諏訪サイクリング II・守屋山ハイキング I

01|下諏訪駅~下社秋宮|御射山社
02|~御作田社~注連掛~木落し坂~下社春宮|旧御射山・車山神社
03|~釜口水門~岡谷駅~藤島神社~洩矢神社~茅野駅
04|茅野駅~守屋山(守屋神社奥宮・里宮)~御柱屋敷~
05|上社前宮|水眼の源流
06|~守矢史料館(守矢邸・御頭御社宮司総社)
07~北斗神社~上社本宮
08|~大祝邸~木落し公園~茅野駅|御座石神社|青柳駅~御射山社
09|茅野駅~葛井神社~足長神社~八劔神社~手長神社|立石公園
10|~上諏訪駅~兒玉石神社~先宮神社~高島城~下諏訪駅

2016年5月1日(日) 2日目

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守矢史料館を出て、R16を進行。
1440、茅野市から諏訪市に入りました。

とにかく御柱祭一色で、脳内では「風神録」の道中曲がエンドレス再生。
「神々が恋した幻想郷」と「明日ハレの日、ケの昨日」が特にお気に入り。
御柱祭シーズンの諏訪に来て、本当に良かったと思います。

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R16を外れて上社本宮、東参道の入口へ。
本宮一之御柱お宿が設けられています。

地元のおじさんに声をかけられて一旦休憩。
遠方からこんな田舎にやって来て、諏訪大社どころか
守屋山まで登るような物好きは初めて見たと喜んでくれました。
私はただ走ってるだけですが、そう言っていただけると光栄です。

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本宮へ。観光に訪れているサイクリストをよく見かけます。
左手の斜面にあるのは、天御中主命を祀る北斗神社。
高所恐怖症なのでパスさせてください。

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とか言いながら11月補完分。
後先考えず登ることにしました。

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地形的には、838.7mのピークの真下に位置。
社殿まで200段もの急な石段を登ります。
下界を振り返ってはいけません。

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無事に登ってきました。
適当にカメラを向けて眺望を撮影。

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急斜面に建てられた社殿の様子。
天御中主命をお祀りしています。

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その左手には三社神社と彫られた祠。
石灯籠には「祭主 物部安貞」とあります。
またまた物部氏に関連する社なのでしょうか?
もう分かりません。これ以上の謎は勘弁して・・・

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帰りは斜面に設けられたつづら折れの道で下ります。
ここまで11月補完分・・・北斗神社はもう登りません。

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1500、東参道の鳥居までやってきました。
里曳きのルートには観覧席が並びます。

諏訪の人々にとって、御柱祭は人生の一大イベント。
木落しや里曳き、建御柱に携わるのはとても誇らしいことで、
その興奮は外部から見るだけでは絶対に分からないそうです。
しかし私のような部外者が諏訪信仰に興味を持って訪れることを
本当に喜んでくれて、御柱の素晴らしさを語り出して止まらなくなるのでした。

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適当なところに自転車をロック。
先客のロードバイクが停めてありました。
御手洗川を渡ると境内に入ります。

この御手洗川は、元日の朝に蛙狩神事が行われるところ。
冬眠中の蛙を掘り起こして捕獲し、弓で射たものを生贄として捧げる神事。
起源はよく分かっていませんが、古代の狩猟・農耕の祭祀の名残でしょう。
必ず蛙が見つかることから、上社七不思議の一つとなっています。

前宮の御頭祭と同じく、蛙狩神事は残酷だと思われるようです。
ここ最近、動物愛護の面倒な連中に目を付けられ、ちょっとした話題に。
今年は神事を妨害するために抗議のパフォーマンスが行われました。
カエルの格好で御手洗川に入って荒らすなどやりたい放題。
神事は非公開になってしまいました。

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話は変わって・・・

仏教が伝わって以来、長く続いた神仏習合の信仰。
諏訪神社にも神宮寺があり、多くの寺院が栄えましたが、
慶応4年(1868年)の神仏判然令(神仏分離令)により廃止。
大部分が跡形もなく取り壊され、この辺りでは法華寺のみ残っています。
境内の幣拝殿奥には、お鉄塔という石の多宝塔があり、
これが御神体の役割を果たしていた時代もあったとか。

弘法大師こと空海によって建てられ、老朽化のため
江戸時代初期に高島藩主の諏訪忠恒が再建したと伝わるお鉄塔。
神仏分離の流れで撤去された後、上諏訪駅付近の温泉寺に移設されました。
そんなわけで現在、幣拝殿の向こうに御神体らしいものは存在しない様子。

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東参道をスルーして、R16から北参道へ。
R16沿いには諏訪市博物館があります。
時間に余裕のある方はどうぞ。

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北参道から諏訪大社上社本宮。
地元の人達や参拝客で大変賑わってます。

