熊野古道トレッキング I
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2009年12月29日(火) 6日目 伊勢路
新宮を目指して。

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始発前の0450に起床するも、危険なほど眠い。
人が来ないを確認して二度寝、0545に再起動・・・

明るくなるまで、地元のおじさんと談笑しながら時間潰し。
この辺りは某新興宗教の分教会が多く、おじさんの話によると
旅人を泊めてくれる事があるそうです。自分は利用しませんけど。

現在地は三重県熊野市のJR新鹿駅。
今日は熊野市街に下り、いよいよ七里御浜。
新宮まで最後の峠ラッシュといったところでしょうか。

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0633、出発。
R311から高台に抜けていきます。
紀勢本線を跨ぐと、再びR311に合流。
・・・分かりにくい。

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0653、波田須隧道手前で山道に入ります。

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0710、西行松跡。
その昔、西行がここにあった松の下で休んだとか。

感慨に耽っていたら、LUMIXのバッテリーが点滅を始めました。
スペアバッテリーがあるから、多分大丈夫です。多分。

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早朝は曇っていても、歩き始めると必ず晴れてきます。
天照大御神が道を照らし、猿田彦大神が道を開く。
そういうこと。

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鎌倉時代に整備された石畳を歩きます。
西行は、完成したばかりの石畳道を歩いたのでしょう。

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0733、R311沿いの波田須神社。
応神天皇、稲倉魂命、徐福を祀ります。

康平7年(1064年)の創建と伝わる社。
明治40年(1907年)に徐福の宮と稲荷神社を合祀しますが、
後にそれぞれ復社され、現在に至ります。

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のどかな波田須の集落に下りてきました。
ルートの方角的に、どうしても逆光気味になってしまいます。
写真から伝わるかどうかは分かりませんが、とても暑い。

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集落の中には、徐福を祀る徐福の宮。
その奥には徐福の墓もあります。

かつての地名は秦住で、古くから徐福伝説の残る地。
東方の三神山にある不老不死の霊薬を求めて船出した徐福が
辿り着き、様々な文明をもたらして永住の地にしたと伝わっています。

御存知の通り、東方的には「永夜抄」に登場した蓬莱山輝夜と、
藤原妹紅の元ネタの一つとなっています。

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0825、R311に戻り大吹峠(205m)入口。
JR波田須駅には寄りませんでした。

今まで写していませんでしたが、各峠には右のような標識が設置されています。
意識すると全然進んでいないように感じられるので、極力無視するように。
ちなみに八鬼山越えのときは63ぐらいありました。恐ろしい・・・

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この辺りは竹林が多く、独特な感じの山道です。
尚、もこたんは住んでいません。

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0842、大吹峠(205m)に到着。
緩いアップダウンで、順調な行程です。

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0852、出発。
竹林が風で軋んでいます。

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0915、大泊のR311に下りました。綺麗な海岸です。
大泊橋で熊野宮川を渡り、R311からR42を渡って松本峠(135m)へ。

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0935、旅人とすれ違って峠に取り付き。
これが前半最後の峠ですよ!

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なかなかきつい石段が続きます。
きつくない石段などありませんが・・・

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0953、松本峠(135m)を登りきりました。
ゆっくり休憩したくても、止まるとすぐに冷えてくるから厄介です。

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熊野市街へ下る前に、七里御浜を望める展望台へ。
ここもハイカーがちらほら。

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1025、熊野灘に面する七里御浜。
6日目にして、ようやくここまで辿り着きました。
新宮までもう少し、本宮はまだまだ遠い・・・

そしてPENTAX SPのフィルム交換。
この時点で4本目です。

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こちらは鬼ヶ城跡から北の眺望。
今日歩いてきた大泊の海岸が見渡せます。
そろそろ熊野市街に下りましょうか。

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1105、下ります。一部崩落箇所がありました。

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1120、前半最後の峠を下りました。
ここは熊野市街、地名的には木本町です。

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笛吹橋で西郷川を渡り、熊野市駅へ。

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1138、JR熊野市駅に到着。

思っていたよりローカルで、駅前のコンビニはタイムズマートのみ。
大きい有人駅は、早朝以外は休めるような雰囲気ではありません。
変なオッサンに絡まれたので移動します。

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R42を渡って七里御浜へ。気持ちのいい日差しです。
暖かいので、日中は防寒ジャケットを着ていません。

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玉砂利の浜を歩きながら休みます。
海辺で休んでいたら、靴を海没させてしまいました。
やっちまったよバカ・・・

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獅子岩の前を通り、一旦R42に復帰。
玉砂利は想像以上に歩きづらく、体力を消耗します。
R42の青看によると、新宮まで22kmとのこと。

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花窟神社までやってきました。
近くにサークルKがあったのに、補給は大丈夫と思ってスルー。
この判断は非常に甘かった。

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境内へ。左手に稲荷神社があります。

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伊弉冊尊を祀る花窟神社。
社殿は存在せず、この巨岩が御神体となります。
軻遇突智尊を産んで亡くなった伊弉冊尊は、ここに埋葬されたとか。

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向かい側には、軻遇突智尊を祀る王子ノ窟。
当レポは、神話や伝説をそれなりに知っている前提で進めています。
だって、全部解説するのは大変だし・・・

熊野古道地図_熊野分岐 
現在地は花窟神社。略地図上の熊野市。
伊勢路はここから2ルートに分岐。

七里御浜を通り、R42沿いに熊野川下流の速玉大社を目指す浜街道。
山側に入り横垣峠や風伝峠を経て、楊枝から熊野川上流を渡り、
万才峠を越えて本宮大社を目指す本宮道に別れます。

今回は浜街道、「熊野古道トレッキング III」(4~7ページ目)では本宮道を選びました。

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1315、出発。防風林沿いに堤防を歩きます。
神志山駅を目標に、南へ。

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またまた浜に下って時間潰し。
今日は日没に追われることもなく、浜に転がって仮眠。

LUMIXは遂にバッテリー切れ。
ここまで400枚ほど撮影。スペアバッテリーに交換します。

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ところでこの写真、向こうの小島のような影が見えるでしょうか?
散歩中のおじさんから聞いて気付いたのですが、島ではありません。
11月に座礁したマルエーフェリー「ありあけ」でした。
動かすわけにもいかず、ここで解体されるらしい。

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夕暮れとともに歩き始めます。十分休むことができました。

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月が昇ってきました。
大晦日にはちょうど満月になっていることでしょう。
フェリーが非日常的な雰囲気を醸し出しています。

志原橋で志原川を渡り、南牟婁郡御浜町にIN。
花窟神社を出てからコンビニは見当たりません。

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1640、JR神志山駅で日没を迎えました。
このまま次の駅へ進みます。

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1728、JR紀伊市木駅に到着。
R42の裏側に隠されており、見つけるのに苦労しました。

結局コンビニは発見できず。
今夜もチキンラーメンを作り、風に耐えながら終電待ち。
明日は新宮の速玉大社。ビジネスホテルで眠りたい・・・

本日の歩行距離は約18km。
7日目に続きます。

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