熊野古道トレッキング II
1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11
2010年12月28日(火) 4日目 中辺路
短い前半戦。
0530起床。
気温は0℃。寒いのはいつものこと。
現在地は和歌山県田辺市、伏拝の休憩所。
朝食を食べながら、適当に今後の行程をチェック。
今日は本宮大社へ下り、明日以降の小辺路に備えます。
天気は曇り、午後からは雨が降るらしい。
0700、出発。まずは緩い下りから。
本宮大社まで、そう遠くはありません。
0725、三軒茶屋跡で休憩。
疲れが溜まり、かなりの頻度で休憩を入れています。
ここは、高野山から延びてきた小辺路との合流点。
九鬼ヶ口関所跡を通って進みましょう。
0755、見晴台地。
本宮方面、大斎原の大鳥居を望むことができます。
このポイントは超オススメ。
祓戸団地が見えてきました。
団地を抜けると、まもなく本宮大社です。
0837、75番目の標識を経て祓戸王子。
詳細は不明ですが、最終チェックポイントとなる王子です。
熊野三山の一つで、熊野信仰の総本社である本宮大社。
家都美御子大神(素戔嗚尊)を主祭神として、熊野の神々を祀ります。
熊野十二所権現とも呼ばれ、神仏習合の要素が大変強いことで知られる熊野信仰。
その歴史や信仰については、謎に包まれている部分も多いです。
神門前の幟には、熊野三山のシンボルである八咫烏。
熊野では家津美御子大神(素盞鳴尊)に仕えるミサキ神。
太陽の化身でもあり、導きの神様として信仰されています。
東方的には、「地霊殿」に登場した霊烏路空の元ネタの一つですね。
年末年始の準備中で、観光客は殆どいませんでした。
「熊野古道トレッキング I」(12ページ目)で訪れたのは1月2日。
こういう静かな時期もいいと思います。
崇神天皇時代(紀元前97~30年頃)、
熊野連が熊野大権現の神勅を受けて創建したと伝わる社。
かつては熊野川中洲の大斎原に大きな社殿がありました。
明治時代には熊野坐神社と称しましたが、
明治22年(1889年)の十津川大水害で社殿が流失。
山の中腹に上四社を再建し、現在の本宮大社になりました。
本宮大社については、「熊野古道トレッキング III」(7~8ページ目)で詳しく補完しています。
そちらのレポからどうぞ。
0905、本宮大社前のR168。
気温は7℃。閑散としています。
現在地は本宮。略地図上の本宮大社。
熊野古道の中心であり、主要ルートが合流しています。
実際の各ルートの入口は離れており、多少歩く必要があります。
北方面は、高野山に向かう小辺路と、吉野に向かう大峯奥駈道。
東方面は、那智大社に向かう中辺路と、速玉大社や伊勢神宮に向かう伊勢路の共通ルート。
西方面は、紀伊田辺に向かう中辺路が2ルートに分岐。
「熊野古道トレッキング I」では、東の伊勢路と中辺路からここまで。
今回の「熊野古道トレッキング II」では西の中辺路から、北の小辺路に乗り換え。
「熊野古道トレッキング III」では東の伊勢路から、西の中辺路に乗り換え。
「熊野古道トレッキング IV(執筆中)」では、南の大辺路と東の中辺路からここまで。
「熊野古道トレッキング V(執筆中)」では、北の小辺路からここまでやってきました。
R168を渡って「世界遺産 熊野本宮館」へ。
その名の通り、世界遺産である熊野本宮のビジターセンターです。
本宮大社の旧社地であり、古くからの聖域。
熊野大権現が降臨されたと伝わっています。
境内は撮影禁止のため、この写真のみ掲載。
補給のためヤマザキショップに入ってみるものの、
小辺路に備えられるような補給は出来ませんでした。
せっかくなので、バスで新宮まで下ることに・・・
1040、本宮大社前バス停から、