旧暦の10月になると八百萬の神々が出雲に集まり、
一般的には神無月、出雲では神在月と呼ばれるのは御存知だと思います。
建御名方神は過去に色々あって、出雲に行かないことから諏訪も神在月に。
地元では「諏訪の神様はいつでも諏訪を見守ってくれる」と親しまれています。

東方では、外の世界(我々の住む現代)の信仰が失われたことから、
神奈子様の企みにより諏訪から幻想郷に引っ越してくることになります。
実際の諏訪の信仰は・・・この熱気を見る限り、失われないでしょうね。

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大鳥居をくぐって境内へ。
左が参拝路、右に社務所があります。

北参道が整備されたのは明治時代のことで、
この鳥居も平成15年(2003年)に新設されています。
昔は神宮寺前の東参道がメインルートでした。

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本宮一之御柱予定地。
まもなく御柱が建てられます。

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左折して参拝路へ進みます。
明神湯なる温泉が湧いてました。

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その前に、境内案内図をご覧ください。

諏訪大社の社殿は、幣拝殿と左右片拝殿の構成。
その奥に東西宝殿があり、更に奥に御神体があります。
御柱の配置は右手前から時計回りに1→2→3→4となりますから、
本宮の幣拝殿は横向きで、宝殿との位置関係も変なことが分かります。
一番上にある、特に明言されていない神体山も気になりますね。

・・・というわけで、社務所に寄って中の人に質問。
以下、質問の回答を私個人の解釈を含めて書いていきます。

まず、本宮には二つの御神体があり、
宝殿と幣拝殿でそれぞれの御神体を祀っているとのこと。
古くは東西宝殿の間にある四脚門から、硯石なる磐座を通して南西の神体山を拝しました。
この神体山とは守屋山を含む一帯の山々のことで、現在では御山(宮山)と呼ばれています。

やがて、南東の前宮に居館を構えた大祝そのものが御神体とされ、
幣拝殿から神居の森を通して前宮の大祝を拝するようになりました。
神仏習合の時代にはお鉄塔が御神体の役割を果たしていましたが、
大祝の役職が廃止、お鉄塔も撤去されたことから御神体は不在に。
それでも、かつての名残で前宮を御神体として祀っているらしい。

守屋山と前宮は、どちらもミシャグジ神の重要な祭祀の場。
長い歴史の中で、祭神や御神体の解釈が変わることがあったかもしれませんが、
大祝と神長が廃止された現在でも、ミシャグジ神の信仰は受け継がれています。
守矢氏のように守屋山をミシャグジ神の宿る山として考えれば、
間違いなく上社の神体山になるのでした。

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では参拝路へ。
左手にあるのは神楽殿と土俵、そして小さな境内入口。
神楽殿には元日の朝だけ叩ける大太鼓が設置されています。
尚、堀川雷鼓さんとは関係ありません。

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神楽殿の向かい側には天流水舎。
どんな晴天の日でも三滴の雫が屋根から落ちるとか。
上社七不思議の一つで、神奈子様のスペカ、天流「お天水の奇跡」の元ネタ。
この左を上がると四脚門があります。

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少し進んで、右手に勅使殿と五間廊。
昔は神楽殿の辺りに位置し、拝殿の役割があったとか。
ということは、勅使殿から四脚門の向こうにある硯石を遙拝したのかな。

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東参道の鳥居に回ってきました。
大欅の隣が二之御柱予定地です。

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入口左手には、本宮摂社の出早社。
祭神は建御名方神の第二子である出早雄命。
門番神として崇敬されています。

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入口御門をくぐって布橋へ。
梶の葉の神紋が掛けられています。

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この屋根付きの回廊を布橋といいます。
左手にあるのは額堂(絵馬堂)。

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摂末社遥拝所を過ぎて、本宮摂社の大国主社。
祭神は建御名方神の御父神、大国主命です。

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造営中の東宝殿。

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神輿と神宝が安置されている西宝殿。
諏訪大社では、この宝殿が本殿に相当します。

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東西宝殿の間にあるのが四脚門(四足門)。
戦乱で焼失し、安土桃山時代の慶長13年(1608年)に徳川家康が再建させたもの。

向こう側は斎庭で、奥の高台に古代の磐座、硯石があります。
ここから硯石を通して、背後に続く神体山を拝したのでしょう。
中の人によると、守屋山だけに限定しているわけではなく、
一帯の山々が神体山ということになっています。

・・・あろうことか硯石は撮り忘れ。
以下の8月補完分でカバーしてます。

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堀重門の前を通って入口門へ。
拝殿まで回りこむようなルート。

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入口門をくぐって参拝所エリア。

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参拝所にて参拝。祭神は建御名方神と八坂刀売神。
全国の諏訪神社の総本社として、篤く崇敬されています。

