熊野古道トレッキング I
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2009年12月30日(水) 7日目 伊勢路
速玉大社へ。
0500起床。
出発から1週間になります。
昨夜から急激に冷え込み、寒い朝を迎えました。
とりあえず、カロリーメイトとコーヒーで朝食。
現在地は三重県南牟婁郡御浜町のJR紀伊市木駅。
今日は最初の目的地、速玉大社のある新宮へ。
駅で固まっていても冷たい風に晒されるだけ。
0557、出発します。
なんだか路駐が多いな?
と思っていたら、海釣り客が浜に展開中。
ヘッドランプの明かりが、行ったり来たりしています。
浜に腰を下ろして日の出を待つことに。
もう点滅を始めたLUMIXのスペアバッテリーに萎え。
この旅を終えたら、頑丈でランタイムの長いカメラを導入します。
曇りがちな東の空に、今日も太陽が昇ります。
海釣りに興じる親子の姿にほのぼの。
0800、重い腰を上げて出発。
一旦R42を渡り、緑橋で市木川を渡って再び浜へ。
海沿いの七里御浜松原遊歩道を歩きます。
サイクルツーリングで長旅に慣れているとはいえ、
今回のようなバックパッキングの経験は殆どありません。
もはや気合だけで実施しているような雰囲気。謎の勢いです。
JR阿田和駅の手前で歩道橋を渡りR42に復帰。
道の駅「パーク七里御浜」を過ぎても、コンビニは見つかりません。
昨日、花窟神社付近のサークルKで補給するべきでした。
こんな時、コンビニの看板が見えてペースを上げたら、
実はガソリンスタンドだった、という恐ろしい現象がよくあります。
自転車のように食糧や装備を沢山携行できず、速度も遅い徒歩の辛さを痛感。
0927、念願のサークルKを発見し、倒れこむようにIN。
たっぷり食べてたっぷり補給、特盛のどん兵衛が美味い!
フル装備のランドナーがR42を通り過ぎて行きました。羨ましい。
大量に補給したおかげで、当然ザックは重くなるわけですね。
1020、いつまでも休んでいられないので出発しましょう。
R42で井田川を渡ると紀宝町に入ります。
1040、R42沿いの道の駅「紀宝町ウミガメ公園」に寄り道。
ウミガメのプールがあるそうです。
サイクルツーリングでは、寝場所として頻繁に利用する道の駅。
今回は距離が合わないのと、R42沿いで車が多いため使っていません。
観光客が多いところでは、ゆっくり休めないし・・・
ウミガメのプールを見学。
この辺りはウミガメの産卵で有名だと思います。
1052、道の駅を出発。
R42より内側の住宅街を歩きます。
ミカンの樹があったりして、南にやってきた感じ。
前半の山道は昨日の松本峠で終え、
今日のルートは舗装された車道ばかり。
しかし、新宮を目前にしてモチベーションは上がる一方。
熊野三山が本当に楽しみです。
1112、JR紀伊井田駅。
誰も来ない無人駅のほうが、落ち着いて休憩できますね。
1208、出発。
七里御浜に下りて以降、見かけなくなった熊野古道の標識。
久々に見つけました。
1235、横手延命地蔵。
相変わらず曇りがちな熊野灘を眺めつつ、山沿いを歩きます。
この先、歩道橋で紀宝バイパス(R42)を渡って新宮市街へ。
しばらく歩いていると、ようやく新宮市街が視界に入りました。
正しいのか外れているのかよく分からないまま、車道を歩きます。
それらしい標識はありませんでした。
1335、紀勢本線を渡って熊野川(新宮川)沿いのR42。
交通量が非常に多く、感慨にふける余地はありません。
熊野大橋で熊野川を渡ります。
1355、三重県南牟婁郡紀宝町から和歌山県新宮市に入りました。
この感動が伝わるといいのですが・・・
熊野大橋を渡ってR42を右折すると、熊野速玉大社。
権現山(234.4m)と神倉山(190m)からなる千穂ヶ峯の北麓に位置します。
時刻は1405。
やっと着いた、以外の言葉が出てきません。
伊勢から1週間・・・長かった。
鳥居をくぐって境内へ。
右手に天之手力男命を祀る手力男神社と、
建角見命を祀る八咫烏神社がありました。
・・・写真は少なめ。
「熊野古道トレッキング II」(5ページ目)で少しだけ補完。
「熊野古道トレッキング IV(執筆中)」(7~8ページ目)では
速玉大社を始め、新宮を詳しく補完しています。
そちらのレポからどうぞ。
神門をくぐって本殿へ。
人は意外と少なく、静かな雰囲気。
ここでも年末年始の準備が進んでいました。
熊野三山の一つで、熊野信仰の総本社である速玉大社。
熊野速玉大神(伊弉諾尊)、熊野夫須美大神(伊弉冉尊)を
主祭神として、熊野の神々を祀ります。
かつて神倉山に降臨された熊野大神は、
景行天皇58年(128年頃)に当社に遷宮されました。
神倉山の古宮に対して、ここが新宮と呼ばれるようになったとか。
速玉大社を出ると、少し雨が降ってきました。
歓迎の雨という解釈でよろしいでしょうか?
