東方巡遊記

尾道探訪

目次

01
福山(福山駅~常石港)~向島(歌港~岩屋山)
02
向島(大元神社~展望地~福本渡船)
03
海岸通り(福本渡船~突堤/ベンチ~尾道渡船)
04
商店街(渡し場通り/オバQ~御旅所~宝土寺~吉備津彦神社~鎌倉稲荷~尾道町奉行所跡)
05
海岸通り(荒神堂小路~住吉浜/住吉神社/中央桟橋~薬師堂浜~出雲大社道~尾道市役所)
06
浄土寺山(山陽本線~斎藤邸~尾道大橋/新尾道大橋~浄土寺~一橋邸~不動岩~奥の院)
07
西國寺山(厳島神社/八坂神社~亀山八幡宮~西國寺~大山寺)
08
西國寺山(菅公腰掛岩~タイル小路~福善寺~御袖天満宮~大山寺)
09
千光寺山(ロープウェイ艮神社猫の細道天寧寺千光寺参道中村憲吉旧居
10
千光寺山(千光寺~鼓岩~千白稲荷神社跡)
11
千光寺山(千光寺公園~八福稲荷~八畳岩~文学のこみち~尾道城)
12
千光寺山(千光寺新道~ロケ地の階段~信行寺前踏切~跨線橋)
13
尾道駅周辺(土堂小学校~ロケ地の路地~尾道鉄道跡~ガウディハウス~空き地)
14
尾道駅周辺(尾道駅~蘇和稲荷神社~駅前渡船~尾道駅前桟橋)
15
栗原川以西(祇園橋~東巌通橋~天満神社~竜王山~西願寺)
16
向島(福本渡船~岩屋山/大元神社~歌港)|しまなみ海道
17
向島(高見山~津部田~津部田の坂道~備後造船~胡子神社/海物園跡)
18
向島(駅前渡船~尾道渡船~呼子浜の待合所~兼吉の丘~神原造船)
19
尾道(尾道駅)~福山(福山駅~福山城)|出雲(国鉄大社駅~荒木小学校~出雲大社)

2017年7月28日(金) 2日目

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ロープウェイ

千光寺山ロープウェイの山麓駅 
1305、千光寺山ロープウェイの山麓駅。R2からJR山陽本線をくぐったところ。左手が艮神社の参道です。

千光寺山地図 
千光寺山エリアの地図。このエリアは広くて入り組んでおり、実際に歩くと高確率で迷ってしまいます。

現在地は長江地区のロープウェイ山麓駅。艮神社を経て千光寺手前まで登りましょう。p.10で千光寺、p.11で千光寺公園、p.12で千光寺新道を探訪します。

※国土地理院の「地理院地図(新版)」から抜粋。「カシミール3D」で出力し、ポイントを追記しています。

長江口交差点脇の架道橋 薬師堂通り 
2018年3月31日。本通り商店街(p.4)から北に抜けて、長江口交差点脇の架道橋をくぐって山麓駅へ。ロープウェイで千光寺山(136.6m)に行く観光客だらけ。

おさらいになりますが平安時代末期の永万2年(1166年)、平重衡が北部の世羅郡の荘園、大田庄を後白河法皇に寄進。年貢米を京の都に積み出すための倉敷地(蔵・港)が必要になり、嘉応元年(1169年)、尾道村が正式に倉敷地と指定されました。海運都市、尾道の始まりです。

倉敷がどこに設置されたのかは不明。江戸時代に大規模な埋め立て工事が行われるまで長江口と防地口(p.5)付近まで入り江のようになっており、どちらも中世の港町の中心部だったと推測されています。長江は倉敷の所在地の第一候補らしいですよ。

山陽鉄道の架道橋 千光寺山ロープウェイの山麓駅 
2018年3月31日。レンガ造りの古びた架道橋。この橋台は明治時代に通された山陽鉄道の名残。尾道の近代化を象徴する重要な産業遺産です。気付かずに通り過ぎるのは勿体ない!

