東方巡遊記

尾道探訪

目次

01
福山(福山駅~常石港)~向島(歌港~岩屋山)
02
向島(大元神社~展望地~福本渡船)
03
海岸通り(福本渡船~突堤/ベンチ~尾道渡船)
04
商店街(渡し場通り/オバQ~御旅所~宝土寺~吉備津彦神社~鎌倉稲荷~尾道町奉行所跡)
05
海岸通り(荒神堂小路~住吉浜/住吉神社/中央桟橋~薬師堂浜~出雲大社道~尾道市役所)
06
浄土寺山(山陽本線斎藤邸尾道大橋/新尾道大橋浄土寺一橋邸不動岩奥の院
07
西國寺山(厳島神社/八坂神社~亀山八幡宮~西國寺~大山寺)
08
西國寺山(菅公腰掛岩~タイル小路~福善寺~御袖天満宮~大山寺)
09
千光寺山(ロープウェイ~艮神社~猫の細道~天寧寺~千光寺参道~中村憲吉旧居)
10
千光寺山(千光寺~鼓岩~千白稲荷神社跡)
11
千光寺山(千光寺公園~八福稲荷~八畳岩~文学のこみち~尾道城)
12
千光寺山(千光寺新道~ロケ地の階段~信行寺前踏切~跨線橋)
13
尾道駅周辺(土堂小学校~ロケ地の路地~尾道鉄道跡~ガウディハウス~空き地)
14
尾道駅周辺(尾道駅~蘇和稲荷神社~駅前渡船~尾道駅前桟橋)
15
栗原川以西(祇園橋~東巌通橋~天満神社~竜王山~西願寺)
16
向島(福本渡船~岩屋山/大元神社~歌港)|しまなみ海道
17
向島(高見山~津部田~津部田の坂道~備後造船~胡子神社/海物園跡)
18
向島(駅前渡船~尾道渡船~呼子浜の待合所~兼吉の丘~神原造船)
19
尾道(尾道駅)~福山(福山駅~福山城)|出雲(国鉄大社駅~荒木小学校~出雲大社)

2017年7月28日(金) 2日目

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山陽本線

JR山陽本線をくぐって浄土寺山へ 
防地口交差点から東久保町の浄土寺山へ。JR山陽本線をくぐって山手に上がります。

山陽本線と並走 山陽本線と並走 
山陽本線と並走。相変わらず曇ってます。

JR尾道駅(p.14)から浄土寺まで約2km。その気になれば徒歩でも十分回れる範囲ですが、今回だけは原点回帰で自転車にこだわりたかった。ゆりえ様の日常を再現するという目的もあったしね。

浄土寺山地図 
海岸通り~浄土寺山の地図。防地口または海岸通りから浄土寺に至ります。このエリアの探訪ポイントは比較的分かりやすい。あくまで千光寺山の周辺と比べて、という意味です。

※国土地理院の「地理院地図(新版)」から抜粋。「カシミール3D」で出力し、ポイントを追記しています。

防地口交差点の架道橋 山陽鉄道の架道橋 
2017年9月9日補完分の防地口交差点。結局、快晴の日に徒歩で再訪するのでした。立派なコンクリート造りの架道橋の隣に古びた架道橋が残されています。

山陽鉄道の架道橋 尾道市立中央図書館 
2017年9月9日。レンガ造りの架道橋をくぐると尾道市立中央図書館。この橋台は明治時代に通された山陽鉄道の名残。尾道の近代化を象徴する産業遺産です。

山陽本線沿いの道 山陽本線沿いの道 
2017年9月9日。図書館前から山陽本線沿いの道。西に千光寺山。中腹に千光寺(p.10)が見えます。

ここは「かみちゅ!」16話で使われた、ゆりえ様と健児君がジョンを追いかける場所。作中では田舎らしく見せるため単線に改変されています。そもそも尾道は海運都市として発展してきたわけですから、田舎町のように描写するのは中々難しかったはず。

実際の尾道では明治24年(1891年)、民営の山陽鉄道が福山駅から延伸して尾道駅が開業。明治42年(1909年)に国有化され国鉄山陽本線になりました。大正12年(1923年)になると糸崎駅~尾道駅が複線化され、2年後の大正14年(1925年)に尾道駅~松永駅も複線に。