熊野交通川丈線、新宮駅方面行きに乗車。
熊野川沿いのR168を、1時間半かけて下ります。
1200、JR新宮駅に到着しました。
ここは和歌山県新宮市です。
本宮大社方面行きのバスは4時間後の1555。
新宮まで下りてくると、流石に暑いですね。
現在地は新宮。略地図上の速玉大社。
熊野古道はここで3ルートに分岐。
熊野市から延びてきた伊勢路の浜街道。
熊野川を遡り、楊枝の渡しで熊野川上流を渡り、
万才峠を越えて本宮大社を目指す伊勢路の川端街道。
那智を経て那智大社、本宮大社を目指す中辺路に別れます。
「熊野古道トレッキング I」(8~9ページ目)では浜街道から中辺路に乗り換え。
川端街道は未踏破ルートとなりました。
今回は本宮大社からバスで寄り道、
「熊野古道トレッキング IV(執筆中)」(7~8ページ目)では那智から電車で寄り道しています。
駅から離れたローソンで補給完了。
自炊用の食糧を合わせたら、高野山まで十分足りるぐらい。
現在の気温は20℃・・・温度計が狂ってるだけだと思う。
徐々に雲行きが怪しくなり、とうとう本格的な雨。
軒下に退避して、レインウェアとザックカバーを装着。
R42で速玉大社に向かいます。
1405、熊野速玉大社に到着。
権現山(234.4m)と神倉山(190m)からなる千穂ヶ峯の北麓に位置します。
前回は速玉大社を出た瞬間に雨が降りました。
鳥居をくぐって境内へ。
右手に天之手力男命を祀る手力男神社と、
建角見命を祀る八咫烏神社があります。
前回は数枚しか撮らなかったので、少しだけ補完。
「熊野古道トレッキング IV(執筆中)」(7~8ページ目)では
速玉大社を始め、新宮を詳しく補完しています。
そちらのレポからどうぞ。
雨は徐々に小降りになり、程よい涼しさに。
速玉大社も観光客は少なく、静かな雰囲気。
新宮駅で休憩した後、 徐福公園へ。
平成6年(1994年)、徐福の墓を中心に整備されました。
いかにも中国な雰囲気の楼門をくぐって、園内にIN。
古くから徐福伝説の残る、熊野の地。
東方の三神山にある不老不死の霊薬を求めて船出した徐福が
辿り着き、様々な文明をもたらして永住の地にしたと伝わっています。
不老の池には、徐福に仕えた七重臣に因んだ
「和」「仁」「慈」「勇」「財」「調」「壮」の石柱があります。
北斗七星の形に並び、7匹の鯉も泳いでいます。
こちらが徐福の墓。
不老不死の霊薬とされる天台烏薬の樹が植えられています。
ガイドの方が「徐福の墓があるのはここだけですよ!」
と力説しておられましたが、波田須の集落にもあるのを知ってます。
すいません。(「熊野古道トレッキング I」の7ページ目を参照)
東方的には「永夜抄」に登場した蓬莱山輝夜と、藤原妹紅の元ネタの一つ。
不老不死の霊薬、すなわち蓬莱の薬がキーアイテムになっています。
多分、説明するまでもないでしょう。
1505、そろそろ新宮駅バス停へ。
雷鳴が轟く中、徐福公園に虹がかかっていました。
さて、バスを待っていると熊野川北岸の三重県から来たというお婆さんに話を伺うことが出来ました。
山間部の集落では買い物が出来ないため、バスを利用して新宮まで買い出しに来ているそうです。
昔は熊野川を船で行き来していましたが、船が廃止された今ではバスだけが頼りとのこと。
山間部の人にとって、バスは生活に欠かせない存在なのでしょう。
というわけで1555の熊野交通川丈線、本宮大社方面行きに乗車。
1715、暗くなった本宮大社に戻りました。
前回からマークしていた「世界遺産 熊野本宮館」の軒下へ。
トイレは夜間閉鎖中。夕食を済ませて19時頃に就寝しました。
本日の歩行距離は約12km。
4日間で中辺路を踏破、ここまでの合計は約70km。
旅の前半を終え、5日目から小辺路に続きます。