熊野古道トレッキング I
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2010年1月2日(土) 10日目 中辺路
長い旅路の終わり。
0525起床。
冷え込んだにも関わらず、よく眠れました。
現在地は和歌山県新宮市、小口の某所。
満月を眺めながらチキンラーメンを食べて、素早く撤収。
今日は最後の目的地、本宮大社を目指して小雲取越です。
0635、出発。
R44を歩いて小雲取越の入口へ。
集落を抜け、小口トンネルを通ります。
0652、R44沿い、小和瀬の渡し場跡。
小口という地名が初めて文献に登場するのは、
西行の歌だそうです。そーなのかー
小和瀬橋で赤木川を渡り、小雲取越入口。
さあ、本宮まで頑張りましょう。
堂の坂を登っていきますよ。
振り返ると、深い山の中にいることを実感。
熊野という地名の語源はよく分かっていませんが、
「神々が住むところ」や「死者の霊が隠れるところ」みたいな説があります。
かつて死者の国や現世の浄土と考えられ、独自の信仰が生まれました。
深い山を歩き、死の世界に入って現世に戻るという思想。
今では「再生の地」や「蘇りの地」という表現がよく使われています。
パ○ースポットやス○リチュアルみたいな宣伝も沢山見かけますが、
そっち系は興味ないのでスルーさせてもらいます。
太陽が後ろから顔を出しました。
今日は雪も風もなく、穏やかな天気です。
久々に猿に遭遇しました。
0813、桜茶屋跡で小休止。
ハイカー2名に出会いました。
0840、桜峠(466m)を越えました。
今回の旅でラストの峠となります。
大雲取越に比べると緩いアップダウン。
確実に行程を進めます。
熊野古道といえば苔むした石畳。
という投げやりなイメージが蔓延していますが、
実際に歩くと、それだけが全てではないことが分かります。
小さな山道、どうでもいい車道、田舎の町並み、深く険しい山越え。
それら全てが、熊野に通じる参詣道なのです。
0905、石堂茶屋跡。
ザックを下ろして小休止・・・
賽の河原地蔵から登り階段。
ここを登りきると、小雲取山(450m)の尾根道。
新宮市と田辺市の境界を歩きます。
如法山(609.8m)を正面に望み、舗装された林道を渡ります。
難関と呼ばれる雲取越。
あまりに多くの峠を越えてきたせいで、
特別険しいルートとは感じられませんでした。
というか、結局どの峠もそれなりに疲れます。
0947、百間ぐら(430m)に到着しました。
本宮から遠くの山々を望みつつ、ゆっくり休憩します。
実に爽快な景色。ゴールはもうすぐですよ!
百間ぐらを過ぎると、伊勢路と合流。
後は請川まで下り道となります。
現在地は小雲取越。略地図上の○。
熊野古道はここで2ルートが合流。
今回と「熊野古道トレッキング IV(執筆中)」(12~15ページ目)では中辺路、
「熊野古道トレッキング III」(6~7ページ目)では伊勢路でやってきました。
緩く長い下りが続きます。
・・・力が抜けてきました。
熊野川がはっきり見えてきました。
長い山道が終わろうとしています。
1110、雲取越を終えて請川に下りました。
新宮方面から延びてきたR168と合流。
これで、全ての山道をクリアしました。
そのままR168を進み、ヤマザキショップで休憩&昼食タイム。
カップ麺を買ったら湯が沸いていなかったので少し待機します。
こうしてコンビニで休んでいると、心も体も落ち着きますね。
1155、本宮大社を目指して出発。
R168を3kmほど。まずは請川橋で大塔川を渡ります。
平成17年(2005年)の市町村合併により、
本宮町は田辺市の一部になりました。
これまで歩いてきた多くの町も、
市町村合併で統合されています。
初詣で混雑気味のR168を、黙々と歩きます。
助手席のおばさんからミカンを恵んでもらいました。
半年前から構想を始めた熊野の旅。
山歩きやバックパッキングはビギナーにも関わらず、
ルートや行程の検討を重ね、万全の計画(?)で実施。
実際には、毎日行き当たりばったりの旅になりました。
それでも、大体は計画通りに進めることが出来、
初めて熊野を歩いたにしては順調だったと思います。
そして何より、ひたすら歩いて熊野三山を巡る、
大変旅らしい旅になったことに満足です。
1248、熊野本宮大社に到着。
伊勢を出てから10日、距離にして220km以上。