山陽本線の全線複線化は昭和19年(1944年)。全線電化は戦後の昭和39年(1964年)。旅客のみならず貨物輸送の路線としても大活躍しており、尾道を探訪していると長い貨物列車を頻繁に見かけます。映画「転校生」でも印象的に映されていました。

浄土寺に至る道 浄土寺に至る道 
2017年9月9日。浄土寺に至る道は「ふたり」のロケ地。ピアノの発表会のシーンで使われました。

尾道で混雑するのは千光寺山エリアぐらい。中心市街から離れると地元の人しかいません。昔は大林作品のロケ地巡りに訪れる人が多かったけど、今となっては映画やアニメのファンは少数派だと思われます。古寺巡りは渋すぎるし、観光客は何を見に来ているのでしょう?

浄土寺山門 浄土寺の寺号標 
浄土寺の由緒 
2017年9月9日。聖徳太子によって創建されたと伝わる浄土寺。この山門は南北朝時代(1333~1392年)の再建。後述するように足利尊氏ゆかりの寺院として知られ、寺紋には足利氏の二引両の家紋が用いられています。

浄土寺の参道上を通る山陽本線 浄土寺山門に至る参道 
浄土寺の参道入口 
2017年9月9日。山門正面の参道上を通る山陽本線。明治時代に市内を横断する形で鉄道が整備。
高架や踏切を通って山手の寺社に向かうという、尾道独特の参道が出来上がりました。

1枚目の車両は緑と橙の湘南色。「かみちゅ!」に登場する車両もこの塗装でした。最近のJR山陽本線は黄色一色ばかりになってきましたが、一部の車両は国鉄時代の湘南色のまま運行されています。ちなみに私は鉄の趣味は持ってないです。

浄土寺下交差点 浄土寺山門に至る参道 
2018年3月31日。浄土寺山(瑠璃山)の南麓に位置し、R2と海岸通りが合流する浄土寺下交差点。ちょうど黄色一色の車両が高架を通ってくれました。瀬戸内海に反射する陽光をイメージした色らしいよ。

尾道の埋め立てが進んだのは江戸時代。中世の海岸線はもっと内陸側まで迫っており、少し西の防地口交差点付近が港町の中心部だったと推測。浄土寺は昔の中心市街に近く、海に突き出たランドマーク。そんな時代の尾道を海から見たかった。

斎藤邸

浄土寺下から浄土寺山 
浄土寺下から浄土寺山 浄土寺下の民家 
2019年4月13日。浄土寺前の道。交差点から海岸通りへ。「転校生」に登場する斉藤一夫の家があります。当時と変わらない姿で使用されている現役の民家。尾美としのりさんと樹木希林さんの会話が浮かんできます。

浄土寺山(178.5m)を見上げると奥の院と不動岩。尾道の町並みを見渡せる最高の展望地です。もちろん後で登ります。お楽しみに。

尾崎本町の船着き場 尾崎本町の船着き場 
尾崎本町の船着き場 日立造船の向島工場 
2019年4月13日。ここは尾道市街東部の尾崎本町。昭和っぽい雑然とした風景が残っています。

対岸の向島に構えるのは日立造船の向島工場。大正2年(1913年)に水野船渠造船所が設立されて以来、向島船渠→大阪鉄工所→日立造船向島東工場に変わりました。平成15年(2003年)に向島西工場が拠点統合のため閉鎖され、ここが日立造船の向島唯一の工場になっています。

海岸通りの胡神社 
2019年4月13日。海岸通りに鎮座する胡神社。祭神・由緒等の詳細は分かりませんでした。

海岸通りの胡神社 海岸通りの胡神社 
2019年4月13日。丹生神社の氏子中により鳥居建立とありますから、浄土寺境内の丹生神社とともにお祀りされているのでしょう。立地的に、住吉神社(p.5)と同じく海上安全の神様だと思います。