現在地は新宮。略地図上の速玉大社。
熊野古道はここで3ルートに分岐。
熊野市から歩いてきた伊勢路の浜街道。
熊野川を遡り、楊枝の渡しで熊野川上流を渡り、
万才峠を越えて本宮大社を目指す伊勢路の川端街道。
那智を経て那智大社、本宮大社を目指す中辺路に別れます。
今回は浜街道から中辺路に乗り換え、
川端街道は未踏破ルートとなりました。
「熊野古道トレッキング II」(5ページ目)では本宮大社からバスで寄り道、
「熊野古道トレッキング IV(執筆中)」(7~8ページ目)では那智から電車で寄り道しています。
ザックにレインカバーを装着。
R42に戻り、速玉大社から1.5kmほど離れた神倉神社へ。
雨は小康状態に。
自分が濡れるのは構いませんが、カメラが濡れるのは不安。
どちらのカメラも防水ではありません。
R42から山側に入り、市田川を渡ると神倉神社。
速玉大社より古い社ですが、摂社となります。
境内に入った正面には猿田彦命を祀る猿田彦神社と、
火産霊神、誉田別命を祀る神倉三宝荒神社があります。
一の鳥居をくぐり、神倉山に取り付き。
頂上の社まで、538段もの険しい登らねばなりません。
今まで歩いてきた、どの石段よりもハードでした。
中間点の火神社、中ノ地蔵堂を過ぎると、
登りは緩やかになります。
登りを終えて、まもなく頂上。
二の鳥居の右手には満山社があります。
1500、頂上です。
ゴトビキ岩と呼ばれる巨岩が御神体。
ここが熊野大神が降臨された古宮であり、
今では高倉下命と天照大神を祀っています。
熊野といえば、神倭伊波礼毘古命(後の神武天皇)の東征伝説の地。
神武天皇が登った熊野神邑の天磐盾とは、この神倉山のことなのだとか。
高倉下命から受け取った布都御魂、八咫烏の先導など、
よく知られたエピソードだと思います。
南東、新宮市街の眺望。
尾鷲や熊野市より大きな街ですね。
切り立った崖になっており、雰囲気はあります。
下ります。高所恐怖症の私にとって、
急な下りほど恐ろしいものはありません。
麓に下って本日の探訪は終わり。
新宮駅に向かいましょう。
ところで、ザック付属のレインカバーは黒。
視認性が低く、山や車道では目立ちません。
赤かオレンジのカバーを別途調達したほうが良かったですね。
1538、JR新宮駅までやってきました。
今日はビジネスホテルを利用しますヨ。
コンビニを探してみましたが、駅周辺には見当たらず
少し離れたところにサークルKとローソンがあるようです。
駅前にはスーパーのオークワが2箇所ありました。
16時過ぎ、「ステーションホテル新宮」にIN。
野宿の旅ばかりやっていると、
たまに利用するビジネスホテルが天国に思えます。
1週間ぶりに冷たい風から遮断され、暖房の効いた部屋。
超快適です。
ザックを下ろし、もう動きたくない気分なのですが、
ゆっくりする前に買い出しを済まさなければなりません。
旅の中間点では、必ずと言っていいほど利用するビジネスホテル。
心身のリフレッシュはもちろんのこと、カメラと携帯電話の充電、
水や食糧の補給、装備の整理、行程のチェック等々・・・
やることは沢山あるんです。
体の節々が痛み、右足の親指にマメができた以外はノーダメージ。
本宮まで多分3日ぐらい。残りの行程も、この調子で頑張りましょう。
駅から離れたサークルKで買い出しを済ませ、一人宴会を開催。
テレビを見て、シャワーを浴びる至福のひととき。
眠りに就いたのは21時頃でした。
本日の歩行距離は約17km。
1週間で伊勢路を踏破、約170km歩きました。
旅の前半を終え、8日目から中辺路に続きます。