ギリギリ写ってないけど右手に「茶房こもん」。「転校生」にも登場した、大林宣彦監督行きつけの喫茶店。巷では大林作品ファンの憩いの場として知られています。「こもん」のオーナーさんは尾道愛にあふれる方で、「かみちゅ!」の制作にも協力されました。

コメンタリーによると「かみちゅ!」のロケハンは2泊3日。ノンストップで進行すれば不可能じゃないけど強行軍です。「こもん」のオーナーさんの案内で尾道を回ったおかげで、「転校生」など定番のロケ地が数多く登場する作品に。制作陣も尾道の舞台巡りを推奨しています。

艮神社

艮神社の一の鳥居 艮宮の扁額 
ロープウェイには乗らず艮神社へ。この先、自転車では進入できません。

自転車を置いて千光寺山へ…と思っても、駐輪できる場所が少なくて困ってしまいます。ツーリングとかレンタサイクルとか宣伝してる割に、自転車で探訪するには不便極まりない尾道の町。これから整備されるのでしょうか。

艮神社の一の鳥居 艮神社の参道 
2007年9月11日。初めての尾道を訪れた時の写真です。

「かみちゅ!」の日の出町は田舎町として描かれ、作中には千光寺もロープウェイも存在しませんでした。実際に訪れると普通の観光都市みたいになっていて、「都会やん!」と思ったことを覚えています。その認識は今でも変わらないの。

艮神社の一の鳥居 
2019年12月14日。工事のため運休していた山麓駅。艮神社の一の鳥居前には注連柱(標柱)。尾道の神社には必ずと言っていいほどあります。

千光寺山ロープウェイの開通は昭和32年(1957年)。商店街から千光寺山へ観光客を運ぶ観光索道として建設。狙い通り、ロープウェイ周辺は人で溢れるようになりました。今では観光都市、尾道の風景の一部になっています。

当初は尾道市営だったロープウェイ。平成20年(2008年)にバス事業が民営化され「おのみちバス」に移行。平成23年(2011年)にはロープウェイも、おのみちバスに移管されました。ということは「かみちゅ!」探訪の全盛期は、索道もバスも市営だったんだ。

艮神社の社号標と注連柱 艮宮の扁額 
2019年12月14日。

石鳥居は江戸時代前期の万治3年(1660年)に奉納。市内では亀山八幡宮(p.7)の鳥居に次いで2番目に古く、笠木と島木が一体で反りがある、同様の特徴を持ちます。地元の石工が技術を競い合ったのでしょう。

艮神社の参道 千光寺山ロープウェイの山麓駅 
艮神社の神門 
山麓駅の左手を通る参道。よくこんなところにロープウェイを作ったものです。ここにも標柱が建てられ、その先が神門になります。どんよりした雲が消え、午後からは晴れてくれました。

艮神社の参道 艮神社の由緒 
艮神社の参道 艮神社の神門 
2019年12月14日。一の鳥居から神門へ。神門が建てられた年代は分かりませんでした。

稲荷神社 荒神社 
2019年12月14日。神門の左手前に稲荷神社。右手前に荒神社が鎮座。荒神社の祭神は大国主命、火皇産霊命、素戔男命とのこと。摂末社の案内を充実していただけると嬉しいのですが。

神門をくぐって境内へ 艮神社の境内 
神門をくぐって境内へ。先ほど訪れた御袖天満宮(p.8)と同じく、「かみちゅ!」の舞台探訪では絶対外せない社。御袖天満宮と艮神社だけは必ず訪れてほしいです。

艮神社の上を通るロープウェイ 石段を登って拝殿へ 
玄武の手水鉢 
拝殿へ。真上をロープウェイが通ります。

艮神社の上を通るロープウェイ 
艮神社の上を通るロープウェイ 艮神社の上を通るロープウェイ 
2017年9月9日。神域の真上をロープウェイが通過する大胆な構成。神門の上には落下防止のネットが設置されています。この補完探訪の時は境内工事中で入れませんでした。