尾道の猫 尾道の猫 
船着き場の梯子 
2019年4月13日。猫ちゃんがゴロゴロしてました。尾道は猫の町としても知られます。

尾崎本町の船着き場 尾崎本町の船着き場 
2019年4月13日。船着き場から尾道水道の様子。フィルムはFUJIFILM Velvia 100(リバーサル)。

昔と今とで大きく異なるのは新尾道大橋の存在。「転校生」や「かみちゅ!」の時代には尾道大橋のみ。「あの、夏の日」には建設中の新尾道大橋が写っていて、開発が進んだ今では貴重な映像記録になっています。

この辺りにも向島行きの渡船があり、浄土寺渡し(ドック渡し)と呼ばれていました。江戸時代の文政8年(1825年)に開設された古参だったのが、新尾道大橋の開通を目前に控えた平成9年(1997年)に廃止。写真も映像もほとんど残っておらず、忘れ去られつつあります。

尾崎本町の船着き場 尾崎本町の船着き場 
尾崎本町の船着き場 尾崎本町の船着き場 
2019年4月13日。フィルムはFUJIFILM SUPERIA X-TRA 400(ネガ)。この写真がいつか貴重な記録になるかもしれません。ちょっと曇って控えめな写りになりました。

R2で尾道大橋方面へ R2で浄土寺方面へ 
2019年4月13日。R2を尾道大橋方面へ歩きます。自転車で直接訪れる場合はこの道を走ることに。狭くて交通量が多いから、十分気を付けてください。

尾道大橋/新尾道大橋

尾道水道に架かる尾道大橋と新尾道大橋 日立造船向島工場の看板 
2019年4月13日。山陽本線を利用して訪れる場合も、尾道大橋と新尾道大橋をくぐって尾道市街へ。対岸にある日立造船向島工場の看板が目印。尾道に来たことを実感させてくれます。

奥の尾道大橋は昭和43年(1968年)に開通。当時の尾道市と向東町を繋ぐ画期的な道でした。それと同時に尾道水道を結ぶ渡船の商売敵になり、利用者が減少した航路は廃止を余儀なくされました。

新尾道大橋は平成11年(1999年)に開通。西瀬戸自動車道(しまなみ海道)の起点であり、尾道~今治を結ぶ自動車専用のルートの一部。自動車用の道は興味ないからどうでもいいです。

尾道大橋より東に進むと東尾道市街へ。江戸時代は福山藩領の沼隈郡山波村でしたが、昭和14年(1939年)に尾道市に編入されています。市全域を指すなら尾道市、昔の港町を指すなら尾道。と言わないと混乱を招きます。

大河のような尾道水道 
2019年4月13日。一見すると大河のような尾道水道。僅かに残った渡船が運行しています。

尾道水道で最古の渡船は江戸時代後期に登場。寛政~文化年間(1789~1817年)頃の開設と伝わります。尾道の土堂と向島の兼吉を結ぶことから兼吉渡しと呼ばれ、後に公営渡船、現在は尾道渡船として運営されています。尾道渡船はp.18で詳しく補完しておりますので。

「転校生」や「さびしんぼう」を見ると、1980年代は渡船・造船・海運が賑わっていました。30年前には、まだ海運都市らしい風景があったのです。今日の尾道水道を行き交う船は明らかに減っていて、なんともいえない寂しさを感じます。

「かみちゅ!」をきっかけに舞台探訪を始めた頃は、作中のロケーションに終始して尾道の歴史には興味無し。しかし尾道を歩いていると、歴史の持つ重みに気付かされます。ただの観光で済まさず史跡巡りに特化したレポを作るなんて、昔の旅からは考えられませんでした。

浄土寺

浄土寺の本堂 浄土寺の阿弥陀堂と多宝塔 
2017年9月9日。山門をくぐって浄土寺境内へ。中世の本堂・阿弥陀堂・多宝塔が現存。遠い昔の尾道浦の雰囲気が漂っています。これは素晴らしい。

尾道最古の寺院とされる浄土寺。創建は飛鳥時代の推古天皇24年(616年)。聖徳太子によって開かれたと伝わっています。山号は転法輪山。本尊は秘仏の十一面観音菩薩。現在は真言宗泉涌寺派の大本山です。

尾道開港の歴史はp.2に書いた通り。おさらいになりますが平安時代末期の永万2年(1166年)、平重衡が北部の世羅郡の荘園、大田庄を後白河法皇に寄進。年貢米を京の都に積み出すための倉敷地(蔵・港)が必要になり、嘉応元年(1169年)、尾道村が正式に倉敷地と指定されました。