ここが、長く険しい道のりの最終目的地です。
大鳥居をくぐり、熊野大権現の幟が立ち並ぶ参道へ。
初詣客で賑わっています。
熊野三山の一つで、熊野信仰の総本社である本宮大社。
家都美御子大神(素戔嗚尊)を主祭神として、熊野の神々を祀ります。
その歴史や信仰については、謎に包まれている部分も多いです。
崇神天皇時代(紀元前97~30年頃)、
熊野連が熊野大権現の神勅を受けて創建したと伝わる社。
かつては熊野川中洲の大斎原に大きな社殿がありました。
明治時代には熊野坐神社と称しましたが、
明治22年(1889年)の十津川大水害で社殿が流失。
山の中腹に上四社を再建し、現在の本宮大社になりました。
行列に並び、上四社にて旅の終わりを報告。
長い道のりを見守っていただき、ありがとうございました。
「東方巡遊記 熊野古道編」完。
本宮大社については、「熊野古道トレッキング III」(7~8ページ目)で詳しく補完しています。
そちらのレポからどうぞ。
境内を出ると、R168を渡って「世界遺産 熊野本宮館」へ。
その名の通り、世界遺産である熊野本宮のビジターセンターです。
今年7月にオープンしたばかり。この軒下は寝場所に使えそう。
裏側は熊野川。
河川敷が臨時駐車場になっています。
年末年始以外は、とても静かそうなところ。
本宮大社の旧社地であり、古くからの聖域。
熊野大権現が降臨されたと伝わっています。
境内は撮影禁止のため、この写真のみ掲載。
全ての行程を終えて、ゆっくり休憩・・・
付近にヤマザキショップがありましたが、
補給するには小さすぎました。
まだ紀伊田辺に下る中辺路も残っていますが、
十分な達成感が得られたので撤収しようと思います。
中辺路は「熊野古道トレッキング II」(2~5ページ目)及び
「熊野古道トレッキング III」(8~11ページ目)で踏破しています。
現在地は本宮。略地図上の本宮大社。
熊野古道の中心であり、主要ルートが合流しています。
実際の各ルートの入口は離れており、多少歩く必要があります。
北方面は、高野山に向かう小辺路と、吉野に向かう大峯奥駈道。
東方面は、那智大社に向かう中辺路と、速玉大社や伊勢神宮に向かう伊勢路の共通ルート。
西方面は、紀伊田辺に向かう中辺路が2ルートに分岐。
今回の「熊野古道トレッキング I」では、東の伊勢路と中辺路からここまで。
「熊野古道トレッキング II」では西の中辺路から、北の小辺路に乗り換え。
「熊野古道トレッキング III」では東の伊勢路から、西の中辺路に乗り換え。
「熊野古道トレッキング IV(執筆中)」では、南の大辺路と東の中辺路からここまで。
「熊野古道トレッキング V(執筆中)」では、北の小辺路からここまでやってきました。
こうやって、未踏破ルートの回収を企画したのは後の話。
今回の旅を終えた時点では、これで完結にするつもりでした。
略地図で見ると相当な距離を歩いてます。自分でもビックリ。
後はバスで帰るだけ。
本宮大社前バス停で待機します。
旅を終えて撤収する時は、いつもあっさりした感じ。
1510、龍神バス熊野本宮線、紀伊田辺駅方面行きに乗車。
運賃は2000円、山あいの狭いR311を抜けて2時間です。
・・・湯の峰温泉を通過。
「熊野古道トレッキング III」の赤木越・大日越で訪れています。
1715、JR紀伊田辺駅に到着しました。
流石に、中辺路でここまで歩くのは無理だったでしょう。
現在地は略地図上の紀伊田辺。
熊野古道はここで3ルートに分岐。
大阪から延びてきた北の紀伊路。
本宮大社へ向かう東の中辺路。
那智へ向かう南の大辺路に別れます。
今回は中辺路をカット。
「熊野古道トレッキング II」(2~5ページ目)では、中辺路で本宮大社へ。
「熊野古道トレッキング III」(8~11ページ目)では、本宮大社からここまで。
「熊野古道トレッキング IV(執筆中)」(2~6ページ目)では、大辺路で那智へ。
紀伊路は未踏破ルートとなっています。
つい先程まで長く険しい山越えをしてきた筈なのに、
暖房の効いた待合室にいるのは不思議な感覚。
あの長い道のりが、幻のように思えます。
本日の歩行距離は約17km。
総合歩行距離は約228kmとなりました。
1817、御坊行きに乗車。
自宅に戻り、ベッドに倒れ込んだのは2230頃。
10日間に及ぶ熊野古道の旅は、こうして無事に終わったのでした。
次ページ、旅のまとめと今後の展望で終わります。