千光寺山ロープウェイの「かもめ」 
2018年3月31日。3代目の「かもめ」。私は徒歩派なので一度も乗ったことがないです。

艮神社の境内 艮神社の神石 
2019年12月14日。黄色の銀杏が美しい境内の様子。山側に見えるのは天寧寺の三重塔。後で猫の細道を通って訪れましょう。

八衢彦神と八衢姫神を祀る塞神社 八衢彦神と八衢姫神を祀る塞神社 
落ち葉を漁る猫 落ち葉を漁る猫 
2019年12月14日。右手には八衢彦神、八衢姫神をお祀りする塞神社。元々は天寧寺下にあった社を艮神社境内に遷座。猫ちゃんが銀杏の落ち葉を漁ってました。

玄武の手水鉢 玄武の手水鉢 
2019年12月14日。巨石から作られた手水鉢。精巧な玄武の口から水が流れるユニークな作品です。江戸時代末期の文政8年(1825年)に奉納されました。

石段を登って拝殿へ 艮神社の上を通るロープウェイ 
石段を登って拝殿へ 御神木の大楠 
2019年12月14日。石段を登って拝殿に向かいます。

尾道最古の氏神様とされる艮神社。社伝によると平安時代初期の大同元年(806年)に創建。多氣遠宮・建遠神社と称し、素戔男命をお祀りする社でした。p.7で紹介したように『備後国風土記』に素戔男命の伝説があり、この地域では古くから素戔男命が信仰されたと思われます。

平安時代前期の天延3年(976年)に吉備津彦命が合祀。鎌倉時代初期に多氣遠宮・幣多賀宮の二社になりました。後年の火災で焼失するも室町時代の文明7年(1475年)、平盛祐が願主となって社殿再建に至ったとのこと。いつから「艮神社」と称したのかは不明です。

江戸時代にかけて社殿が造営。文禄4年(1595年)に本殿葺替。慶長16年(1611年)に再興。寛文6年(1666年)に本殿及び拝殿造立。元禄2年(1689年)に葺替。宝永2年(1705年)に本殿及び幣殿造立。などの記録が残っています。

艮神社の拝殿 艮神社の拝殿と大楠 
拝殿にて参拝。紋幕には花菱の神紋。祭神は伊邪那岐命、天照大御神、素戔男命、吉備津彦命。屋根に突き出た千木が外削ぎ・内削ぎ両方あるのが珍しい。

吉備津彦神社(p.4)で語らせてもらった通り、尾道は古代の吉備国(吉備王国)に属した地域です。彦五十狭芹彦命が西道(後の山陽道)に派遣されたとか、温羅を降伏させて吉備津彦命の称号を授かったという伝説があり、吉備津彦命が合祀されているのは実に元吉備国らしいと思います。

「艮」とは北東の方角のこと。平安時代に発展した陰陽道では鬼門を指しました。当社が「艮」を称する意味は色々考察されていますが、私からは「鬼門を守る社」以上の解釈は出せないです。文献史学や考古学に基づかない憶測は控える主義。

御袖天満宮の石段 艮神社の拝殿 
またまた「かみちゅ!」のOPを再現。御袖天満宮(p.8)の石段と艮神社の社殿を合成すると、脳内で「晴れのちハレ!」のイントロが流れてくるはず。どう見ても来福神社ですね~

艮神社の拝殿 御神木の大楠 
金山彦神社と立石 艮神社の拝殿 
2007年9月11日。夏真っ盛りの来福神社…じゃなくて艮神社。

作中の社殿は実際より随分とあっさり描かれており、紋幕は省略、特徴的な千木は二つとも内削ぎに改変されました。ちなみに外削ぎは男神、内削ぎは女神とする説は全く根拠無し。全国の神社を巡っていると当て嵌まらない場合が多いので、俗説は鵜呑みにしないようお願いします。

……2017年現在のアニメ事情からすれば、12年前に放送された「かみちゅ!」は猛烈に古いです。しかし今から見返しても、素晴らしい作品であることに変わりはない。次々に登場しては消えていくご当地アニメを毎シーズン追いかけるより、昔の名作の舞台をじっくり巡りたい。やはり尾道だからこそ輝くのです。

金山彦神社と立石 艮神社の境内 
拝殿の両側に摂末社が鎮座。境内は映画「時をかける少女」のロケ地として有名。原田知世さんがタイムリープする場面に用いられました。「ふたり」では、討ち入りの待ち合わせ場所になりましたね。

