。標高1459m、第三十三靡の「二ッ石」。これより大峯最深部の南奥駈道に入ります。

初日の吉野(p.2)でも説明したように、歴史ある大峯の修験道は明治時代に廃絶させられました。後に再開された修行では太古の辻から前鬼に下るようになり、熊野に至る南奥駈道は熊野古道と同じく藪の中に失われました。明治の近代化の影で、多くの歴史が消えていったのです。

昭和59年(1984年)、「新宮山彦ぐるーぷ」が活動を開始。途方もない努力を重ねて熊野への道を開く偉業を成し遂げられ、山中の持経宿、平治宿、行仙宿の3箇所に山小屋を整備されました。長く途絶えていた南奥駈道に修験者や登山者の姿が増えた現在でも、山小屋と山道を維持するための地道な活動を継続されています。

太古の辻から熊野に至る45kmの南奥駈道。この道を修行として、史跡として、ロングトレイルとして歩けるのは、「新宮山彦ぐるーぷ」のおかげ。そのことを一時も忘れないでください。今回の旅に使用したイラストマップも、同ぐるーぷにより作成されました。

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「新宮山彦ぐるーぷ」により設置された標識。実際にメンバーが歩いて計測した数値だそうです。持経宿まで5時間。次の行仙宿まで3時間ぐらいかな。

さて、太古の辻には前鬼の集落への分岐が存在。2時間ほど山道を下ると小仲坊という宿坊に至ります。そこから前鬼川沿いに林道を歩き続けるとR169に合流。前鬼口バス停から吉野方面にエスケープが可能です。

昨日下山を決断したD氏も前鬼口から帰還したはず。これより南に進むとエスケープ手段が限られてしまうため、体力や補給の問題で縦走を断念するなら最後のチャンスです。念のため書いておくと、全部踏破するのは上級者向きの山行。北部と南部に分けて歩くのが一般的だと思います。

ちなみに前鬼・後鬼とは役小角が従えた夫婦の鬼。生駒山に幽居する鬼だったのが役小角の教化で弟子となり、前鬼・後鬼の5人の子供達は行者の宿坊を開いたと伝わります。残念ながら修験道の衰退とともに宿坊も廃業を余儀なくされ、今では五鬼助氏の小仲坊のみ存続しています。

前鬼の集落には第二十九靡の「前鬼山」。その北東の山中には第二十八靡の「前鬼三重滝」あり。南奥駈道の縦走に専念するため寄り道はしませんでした。古くは前鬼~太古の辻にも女人結界があったそうです。

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太古の辻から熊野方面へ。気温は5℃。本降りの雨の中、緩いアップダウンを繰り返します。第三十二靡の「蘇莫岳」は素通りしてしまいました。

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平地にテントを発見。昨日の夕方ビバークしたのでしょうか。私達は巧妙にテント泊を避けています。

天狗山

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0619、天狗山(1537.2m)。この先、1500m以上のピークはありません。標高が下がる代わりに深さは増していきます。

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山頂の三角点を確認。「新宮山彦ぐるーぷ」の標識を見て、メンバーの地道な山行活動を実感します。

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0637、奥守岳(1475m)を通過。第二十七靡の「奥守岳」です。

古くは奥守岳~前鬼の間に小池宿が存在。第三十一靡の「小池宿」は長らく所在不明だったのが、「新宮山彦ぐるーぷ」の調査で宿の跡地が発見されました。近世には小池宿跡を通るルートがあったと推測されています。

第三十靡の「千草岳」は所在不明のまま。今後の調査で明らかになるかもしれません。

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0650、嫁越峠(1350m)。吉野郡十津川村と下北山村の境界です。

大峯全域に女人禁制の風習があった時代、十津川から北山へ嫁ぐ花嫁が通ることを許された峠道。古くは奥守岳が嫁越峠と呼ばれたとする記録もあります。このような地名に、大峯の歴史が詰まっているのです。

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嫁越峠の先、天狗の稽古場を通ります。そう言われると確かに、天狗が稽古してそうな広場です。2日目に弥山で見かけた天狗のようなトレイルランナーは、とっくに熊野に到着して帰路についていると思われます。

地蔵岳

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0709、地蔵岳(1464m)。第二十六靡の「子守岳」です。直前にGORE-TEXのレインウェアを新調したおかげで、本降りの雨でも問題無し。装備が全てを解決してくれます。

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地蔵岳を下って1328m、1317mのピークへ。1328mのピークは第二十五靡の「般若岳」。これも素通りしました。

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尾根道で見つけた花。種類は分からないけど撮りました。歴史探訪に偏って動植物には疎いです。

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涅槃岳へ。滑って転倒しないよう意識を保ちます。体力をすっかり消耗し、漠然と歩く有様でした。

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異様に長く感じる登り道。偽ピークが多くて気力を削がれます。

涅槃岳

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0818、涅槃岳(1376.2m)。第二十四靡の「涅槃岳」です。大峯奥駈道の七十五靡を逆峯で辿り、3分の2を過ぎて二十四靡まで来ました。