文治2年(1186年)に大田庄が高野山に寄進されると、津料(関税)を徴収するなど独立した商業港として発展し、まもなく有力な海運業者や商人が登場するようになります。この時代には中心市街や街道が形成されていたでしょう。

鎌倉時代中期の寛元3年(1245年)、高野山から大田庄預所として淵信が派遣され、弘安9年(1286年)には浄土寺と曼陀羅堂(後の海龍寺)別当に。当時の浄土寺は荒廃しており、同時期に定証上人によって再興。鎌倉末期の嘉元4年(1306年)、落慶法要が営まれました。

ところが正中2年(1325年)に諸堂が焼失。有力な商人であった道蓮・道性夫妻の発願により、立派な山門・本堂・阿弥陀堂・多宝塔が次々に再建。尾道を代表する文化財として後世に残りました。ここまでが前半、次に足利尊氏の登場です。

浄土寺の本堂と桜 浄土寺の桜 
2018年3月31日。国宝に指定されている本堂。鎌倉末期の嘉暦2年(1327年)に再建されました。ポジフィルムの写りがリアル。桜も美しいです。

尾道で浄土寺の復興が進んでいた頃、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒して建武の新政を開始。あらゆる滅茶苦茶ぶりから忠臣、足利尊氏の離反を招きます。尊氏が光明天皇(北朝)を擁立して武家政権を樹立する一方、後醍醐天皇は吉野に逃れ、南朝を立ち上げて北朝と対立。天皇が二人も存在する南北朝時代に突入しました。

さて、鎌倉にいた尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻し、京の都に向けて進撃を始めたのが建武2年(1335年)の末。翌年の建武3年(1336年)に入京を果たして天皇を退却させるも、新田義貞・楠木正成・北畠顕家の軍勢に敗れて九州へと下向。その途上で尾道の浄土寺を訪れ、戦運挽回を祈願します。ただの歴史じゃなくて、本当にあった出来事なんです。

九州で態勢を立て直した尊氏は京都へ出撃。再び浄土寺を訪れて戦勝祈願を行っています。湊川の戦いで新田義貞と楠木正成の軍勢を破ると、再度入京を果たして武家政権(室町幕府)の樹立に成功。後に、尊氏は備後国の利生塔を境内に建立したと伝わり、浄土寺に並々ならぬ想いを抱いていたことが分かります。

足利尊氏が浄土寺を訪れた頃には、既に商業港の機能を持った港町、尾道がありました。当時の中心市街に近い浄土寺は商人達の心の拠り所となり、伽藍の再建が進む有力な寺院であったと考えられます。尊氏は瀬戸内の有力者との関係を重視して浄土寺を訪れたのでしょう。

浄土寺の山門 
2018年3月31日。重要文化財の山門。この真下に海が広がり、尊氏の軍船が並びました。正確な年代は不明ながら南北朝時代(1333~1392年)、諸堂とともに再建されたようです。

室町幕府の成立後も混乱は続きました。南北朝統一を果たすも守護大名の勢力争いがあり、応仁元年(1467年)に勃発した応仁の乱で京都は壊滅。戦国時代に突入し、浄土寺は足利氏の庇護を失います。

江戸幕府が成立するとようやく平和な時代が訪れ、尾道は北前船の寄港地、街道上の宿場町として発展。浄土寺は将軍や大名に庇護される寺院ではなく、豪商や庶民の信仰を集めるお寺になりました。

浄土寺の本堂と阿弥陀堂 
2018年3月31日。本堂の右隣には重要文化財の阿弥陀堂。貞和元年(1345年)に再建されました。本尊は阿弥陀如来坐像です。

浄土寺の多宝塔 浄土寺の多宝塔 
2018年3月31日。本堂と並び国宝に指定された多宝塔。鎌倉末期、嘉暦3年(1328年)に再建されました。境内の写真が少なかったので、いずれ補完します。

浄土寺山へ 
次は浄土寺山に向かいます。この先は急斜面。自転車にはきついです。

浄土寺山へ おのみち生涯学習センターの入口 
2017年9月9日。「かみちゅ!」16話、ゆりえ様と健児君がジョンを追いかける場所。一連のシーンでは西の土堂小学校(p.13)から東の浄土寺山まで、色んな道が入り乱れて登場していました。

階段がある通りを直進すると、おのみち生涯学習センターへ。左折すると、ゆりえ様の家を通って浄土寺山に通じています。この道は「あした」の一場面にも使われました。

一橋邸

一橋ゆりえ邸 
山手へ上ると、尾道で最も有名な民家。このレポを読んでいる方はどっち派でしょうか?