「時かけ」は大林監督の尾道三部作に含まれますが、主要なロケ地は尾道から遠く離れた竹原の古い町並み。尾道の情景が作品の根幹になっている他作品と比べると、それほど尾道度は高くないように感じます。なんかチープだし……(怒られそう)

寺社巡りの標識は設置されていても、ロケ地になったことを紹介する案内板は皆無。ひたすら歩き回って舞台になった風景を見つけましょう。当時の探訪者はGoogleマップもストリートビューもない時代、記憶と手書きの地図を頼りに尾道を歩き回ったのですから。

艮神社の拝殿 御神木の大楠 
金山彦神社と立石 艮神社の拝殿と大楠 
2018年3月31日と2019年12月14日。艮神社のシンボルである御神木の大楠。

境内に4本あり、樹齢は500~900年と推定。広島県の天然記念物にも指定されています。近年、木が弱って枝枯れが発生しているそうで、手入れのため周辺は立ち入りできなくなっています。

御神木の大楠 
艮神社の狛犬
艮神社の狛犬 
2019年12月14日。拝殿前の狛犬。江戸時代末期の寛政12年(1800年)に奉納。尾道市内で最古の狛犬です。

艮神社の摂末社 艮神社の摂末社 
2019年12月14日。拝殿の右手前に鎮座する摂末社。これ以上は入れないので全体の写真のみ。祭神・由緒等の詳細は分かりませんでした。

金山彦神社と立石 金山彦神社と立石 
2019年12月14日。拝殿の左に鎮座する摂末社。一番左は金山彦神社。祭神は伊斯古理止女神(石凝姥命)、金山彦命、金山比女命、天目一根命、思兼命です。

中世の尾道では砂鉄が運ばれたことから刀鍛冶が盛んに。平和な江戸時代になると農業・漁業の製品が作られました。長江口の辺りには鍛冶師が暮らし、鍛冶屋町の地名が残ります。金山彦神社でお祀りされているのは、主に鍛冶に関係する神様。尾道が鍛冶の町であった名残なのです。

立石と呼ばれる磐座 立石と呼ばれる磐座 
2019年12月14日。拝殿の左で一際目立つ、注連縄が張られた磐座。立石と呼ばれ、古来より信仰の対象になっています。

船玉神と宇気持神を祀る代々七福稲荷神社 
本殿の左手には稲荷神社。扁額に「代々七福稲荷神社」とあり、船玉神と宇気持神をお祀りしています。

艮神社の本殿 艮神社の拝殿と立石 
2019年12月14日。境内脇の路地から。本殿、拝殿、そして立石です。

艮神社の猫 艮神社の猫 
艮神社の猫 
2017年9月9日。本殿裏。猫ちゃん達が屯していました。

猫の細道

猫の細道へ 猫の細道へ 
艮神社の左を抜ける路地、猫の細道へ。「時をかける少女」のロケ地の一つ。ここから先は東土堂町です。

猫祭りの案内 園山春二氏の記事 
猫の細道 猫の細道の福石猫 
2019年12月14日補完分の猫の細道。艮神社から天寧寺に抜ける隠れた路地。昭和の時代には民家しかありませんでした。

この路地を生まれ変わらせたのは、フランス出身の芸術家である園山春二氏です。大林監督の「転校生」に感動した園山氏は尾道に移住。平成9年(1997年)、この路地に招き猫美術館を開きました。丸い石に猫を描いた「福石猫」を路地に並べて人気を博し、「猫の細道」と呼ばれるようになったのです。

ハーブ園"ブーケ・ダルブル" 猫の細道の案内地図 
突き当りのハーブ園"ブーケ・ダルブル"。猫の細道には色々な隠れ家があります。

猫の細道の福石猫 猫の細道 
突き当りを右折すると千光寺方面への階段。苔むした石の上に、かわいい福石猫が並んでいます。

ここは「かみちゅ!」2話の八島様捜索に登場。光恵ちゃんが福石猫にびっくりするシーンがありましたね。「かみちゅ!」が放送された頃には空き家だらけだった路地。園山氏が追求する理想郷「尾道イーハトーヴ」として開拓され、空き家を改修して猫にちなんだお店に生まれ変わりました。

