山陰ツーリング I
2008年3月25日(火) 1日目
念願のTOEIスポルティーフが完成し、山陰ツーリングへ。
したらばの東方舞台探訪スレッドが盛り上がっていた時期であり、
私にとって、東方では初めての舞台探訪でした。
※当サイトの内容を過信して発生したトラブルには一切の責任を負いかねます。
必ず注意事項に目を通してからレポをお楽しみくださいますよう、強くお願いします。
サイト内に掲載している写真・文章等のコンテンツは、形態を問わず転載厳禁です。
このツーリングはJR城崎温泉駅からスタート。
日本海沿いを西に進んで、因幡てゐの元ネタである
白兎神社から出雲大社までのんびり巡るはずでした。
当時は一人旅を始めたばかりであり、現在とは全く異なる手探り状態の旅。
後から見ればびっくりするほど残念な結果になりましたが、記念に掲載しておきます。
2013年5月に実施した「山陰ツーリング II」のプロローグとしてお楽しみください。
完成したばかりのTOEIスポルティーフ。
最初期のサイクリング兼ツーリング仕様で、やはり現在とは異なります。
(詳細は自転車のページを参照)
今回は、一応どこかで寝られるように野宿セットを携行。
リアキャリアを取り付け、フロントバッグとパニアバッグを積載。
野宿セットの構成はシュラフやマットのみで、テントはありません。
当時は重装備だと思っていましたが、今となっては軽装備扱いに。
また、この頃は貴重品や工具セットを背負って走っていました。
今ではウェストバッグに入れた上でフロントバッグに取り付け、
身軽な状態で走るのが基本スタイルとなっています。
旅の始まり。
まずは兵庫県の最寄駅からJR城崎温泉駅まで輪行します。
輪行とは電車で自転車を輸送すること。
自転車を分解して、輪行バッグという専用の袋に入れて運びます。
私のマシンは、当時の仕様で13kgほど。輪行バッグを抱えて移動するのは大変。
バッグは現地の郵便局に届けておくと便利なのですが、そんなこと知りませんでした。
JR山陰本線、城崎温泉駅にて下車。
ここは兵庫県豊岡市です。
30分ほどで自転車を組み立てて出発。
R3~R11~R178を乗り継いで鳥取方面へ。
天気は快晴。初日は約90kmの行程です。
現在のように行程記録用のメモを持っていなかったため、
何時に何処に着いて、どの時点で何kmという記録は残っていません。
写真の枚数は非常に少なく、どんな場所だったか思い出すのも難しい。
城崎温泉を出ると、いきなりきつい上り。
ある程度上ったら御待岬の豊岡海中公園へ。
こういうところで、景色が分かるような写真を撮ってないんですね。
日本海沿いの道は交通量が少なく、アップダウンが続きます。
重装備に慣れていなかったので、この時は相当ハードでした。
コンビニは殆ど存在せず、補給的にも厳しいコンディション。
当時の1日あたりの撮影枚数は多くても20枚程度。
微妙な写真ばかりで、行程間の雰囲気を伝える写真は滅多にありません。
現在では、1日あたり100~200枚以上撮影するのが普通になりました。
香住でR178に乗り換え、山陰本線の余部鉄橋を通過。
正式名称は余部橋梁であり、開通は明治45年(1912年)のこと。
昨年3月にプレストレスト・コンクリート製の新橋梁の建設が始まったばかりで、
まだ鉄橋が現役だった頃。
この辺りから空が曇り始め、霧雨気味に・・・
浜坂を出ると、もう本降りの雨。
まともなレインウェアは持っておらず、バッグの防水処置も杜撰。
ただのビニール合羽を着て、きついアップダウンを蒸れながら走ります。
雨天走行を想定しておらず、十分な装備を持っていなかったツケが回ってきました。
こういう失敗を重ねた結果、現在のオーバースペックな装備に至ったというわけです。
JR東浜駅にて。
兵庫県と鳥取県の境界、
居組~東浜の七坂八峠越えで激しい雷雨に遭遇。
命からがら東浜まで辿り着き、東浜駅に退避したのでした。
目的地の鳥取まで、まだ峠越えが残っています。
東浜に補給はありませんから、ここに留まることはできません。
悩んだ挙句、JR鳥取駅まで急場しのぎの輪行をすることに。
東浜駅は無人駅。
今ならここで駅寝するか、普通に鳥取まで走っているでしょう。
電車によるエスケープやショートカットは非常時に有効な手段ですが、
バッグが多い現在では事実上不可能となっています。
まあ、そこを野宿でカバーするわけですが。
鳥取駅に到着したら、寝場所となるビジネスホテル探し。
駅前はどこも満室だったので、駅から少し離れたホテルにIN。
装備を散らかし、食糧を買い込んでゆっくりします。
ビジネスホテルの使用は、現在では通常1週間に1回のみ。
心身のリフレッシュ、行程のチェック、カメラの充電、装備の点検などが目的です。
今回のような数日程度の旅では、最終日だけ使用するのが普通。
贅沢してはいけません。
初日の走行距離は約65km。
疲れを残したまま、2日目に続きます。
2008年3月26日(水) 2日目
朝から曇り。
本日はR9で米子方面へ。約95kmの行程です。
雨は降っていなくても、曇りがちな天気で萎え。
交通量が多く、道のコンディションはイマイチ。
例によって行程間の写真は存在しません。
白兎海岸の白兎神社に到着。
本ツーリングの目的の一つを達成出来ました。