6年前の2013年4月、東海道五十三次を自転車で駆ける「東海道ツーリング」を実施。6日間で約668.4km、五十三の宿場町を辿る意欲的な企画でした。東海道の3分の2といえば興津宿…走馬灯のように蘇ります。そうそう、あの旅も後半は雨でしたね。

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山頂で小休止。この先の岩場を下ると中間点の持経宿。持経で大休止して行仙宿に向かいます。今日、それ以上の延伸は考えません。

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出発。すぐ証誠無漏岳に着きました。

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0844、証誠無漏岳(1301m)。第二十三靡の「乾光門」になります。かつて拝み返しの宿が設けられました。

初日に出会った3名、昨日出会ったばかりの2名。深仙の避難小屋で泊まった6名の臨時パーティーを組み、ソロ登山家の過激派集団「深仙組」を称して練り歩きます。ちなみに私以外は山岳部出身。O氏は現役部員です。歴史探訪マニアは場違いすぎるよ……

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証誠無漏岳の先は岩場が待ち受けます。一人ずつ慎重に通過。滑落しないように。

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鎖とロープが設置された危険地帯。各自、黙々と岩場を通っていきます。

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なんとか岩場を脱出しました。持経宿は近いです。

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阿須迦利岳へ。湿度が上がってコンデジのレンズが曇ります。行程を記録するためレンズはクリアに保ちたい。立ち止まって念入りに拭きます。

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0913、阿須迦利岳(1251m)。今のところ順調に進んでいます。

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ここで休むより持経宿に下りましょう。あと10分の標識を過ぎ、山小屋が見えました。

持経宿

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0932、持経宿の山小屋に入ります。標高1051m。第二十二靡の「持経宿」です。古くは多寶宿あるいは持経者宿として知られた宿。役小角が孔雀明王経を埋納した伝説が残ります。

太古の辻から持経宿まで4時間半。「新宮山彦ぐるーぷ」の標識では5時間でしたから、深仙組のペースは標準より速かったことが分かります。座り込んで休む時間を設けず進んだのが功を奏しました。リーダー(と皆が思っている)のR氏のおかげです。

この山小屋が建設されたのは昭和54年(1979年)のこと。南奥駈道の再興を目指した「奥駈葉衣会」の尽力で完成します。その遺志を継いだ「新宮山彦ぐるーぷ」が精力的に整備を続け、今では南奥駈道を縦走する際の重要拠点になっています。平成27年(2015年)にも大修理が行われました。

下北山の池原集落に通じる林道があり、GWのような奥駈シーズンは管理人が駐在されています。20人ほど収容可能でトイレ等の設備が充実。付近に水場あり。宿泊する場合は、小屋の維持費として2000円を納めてください。

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ひとまず雨から遮断。ザックを下ろして綺麗な山小屋に入ると、「新宮山彦ぐるーぷ」の皆様に歓迎されました。

はぁ…疲れた。昼食の時間じゃないからソーセージを齧ります。目的地の行仙宿も設備が充実した山小屋との情報。「早めに着いて皆でビールを飲もう!」と意見が一致。深仙組を結成してから不真面目な山行になっています。

ゆっくりしすぎると先が辛くなりますから、早めに切り上げて出発します。行きましょう。

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1003、出発。これは白谷池郷林道。3時間下ると下北山村の池原集落です。

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山道に復帰。次は平治宿を経て行仙宿へ。行仙宿の手前の行仙岳は急な登りです。その後は楽園が待っていますよ!

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1009、持経千年檜。樹齢は推定200~299歳。「森の巨人たち百選」に選ばれた巨木です。新しい不動堂もありました。

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雨は小降り状態に。アップダウンは続きます。

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1035、中又尾根分岐(両又分岐)。1186mのピークを通過します。

平治宿

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1048、平治宿の山小屋。標高1122m。第二十一靡の「平治宿」です。古くは三胡宿、後に平地宿と呼ばれるようになりました。ここはノンストップで通過。小屋の設備などは未確認です。

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転法輪岳への登り。順峯の修験者と擦れ違いました。

転法輪岳

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1113、転法輪岳(1281.5m)。仏教思想にちなんだ山名が続き、大峯奥駈道の性格を表しています。

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尾根伝いに行仙岳へ。大小のピークを登って下って、また登り。北奥駈道よりアップダウンが多く感じます。

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1127、適当な小ピークで小休止。どれぐらいピークが残っているのか確認中。テント泊装備で遠く吉野から歩き続けて4日目。何でもないアップダウンが大きな障害になります。

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確認後、倶利伽羅岳へ。まもなく岩場が現れます。

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倶利伽羅岳の手前。鎖で岩場を越えるルートと、鎖のないルートに別れています。

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ここは鎖場を選択。山頂まで一気に登ります。

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1152、倶利伽羅岳(1252m)。この山頂も行場の一つです。

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小ピークを経て行仙岳へ一直線。雨が上がり、山々の姿が見えました。

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「あれが行仙岳の登りかな?」と思っていたら、見事に偽ピークか隠れピークで期待を裏切られます。そうやって数多くのピークを落胆しながら越えました。