猫の細道の福石猫 福石猫のアダムとイヴ 
2017年9月9日。色んなところに鎮座している福石猫。アダムとイヴとか名前付きの猫ちゃんも。

猫の細道が生まれるきっかけになった石。日本海の荒波に揉まれて丸くなった石を集めて、約半年間塩抜きをした後で塗り重ねていくそうです。7~8ヶ月かけて仕上げられた作品は艮神社でお祓いを受け、ようやく「福石猫」としてデビューしていく…との説明がありました。

これだけ精魂込めて作り上げられたのだから、「かみちゅ!」のようなモノノケになってもおかしくないです。見つけたら、話しかけたり撫でたりして可愛がってあげましょう。そういえば光恵ちゃんが福石猫を塗ってるピンナップがありました。あれは非常に萌えます。

猫の細道 猫の細道の福石猫 
猫の細道の福石猫 
艮神社方面を振り返ると「転校生」のワンシーン。小林聡美さんが自転車を乗り捨てていく場面です。当時は福石猫も猫の細道もありませんでした。

「かみちゅ!」ピンナップにも似たような場所あり。路地の向こうの通りをゆりえ様が歩いているイラスト。なんか違うような気がしてならないけど多分ここ。合成・改変されると分からないです。

猫の細道の招き猫美術館 猫の細道の招き猫美術館 
2019年12月14日。ここに招き猫美術館があります。

ハーブ園"ブーケ・ダルブル" ねこグッズのお店"Le chat" 
2019年12月14日。ハーブ園"ブーケ・ダルブル"。ねこグッズのお店"Le chat"。シャレオツな雰囲気が漂っています。

猫の細道の福石猫 猫の細道の福石猫 
2019年12月14日。フィルムの比較に。

1枚目はLomography Color Negative 400(ネガ)。2枚目はFUJIFILM Velvia 100(リバーサル)にて撮影。カメラに装着するレンズやフィルターでも写りは大きく変わり、同じ風景でも全然違う雰囲気に仕上がってくるのが面白いです。

猫の細道 福石猫と本物の猫 
2019年12月14日。階段の上にはカフェ&美術館「梟の館」。大正時代の瀟洒な建物を改修したそうです。あっ、福石猫に本物の猫ちゃんが隠れてる!

防空壕跡と平和の碑 
2019年12月14日。路地の一角には戦時中に掘られた防空壕跡。広島・長崎への原爆投下から65年を迎える平成22年(2010年)、二度と戦争の惨劇を繰り返さないよう平和の碑が設置されました。

尾道アート館 猫の細道の福石猫 
尾道アート館 
2019年12月14日。猫の細道を千光寺方面へと進みます。こちらは空き家を改修した尾道アート館。

初代福石猫 福石猫のできるまで 
2019年12月14日。大変貴重な初代福石猫が鎮座。神様としてお祀りされている感じです。

天寧寺

天寧寺の三重塔 復旧工事中の路地 
猫の細道を抜けると天寧寺の三重塔。6月の豪雨で石垣が崩れており、復旧工事中。千光寺方面へは路地を迂回しなければなりません。

天寧寺の三重塔 復旧工事を終えた路地 
2018年3月31日。石垣が補修されて通行可能になっていました。では、千光寺に進む前に天寧寺を訪れましょう。

天寧寺の標柱 山陽本線の架道橋 
2019年12月14日。一旦R2に下って天寧寺交差点へ。山陽本線の架道橋をくぐり参道に入ります。鉄道が頭上を通る構成、これ近すぎません?