因幡の白兎の伝説で有名な社であり、主祭神は白兎神。
御存知の通り、「永夜抄」の因幡てゐの元ネタにもなっています。
写真は殆どありませんので、詳細は「山陰ツーリング II」で補完。
ところで、この時は何故か裏側から乗り入れています。
神社の方には何も言われなかったどころか歓迎されましたが、
普通は境内に乗り入れるものではありません。NG行為です。
こっちが正しい入口。
道の駅「神話の里白うさぎ」とローソンがあります。
この日、晴れていたのは白兎神社周辺だけでした。
白兎神社を出ると、今度は雹(!)混じりの雷雨。
米子手前まで辿り着いて様子を見ながらコンビニで休んでいると、
地元のお兄さんが米子や出雲までの道路情報を教えてくれました。
旅先ではいつも地元の優しい人達に助けられています。
山陰の後も、残念な旅は沢山ありました。
翌年、2009年8月の「東北ツーリング I」に至っては、
あまりのショックにサイクルツーリングを辞めようと思ったほど。
それでも旅を続けているのは、善良な人々の支えがあったから。
文章にするとアレですが、本当のこと。
無事、米子に到着。
JR米子市駅前のビジネスホテルにINします。
毎日ホテルを使うなんて、どう考えても贅沢すぎる。
走りや野宿など、現在に至るまで旅のスタイルは大きく変わりましたが、
コンビニに買い出しに行って戦利品を撮影するのは変わってません。
謎の習慣。
本日の走行距離は約90km。
3日目に続きます。
2008年3月27日(木) 3日目
出雲へ。
米子を出発。天気は晴れの予報。
本日の目的地は出雲で、約90kmの行程。
実質最終日となります。
まだ3日目というのに、疲労は相当なもの。
1週間ずっと雨という苦行に比べれば大したことはないのですが、
それはある程度走ってきたから言えること。当時は限界でした。
米子と松江の中間に位置する黄泉比良坂へ。
R9から外れていますが、案内板があって意外と分かりやすい。
既に島根県松江市に入っています。
黄泉比良坂に到着。
オカルトファンっぽい女性グループがいたので、
声をかけてみると適当にスルーされました。
ここが黄泉の国への入口。
伊邪那岐神と伊射那美神の伝説で有名なところ。
それでは、松江に進みましょう。
松江に着いてもゆっくりする余裕は無く、出雲へ直行。
宍道湖北岸のR431は交通量が多く路側帯も狭い。
車道は非常に危険ですから、歩道を走ります。
R431に並行して、宍道湖湖北自転車道なるものが整備されています。
が、途中から歩道になったり、車道に消えたりして信用出来ない謎の道。
仕方ないので、アップダウンのきつい山側の広域農道に乗り換え。
この頃は走りやすさを求めてどこでも自転車道を利用していましたが、
北海道の某自転車道で現在位置をロストし、とんでもない目に遭ったことがあります。
以来、コンディションが良さそうに見えても自転車道に入ることはありません。
車道から外れ、青看を見られないのは大きなデメリットです。
どうにかして出雲市に入りました。
JR出雲市駅や出雲大社への接続は不明。
出雲路自転車道を頼りに進みます。
当時はルートの事前調査など一切しておらず、
現地で青看を見るだけでは接続が分かりませんでした。
今では「Googleマップ」で乗換地図を作成し、昭文社の『ツーリングマップル』と併用。
それでも市街地は苦手で、頻繁に迷ってます。
出雲路自転車道で市街地を抜けていくと、後半はただの歩道に。
どこへ繋がっているかも分からないまま、中途半端なところで離脱。
後は青看に従って出雲大社を目指します。
国鉄大社駅を過ぎると、後はR161で一直線。
大鳥居が見えたときは本当に嬉しかった。
とうとう出雲大社に到着。
左は勢溜の大鳥居、右は神楽殿です。
ここまで辿り着いたことに満足して、肝心の写真はこの2枚だけ。
境内の写真も、記念写真もありません。何のためのカメラなんだか。
ここで、「日本一周ですか?」と初老のおじさんに声をかけられました。
昨年、ロードバイクで日本一周9600kmを走破したとのこと。
たった3日で疲れている自分が情けない!
無事に参拝を済ませ、旅の目的を終えたら雨の気配。
小雨の降る中、JR出雲市駅を目指します。
出雲市駅前のビジネスホテルにIN。
野宿セットを携行したのに、結局一度も使いませんでした。
というか、最近の旅は野宿が目的になっている気がします。
最後のリフレッシュ。いわゆる一人宴会タイムです。
当時は1缶だけだったのに、最近ではロングx2缶に増量中。
こういうゆっくりタイムも、現在まで受け継がれています。
本日の走行距離は約110km。
総合走行距離は約265kmとなりました。
このツーリングは、勢いで実行してしまった面が強かったと思います。
経験の少なさ、準備不足、悪天候などが重なり、黒歴史とも言える結果に終わりました。
たったの3日間、265km。
これが、私の東方舞台探訪の原点でした。
2008年3月28日(金) 4日目
旅の終わり。
JR山陰本線の出雲市駅から、特急で逃げるように撤収します。
バッグを郵便局から自宅に送り返すと楽なのですが、
もちろんそんな発想はありません。
そろそろ時間です。お疲れ様でした。
5年後、2013年5月の「山陰ツーリング II」に続きます。