熊野古道トレッキング II
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2011年1月2日(日) 9日目 小辺路
脱出。
0600起床。
あまり眠れませんでした。
現在地は奈良県吉野郡野迫川村、大股の「かわらび荘」。
残っていた補給食を消費し、旅の終わりを感じます。
0900、地元の方がスタッドレスタイヤ装備の4WDで迎えに来てくれました。
狭く曲がりくねったR733を飛ばし、野迫川村役場を経て約17km先の高野龍神スカイライン(R371)へ。
スカイラインではチェーン未装着の県外ナンバー車が多数スタックしていました。
スカイラインを約9km下ると、今回の目的地だった高野山。
1000、中の橋大駐車場に到着。ここまで送ってくれたお礼に運賃を払います。
小辺路を踏破できなかったのは残念ですが、とにかく高野山には辿り着けました。
天気は曇りがちな晴れ。
標高786mで、現在の気温は3℃。
ここは和歌山県伊都郡高野町になります。
では、奥之院の参道へ。
観光客で賑わい、ハイカーの姿もちらほら。
空海によって開かれた聖地、高野山。
唐に渡って密教の奥義を学んだ空海が、弘仁7年(816年)、
嵯峨天皇から当地を賜り、真言密教の道場として整備されました。
その歴史はとても長くなるので、割愛させてもらいます。
沢山の墓石や供養塔が立ち並ぶ奥之院。
最深部には弘法大師御廟があり、荘厳な雰囲気。
真言密教の発展に尽力した空海は、承和2年(835年)に入定。
亡くなったわけではなく、今でも御廟で瞑想されているそうです。
弘法大師の諡号は、延喜21年(921年)に醍醐天皇から贈られました。
奥之院の探索を終えたら、R311で高野町街の中心部へ。
山内にはバスが運行していますので、そちらもご利用ください。
多くの寺院が並ぶ山内。
高野山という地域そのものが真言密教の聖地。
山々に囲まれた盆地にあり、蓮の花に例えられます。
高野山については、「熊野古道トレッキング V(執筆中)」(4ページ目)で詳しく補完しています。
そちらのレポからどうぞ。
R480を挟んだ向かい側には、金剛峯寺の主殿。
御存知のように高野山真言宗の総本山。山号は高野山です。
高野山の中核となる壇上伽藍へ。
三昧堂の前には西行桜がありました。
かつて西行が三昧堂を修造し、ここに桜を植えたとか。
高野山を拠点に、全国をぶらぶらしていた時期もある西行。
「妖々夢」の西行寺幽々子は、西行の娘をモデルにしていると考えられます。
西行が高野山で行った反魂の術は、反魂蝶の元ネタでしょう。
そうそう、秘封倶楽部の「卯酉東海道」では、
「最も澄みわたる空と海」の元ネタにもなっていますね。
胎蔵大日如来を本尊とする根本大塔。
雪と日光が重なり、素晴らしい存在感。
薬師如来を本尊とする金堂。
高野山はとても広く、諸堂全てを掲載することは出来ません。
御社と、拝殿の山王院。
丹生明神、高野明神(狩場明神)、十二王子・百二十伴神を祀る社。
空海が高野明神に導かれ、丹生明神から高野山を譲り受けたという伝説が残ります。
その奥には、金剛界大日如来と胎蔵界四仏を本尊とする西塔。
いい写真が撮れそうですね。
高野町街を抜け、R480で大門へ。
ガソリンスタンドやコンビニ等、必要な施設は大体揃っています。
観光地としても、よく整備されている印象を受けました。
1155、高野山の西の入口となる大門にやってきました。
ここから九度山に下る高野山町石道が延びていますが、
大雪のため計画を放棄します。
一旦中心部に戻り、北の入口となる女人堂にやってきました。
長い間、女人禁制だった高野山。女性はここまでしか入れませんでした。
時刻は1252。
女人堂から南海高野線の極楽橋駅まで、山道を下ります。
左の車道は、南海鋼索線の高野山駅に繋がるバス専用道。
一般車両と歩行者は通行できません。
これが最後の行程。
短いルートですが、気を抜かずに下りましょう。
前回の旅が順調だったことで慢心し、今回も大丈夫と思い込んでいました。
初めて歩くルートなのに、油断していたことを深く反省。
次に訪れる時は、完全装備で踏破します。
よく見ると、この道はR118。
舗装された車道になっています。
清不動堂を過ぎて、不動坂を下ります。
ケーブルカーの線路をくぐると、極楽橋駅までもう少し!
ここはケーブルカーと電車の乗り換え駅。
閑散としています。
下りのケーブルカーが到着し、観光客で溢れてきました。
1347、乗車。適当に乗り換えて帰りましょう。
本日の歩行距離は約11km。
総合歩行距離は約148kmとなりました。
自宅に帰り着いたのは1640。
ハードな旅が終わりました。
これにて「熊野古道トレッキング II」完了。
次ページ、旅のまとめと今後の展望で終わります。