天寧寺の山門 
2019年12月14日。山門から境内へ。

南北朝時代の貞治6年(1367年)、尾道の人であった万代道円の発願により、足利義詮が父尊氏の遺志を継いで工費を寄進。普明国師(春屋妙葩)を講じて開山されました。これが天寧寺の始まりです。

創建当時は臨済宗の寺院。尾道の東西三町にわたる広大な伽藍を誇り、嘉慶2年(1388年)に五重塔も建立されました。浄土寺(p.6)や西國寺(p.7)と同じく有力者に庇護され、康応元年(1389年)には足利義満が厳島神社参詣の帰途、天寧寺に宿泊して山名氏の饗応を受けたと伝わります。

しかし足利将軍の時代が終わって庇護を失い、江戸時代前期の天和2年(1682年)に雷火によって炎上。五重塔以外の堂宇を焼失するも、元禄年間(1688~1704年)、三原の宗光寺の一雲椿道の尽力により再興されました。その際、臨済宗から曹洞宗へと改宗しています。

天寧寺の本堂 天寧寺の由緒 
2019年12月14日。本堂です。天寧寺の山号は海雲山。本尊は釈迦牟尼仏。中世の創建と隆盛、近世の焼失と再興を経て、現在の姿に落ち着きました。

天寧寺の本堂 天寧寺の三重塔 
2019年12月14日。本堂の右奥に三重塔(かつての五重塔)。北の高台に見えるのが千光寺(p.10)です。シンボルの玉の岩がよく目立ちます。

天寧寺の五百羅漢堂 
2019年12月14日。本堂の左手には五百羅漢堂。江戸時代末期の文化年間(1804~1818年)から明治初期にかけ、檀信徒により寄進された526体の五百羅漢像が安置されています。堂内は撮影しないことにしておりますので。

天寧寺北門から三重塔へ 天寧寺の路地 
2019年12月14日。北門から三重塔へ。山中の寺院と巨石、密集する民家、遠くの尾道大橋。中世~近世~現代の尾道らしさが詰まった路地の風景。観光地化が及んでいない場所は、探せば沢山あります。

天寧寺の三重塔 天寧寺の由緒 
2019年12月14日。対岸の向島から目立つ三重塔(海雲塔)。嘉慶元年(1388年)に建立された際は五重塔でした。元禄5年(1692年)、上層部が老朽化していたため撤去。三重塔に改修されて現在に至り、重要文化財になっています。

路地を抜けて千光寺参道へ 
路地を横方向に抜けて千光寺参道へ。

レポはスムーズに進行しているように見えるけど、千光寺山エリアの路地は迷路のように入り組んでいます。実際には迷いまくり、行ったり来たり右往左往する有様でした。寺社や路地の位置関係は、何度も訪れてようやく把握できるもの。初めて訪れたら必ず迷ってしまいます。

千光寺参道

千光寺参道の階段 千光寺参道の階段 
千光寺の参道に出ました。山麓の千光寺踏切下交差点(R2)から山陽本線を渡り、千光寺を経て山頂の千光寺公園に至る階段メインの坂道。江戸時代には尾根伝いの登山道であったと想像できます。

明治以降、山の斜面に民家や別荘が建てられ、密集する民家の間を縦横無尽に抜ける路地が形成。必然的に坂が多く、坂の町と呼ばれるようになりました。この千光寺参道は観光客が多くて、特に有名な坂道です。

尾道ならではの風景として人気のある山手の町並み。海運都市として発展してきた長い歴史の中では最新の姿。尾道開港850年のうち、100年ぐらいしか経っていません。それだけ劇的に近代化されたということです。

千光寺踏切下交差点 千光寺参道の階段 
千光寺踏切下交差点 
2007年9月11日。千光寺踏切下交差点から参道へ。適当なところに自転車を置いて登りました。尾道では、自転車は大通りの移動にしか使えません。

千光寺参道と天寧寺の三重塔 千光寺参道から天寧寺の三重塔 
2007年9月11日。

「かみちゅ!」コミック版2巻の表紙の場所。天寧寺の三重塔と千光寺山ロープウェイが再現されています。アニメでは古寺や索道は意図的に省略されているのですが、尾道の風景をそのまま背景に描くと必然的に入ってきます。まあ、そんなの尾道マニアしか気にしないし……