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1247、行仙岳の手前。レインウェアを脱いで態勢を整えます。雨が止んでくれたのはラッキーでしたね。

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すぐに出発。まだ登り返しがあります。南東に下北山村の浦向集落が見えました。

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1254、怒田宿跡。標高1082m。第二十靡の「怒田宿」です。行仙岳の手前の鞍部に設けられた宿の跡。中世には智恵宿と呼ばれていたようです。

真下を白谷トンネル(R426)が貫いており、東口までマイカーでアクセスして行仙岳に登山可能。北奥駈道と違い、南は深すぎて敬遠される傾向にあり、軽装備のハイカーの姿は全く見かけませんでした。

さあ、行仙岳まで登りましょう。

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行仙岳への急登。単独行なら苦しい登りだったでしょうが、N氏とお喋りするうちに山頂まで来ました。もう一息、もう一息です。

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山頂付近にNHKアイテックのアンテナ。「自立式三角鉄塔(iD鉄塔)」とあります。またコンデジのレンズが曇りました。湿度が高すぎる。

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山頂へ。ここまで曇ると記録になりません。

行仙岳

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1315、行仙岳(1227.3m)。第十九靡の「行仙岳」です。

転法輪岳から行仙岳まで2時間。地形図上では短い尾根道に見せかけて、実際は隠れピークだらけの辛い道のりでした。もう体力の限界を通り越して燃え尽きています。

左の1名はバックパッカーのヘタレ。装備だけは本格的で登山家のような見た目です。右の2名は登山&アウトドア経験の豊富な本物の熟練者。ベテラン登山家に牽いてもらってなんとか登ってこられました。バックパッキングの経験など、大峯奥駈道には通用しないのです。

私とR氏、N氏は初日にもパーティーを組みました。「あのとき先頭だったU氏のペースは滅茶苦茶速かった」「必死に追いつこうとして両膝が攣りそうになりましたよ」と、洞辻茶屋まで歩いた頃を思い出します。今では笑い話ですね。

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1325、出発。あとは行仙宿へ下るのみ。東の山間部には先程も見えた浦向の集落。山に隠れた北側に下北山村役場があります。

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「行仙でビール!」を合言葉に、無駄にペースを上げて斜面を急降下。気力を保つため仕方ないことなのです。

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山小屋が見えました。

行仙宿

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1339、行仙宿の山小屋に到着。標高1088m。本日の行程は終了です。

深仙宿から行仙宿まで8時間半。4日目の歩行距離は約21kmでした。(個人差があります)

この山小屋は平成2年(1990年)に完成。「新宮山彦ぐるーぷ」が南奥駈道の修験者の要望に応え、関係各所から資金を調達して建設された素晴らしい施設です。持経宿と同じく南奥駈道を縦走する際の重要拠点になっており、GWのような奥駈シーズンは管理人が駐在されています。

30人ほど収容可能でトイレ等の設備が充実。飲料や食糧があり、付近には水場も存在します。北の持経宿のように自動車で乗り入れることはできず、R425から人力またはモノレールで物資を搬入されています。宿泊する際は、小屋の維持費として2000円を納めてください。

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待望のスーパードライは400円。汚れたブーツを脱いでレインウェアを吊るし、ザックを置いて寝場所を確保したら酒盛り開始。深仙組の構成員とともに一日の疲れを癒やします。こういう旅人同士の宴会が何よりも楽しいのですね。

小屋が混まないうちに装備を整理。ウェットティッシュで体を拭いてテーピングを貼り替え。玉置神社と熊野本宮大社に至るルートも再確認します。深仙組と出会ってからの色々な出来事も忘れずメモ。後からレポを書くときに必ず役に立ちます。

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一服したら水を汲みに行きます。「南無大日大聖不動明王」「南無田上妙験行者尊」の幟が並び、奥駈道が修験者のための道だったことを思い出しました。今日の我々は不真面目すぎて怒られそうです。

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水場は谷の下にあります。気が緩んでいる今が一番危ない。再び登山モードで急斜面を下ります。

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御神水が湧き出る沢。明日は玉置神社まで水場がありません。ここで2L+0.5L満タンに補給しておきます。あと2日も歩けば熊野本宮大社。長い旅が終わります。

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水場から戻ると薪割り大会が開催中。力自慢の登山者達が斧を振るって薪を量産。せっかくなので私もフルパワーで割りました。こういう謎の体力は普通に残っています。

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薪割り参加者には発泡酒をプレゼント。夕食の時間になって再び酒盛りを始めます。

深仙宿や山道で見かけた奥駈組のほか、ハイカーなどの登山者が夕方に続々と到着。山小屋の宿泊者は25名ぐらいだったと思います。管理人から平成最後の日を締めくくる挨拶があり、今になって平成31年の終わりを感じました。

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備え付けの毛布にくるまって寝る準備。疲れを知らないO氏の隣で横になりました。何でもいいから眠りたい。ただそれだけです。

1930、就寝。
5日目に続きます。

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