浄土寺山へ 一橋ゆりえ邸 
一橋ゆりえ邸 一橋ゆりえ邸 
2017年9月9日。分かる人には分かる「ふたり」の事故現場。お姉ちゃんがトラックの事故で命を落とした場所です。当時、献花に訪れるファンが後を絶たなかったらしい。

「かみちゅ!」ではゆりえ様の自宅として登場。ゆりえ様は向島から渡船で通学している設定なので、現実と作中の位置関係は全く一致していなかったりします。大林宣彦作品のファンが「かみちゅ!」の使われ方を見たら、なんて不吉な場所なんだ…と思うかもしれません。

「かみちゅ!」の時代設定は1983~1984年。ゆりえ様は中学2年生だから当時14歳の女の子。今では書道家の妻の二宮ゆりえさん(48)です。そういう後日談を見たいような……

一橋ゆりえ邸 浄土寺山へ 
2007年9月11日。初めての尾道を訪れた時の写真。適当に作った地図を基に尾道を走り回り、ゆりえ様の家を見つけて興奮していました。割と不審者です。

一橋ゆりえ邸の桜 
2018年3月31日。二宮ゆりえさん(49)の実家も桜が満開でした。

浄土寺山へ 
2017年9月9日。一橋邸から更に登っていきます。このアングルは16話のワンシーン。

浄土寺山中腹から尾道市街の眺望 浄土寺山中腹から尾道市街の眺望 
2017年9月9日。浄土寺山中腹から尾道市街の眺望。南西の海岸通り(pp.3-5)と千光寺山(pp.9-12)。北西の西國寺山(pp.7-8)。狭いように見えて広いです。

山陽本線が内陸側にカーブしているのは、市街地を避けて本通り(昔の西国街道)の北を通したから。その西国街道も、中世の海岸線に沿って整備された道です。海側の土地の大部分は江戸時代の埋め立てにより造成。本通りと山陽本線が海岸線の名残になっています。

久保小学校 
2007年9月11日。久保小学校。

昭和8年(1933年)に建てられたL字型の校舎が特徴。戦前の鉄筋コンクリート造の建物が現役で使われる学校は、広島県内では久保小学校と土堂小学校(p.13)のみです。尚、土堂小は「かみちゅ!」の舞台になりました。

しかし久保小・土堂小ともに老朽化が進み、検討の結果、現在地での改修工事は無理と判断。土堂小学校・長江小学校・久保小学校を廃止・解体して、令和5年(2023年)、久保小跡地の新設校に統合するらしい。文化財を破壊するのはやめてほしいです。

浄土寺山へ 
住宅地を抜けて登山口へ。この先は舗装されているけど階段。自転車を置いて浄土寺山に登ります。

浄土寺山の山道 
誰も寄り付かない鬱蒼とした山道。浄土寺山に登るような物好きは皆無です。

浄土寺山の山道 
あっという間に奥の院。夏は蟲が多いので念のため。

浄土寺奥の院から尾道市街の眺望 浄土寺奥の院 
1105、浄土寺奥の院に到着。霞んでいて尾道市街の眺望は微妙。しかも軒下にスズメバチの巣が……!!直ちに撤退を決定。ここは要注意です。

浄土寺境内から浄土寺山へ 浄土寺境内から浄土寺山へ 
2018年3月31日。浄土寺境内から浄土寺山の奥の院へ。東側の門から海龍寺の前を通ります。こちらが奥の院の正式な参道かな。

海龍寺鎮守社の瘡守大明神 石鎚大権現の鎖の修行場 
2018年3月31日。海龍寺鎮守社の瘡守大明神。石鎚大権現の鎖の修行場もあります。私は高所恐怖症なのでパスさせてもらいました。