千光寺参道の階段 千光寺参道の猫 
千光寺参道の猫 千光寺参道から天寧寺の三重塔 
2019年12月14日。冬の夕暮れ時に。空き家の木が伐採され、三重塔が見やすくなりました。放置された廃屋は見栄えが悪いから整備されるらしい。

復旧工事中の路地 天寧寺の三重塔 
階段を登ると、尾道水道を見渡す定番の展望地。猫の細道に通じる路地は工事のため通行止めです。

天寧寺の三重塔 千光寺参道の猫 
千光寺参道の猫 千光寺参道の猫 
2017年9月9日。まだ工事中。猫ちゃん達が日陰で昼寝してました。真夏の尾道は暑いです。

天寧寺の三重塔 千光寺参道から尾道市街の眺望 
2007年9月11日。もう10年前です。特に変わっていないのが尾道のいいところ。

天寧寺の三重塔と尾道市街 天寧寺の三重塔と尾道市街 
2018年3月31日と2019年12月14日。天寧寺の三重塔越しに尾道水道を見渡す展望地。桜の季節は定番として、冬も静けさがあって良いです。路地の通行止めは解除されていました。

南北朝時代の建立当初は五重塔だった海雲塔。当時の記録によると尾道浦には東北や九州に向かう船があり、山麓に沿って家々が所狭しと密集する情景が広がっていました。海岸線は現在の商店街(写真中央のアーケード)まで迫っており、狭い山麓に商業港の機能が詰め込まれていたと考えられます。

尾道が遣明船や北前船の寄港地として栄えた時代、千光寺山の中腹にそびえる五重塔(江戸前期から三重塔)は、尾道水道を行き交う船のランドマークとして拝まれたことでしょう。ただの風景写真で済ませず、歴史的背景を学ぶことが大切なのです。そうしないと、尾道という町を理解できずに終わってしまうから。

混雑する千光寺参道 混雑する千光寺参道 
2018年3月31日。桜のシーズンは観光客で混雑します。

山麓から千光寺まで、ず~っと階段の上り道。歩き慣れていない人には想像を超えるレベルで辛いです。うっかり参道を外れて路地に入ると高確率で迷子になるので、体力と時間配分をよく考えて行動されたほうがいいと思います。

中村憲吉旧居

中村憲吉旧居へ 中村憲吉旧居へ 
早速、参道を外れて路地へ。中村憲吉旧居に向かいます。

中村憲吉旧居へ 中村憲吉旧居へ 
2019年12月14日。階段を直進すれば千光寺に直通。右の路地に入る人を見たことがありません。

中村憲吉旧居 野犬出没注意 
旧居を見学していきましょう。この付近、野犬が出没するらしいです。

中村憲吉旧居 中村憲吉氏の紹介 
中村憲吉氏の経歴がありました。明治22年(1889年)、三次郡上布野村に生まれ、上京してアララギ派を代表する歌人になったとのこと。昭和8年(1933年)、療養のため千光寺下の別荘に移り、翌年、46歳という若さで亡くなりました。

別荘は大正時代の建築。残念ながら主屋は残っておらず、ここに保存されているのは離れです。

別荘下の路地 
別荘下の路地 別荘下の路地 
別荘下の路地。「かみちゅ!」6話、きよみちゃんの通学路でした。作中で犬(ジョン)に吠えられた道は実際に野犬が出るとか。石垣から突き出した窓、奥の巨石など忠実に再現されてます。

別荘下の路地 中村憲吉旧居 
路地の奥から別荘を撮影。作中のアングルを再現してみました。

中村憲吉旧居 別荘下の路地 
2017年9月9日。きよみちゃんが好きなので再訪。「かみちゅ!」ファン以外には意味が伝わらない写真です。きよみちゃんかわいい……

別荘下の路地 別荘下の路地 
千光寺山の藪道 千光寺山の藪道 
2019年12月14日。路地の先は薄暗い藪道になっていました。明治以前の千光寺山はこんな感じだったはず。きよみちゃんが一人で歩くには心細いでしょう。

千光寺参道の猫 千光寺参道 
千光寺の参道に復帰。ひたすら階段を登って境内へ向かいます。

千光寺参道 
本堂が見えました。
次ページ、千光寺に続きます。

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