浄土寺山の山道 浄土寺山の山道 
2018年3月31日。浄土寺山へ。お地蔵さんや鳥居があって参道らしい雰囲気。

不動岩

不動明王が彫られた不動岩 
不動明王が彫られた不動岩 
2018年3月31日。西国一の磨崖仏、不動明王が彫られた不動岩。向島の岩屋山(p.1)にも同様の巨石がありました。何か関係があるのでしょうか。

浄土寺山不動岩の展望地 浄土寺山不動岩から尾道水道の眺望 
2018年3月31日。不動岩の上部は展望地になっており、尾道の町並みを見渡すには最高の場所。

ここは「ふたり」のラストシーンで知られる展望地。石田ひかりさんと尾美としのりさんが座っていたところ。「転校生」で女の子に入れ替わる役を演じた尾美さんが、9年後の作品ではすっかり大人びているのが面白いです。

昔は剥き出しの非常に危険な場所だったのが、最近、滑落防止の丈夫な安全柵が設置されました。もう「ふたり」の名場面は再現できなくなったけど、そのままでは事故が起きただろうし。仕方ないよね。

浄土寺山不動岩から尾道水道の眺望 
2018年3月31日。柵越しに見下ろしてみました。「かみちゅ!」16話でゆりえ様と健児君が眺める風景。DVD5巻ジャケットの場所も不動岩と思われます。

四角形の穴は石材を切り出すために空けられた矢穴。 こうして穴を並べて楔を打ち込み、巨石を割っていたのです。昔の尾道は石細工が盛んな町でもあり、今でもその痕跡が残されています。それにしても凄い眺めですね。

浄土寺山不動岩から岩屋山と高見山 
2018年3月31日。対岸の向島、岩屋山の大元神社(pp.1-2)。向島最高峰の高見山(283.3m)も見えます(p.17)。

尾道三山の位置関係を概観するなら岩屋山。海と山に挟まれた町並みを概観するなら不動岩。ひたすら町中を歩き回り、色々な展望地から俯瞰して、尾道という都市の構造が少しずつ分かってくるのです。

浄土寺山不動岩から尾道水道の眺望 浄土寺山不動岩から尾道水道の眺望 
2018年3月31日。尾道の眺望。カメラはオートフォーカスのMINOLTA α8700i。フィルムはFUJIFILM Velvia 100(リバーサル)を使用。尾道水道の全景を収めるには広角レンズが必須です。

尾道開港の歴史は上述の通り。浄土寺創建の頃は瀬戸内の漁村の一つだったのが、平安時代末期に大田庄の倉敷地に指定されて港町に。有力な商人が登場し、足利氏や山名氏が存在感を高め、遣明船の寄港地になったり古寺が中興されるなど、中世にかけて海運都市の礎が築かれました。

中世の尾道浦の情景を記録したものとしては、足利将軍に仕えた武将、今川貞世の『道ゆきぶり』が有名。室町時代の応安4年(1371年)、足利義満から九州探題に任命。南朝勢力を平定するため大宰府に向かう際に尾道を訪れ、当時の風景をリアルに書き残しています。

それによると尾道浦には東北や九州に向かう船があり、山麓に沿って家々が所狭しと密集していたと記されています。海際の埋め立てが行われず、江戸時代とはまた違った姿の尾道。現在の本通りの一帯に、生活感あふれる風景が広がっていました。そういう風景をフィルムで撮ってみたかったと、いつも思います。

江戸時代になると浅野氏の広島藩の領地に。寛永15年(1638年)には中心市街が尾道町になりました。町内を東西に抜ける西国街道、南北を結ぶ銀山街道が整備され、尾道は西廻り航路の北前船の寄港地、街道上の宿場町として発展。この時代の姿としては、山手には中世に再興された古寺が点在。西国街道(現在の商店街)の海側には民家と商家が密集し、それらを南北に繋ぐ小路や参道がありました。

ところが明治維新後に様相は一変。明治24年(1891年)に市内を横断する山陽鉄道が開通。街道から寺社に通じる南北の参道が分断されることになりました。これまで古寺しかなかった山手の斜面には民家が適当に建てられ、海から山まで建物が密集する尾道独特の風景が生まれました。明治の混乱の中で出来上がった無秩序な町並みです。

急激な近代化の中、海運だけでなく造船も盛んになり、対岸の向島には大小の造船所が次々に建設されました。戦中は南の因島の造船所が空襲を受けることもありましたが、尾道と向島は直接の被害を受けず戦前からの町並みが残り、戦後、映画の舞台に使われて一躍有名になりました。その代表作が「転校生」です。

古き良き風景と表現されることの多い尾道の町並み。実は、尾道開港850年の歴史の中では最新とも言える姿です。大林作品や「かみちゅ!」が生まれる前提として倉敷地があり、長い年月をかけて商人や町民、市民が尾道を作ってきました。まあ、そこまでルーツを掘り下げて探訪する人は稀だし、私もこんなことになるとは思っていませんでした。

浄土寺山不動岩から尾道水道の夜景 浄土寺山不動岩から尾道水道の夜景 
2018年3月31日。尾道水道の夜景を撮ってみました。街燈に照らされた尾道大橋と新尾道大橋。尾道水道を行き交う渡船、賑わってる海岸通り。山陽本線を走る列車は光の筋になって面白いです。

オートフォーカスといえども夜間撮影には適用不可。シャッタースピードと絞りは自分で決める必要があります。デジタルと違ってその場で確認できず、適切っぽい数値で撮影。現像後、撮影時にメモした数値と照らし合わせて適正露出を把握。近場でしっかり練習してから本番に挑まなければなりません。

ISO100なので三脚&ケーブルレリーズが必須。絞りは4.5か8。シャッタースピードは光源によって判断。基本的に4~8~16、15~30~60と倍数で変えて撮影します。1枚目はF8のS60、2枚目はF8のS30でした。リバーサルの漆黒は最高です。

浄土寺山の山道 石仏が並ぶ山道
2018年3月31日。奥の院へ。石仏が並んでいます。

奥の院

浄土寺の奥の院満福寺 浄土寺の奥の院満福寺 
2018年3月31日。浄土寺の奥の院満福寺(峰薬師堂)です。江戸中期時代の正徳年間(1711~1716年)に再建。現在の堂宇は昭和59年(1984年)に復興されました。スズメバチの巣は撤去済み。普段は無人のようです。

浄土寺奥の院から尾道市街の眺望 峰薬師堂再建碑 
2018年3月31日。奥の院から尾道市街の眺望。こちらは木々が入ります。昭和12年(1937年)の「峰薬師堂再建碑」がありました。

浄土寺奥の院の巨石 
浄土寺奥の院の巨石 浄土寺奥の院の巨石 
2018年3月31日。奥の院にも巨石が鎮座します。 「かみちゅ!」16話でゆりえ様と健児君が辿り着いた場所。巨石の上から見た眺望は不動岩の展望地だと思います。この上に登るのは失礼ですからね……

浄土寺山展望台 浄土寺山山頂の三角点 
浄土寺山の巨石 
2018年3月31日。巨石の後背には浄土寺山展望台。ここが標高178.5mの浄土寺山(瑠璃山)山頂。三角点が設置されています。

浄土寺山展望台から尾道水道の眺望 浄土寺山の桜 
浄土寺山展望台 
2018年3月31日。展望台から尾道市街の眺望。奥の院の屋根が入るのがいい感じ。

浄土寺山展望台から松永湾の眺望 
2018年3月31日。北東、福山の松永市街と松永湾も見えます。江戸時代、浄土寺より東は福山藩領でした。

浄土寺山の北には防地峠があり、広島藩と福山藩の境界になっていました。西国街道を通行する者は峠に設置された関所、防地番所にて役人の検査を受ける必要があったのです。全国を自由に往来できる時代に生まれて本当に良かった。

憩いの森展望台 憩いの森展望台 
憩いの森展望台から松永市街の眺望 浄土寺山憩いの森案内図 
2018年3月31日。浄土寺山展望台の北東には憩いの森展望台。松永の眺望は微妙だったけど桜が綺麗でした。

憩いの森展望台の桜 
2018年3月31日補完分の桜。せっかく撮ったので載せます。

一橋ゆりえ邸 
浄土寺山から下って一橋邸に戻りました。
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