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普通に入れるのはここまで。
参拝所の向こうに見えるのが斎庭と幣拝殿。
その奥に神居の森が広がり、ずっと南東に御神体の前宮があります。
二つの信仰が直角に交わる斎庭・・・なんだか凄そう。

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拝殿の右手には勅願殿。
パネルによると個人私事の祈祷を行うところで、
祭神の御神霊が宿る守屋山(御神体山)に向かい建てられているとのこと。
ミシャグジ神だけでなく、諏訪大明神の宿る山でもあるようです。

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2009年撮影分。東参道から境内へ。
天流水舎の手前に、筒粥神事を行った筒粥殿跡があります。
いつ途絶えたのか不明ですが、今では下社春宮で行うように。
スペカ、忘穀「アンリメンバードクロップ」の元ネタです。

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絵馬堂には目処梃子(メドデコ)が展示されていました。
御柱の前後に挿すV字型の木で、舵取りに使うスタビライザーみたいなもの。
上社独自のスタイルで、明治時代から取り付けられるようになりました。
氏子が乗っかって、見た目がド派手になる効果もあります。

これもスペカ、奇祭「目処梃子乱舞」の元ネタ。
神奈子様は見た目も弾幕もインパクトが強いです。

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境内の散策を終えると、農道をショートカットして宿に撤収。
走行距離は1日で約55km。実に無理のあるプランでした。

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ここから8月補完分。R16から東参道の入口へ。
本宮一之御柱お宿は花壇になってました。

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東参道の鳥居。
里曳きの観覧席も片付けられて、静かな参道に。

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北参道から境内へ。
正面左手に本宮一之御柱がそびえ立ってます。

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本宮一之御柱は、諏訪の社の中で最も立派なものが選ばれます。
大変残念なことに、今回の建御柱の後で転落・死亡事故が発生しました。
亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、今後の安全管理の徹底を願います。

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同じく一之御柱。
これから6年間、本宮を守ります。

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一之御柱の奥には、諏訪七石の一つとされる御沓石と天之逆鉾。
これも磐座の一種かもしれません。

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参拝路の反対側、社務所の右手にある浪除鳥居。
かつての諏訪湖は現在より広く、この辺りまで湖畔だったそうな。

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参拝路へ。
雷電像と神楽殿、その向こうに土俵があります。

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左手には五穀の種池。
御頭祭の際、占いを行った池だとか。

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神楽殿。雷鼓さんが好きそうな大太鼓。

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東参道の鳥居に向かうと、大欅の隣に二之御柱。

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入口御門と二之御柱。
4本の御柱が、東西宝殿を囲うように配置されています。

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入口御門の左手、出早社の向こうに三之御柱。
これ以上は近付けませんので、遠巻きに拝します。

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さてさて、東参道の鳥居から境内を出ると、
右手に蠶玉大神を祀る蠶玉神社があります。
その右を御手洗川沿いに進んで・・・

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森の中に三之御柱が見えました。
これより上は神体山エリアで、立入禁止となります。

守屋山も神体山ですから入山禁止になってもおかしくないのですが、
実際にはハイキングコースとして整備され、一般のハイカーでも入山可能。
というのも、現在の諏訪大社が所有しているのは守屋山麓一帯のエリアだけで、
山そのものを神体山として禁足地にすることは出来ないそうです。
なるほど、こういう現代的な事情があったのですね~

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山手にある法華寺。山号は鷲峰山。
天台宗の寺院だったのが、鎌倉時代の寛元年間(1243~1247年)に
領主の蓮仏入道(諏訪盛重)によって中興され、禅宗寺院になりました。

安土桃山時代の天正10年(1582年)には、
織田信長の軍勢が武田氏壊滅を目論んで甲州征伐を実施。
武田氏が信仰していた諏訪神社を焼き払い、法華寺に陣を構えました。
その際、信長と家臣の明智光秀との間に一悶着あり、
後の本能寺の変の一因になったと言われています。

時は流れて江戸時代の元禄15年(1703年)、
赤穂浪士の討ち入りに遭って負傷した吉良左兵衛義周公は、
高島城への幽閉という処分を受け、若くして諏訪の地で死去します。
法華寺の奥には、そんな義周公の墓地も残っているのでした。

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境内に戻り、入口御門をくぐって布橋を進みます。

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絵馬堂の隣には苔むした砲弾。
戦中に、戦没者の忠魂碑として奉納されたものでしょうか。
特に珍しいわけではなく、このような砲弾は全国の神社にあります。

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新しくなった東宝殿。

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東西宝殿の間、四脚門の向こう側は斎庭。
高台には古代の神聖な磐座、硯石が鎮座しています。
建御名方神の子孫である大祝だけが、硯石に登ることができたとか。

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下から登ってくるとこんな感じ。
こうやって、硯石から守屋山を遥拝していたのですね。

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参拝所エリアへ。巫女さんが掃除中・・・

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勅願殿と宝物殿の間、梶の木の向こうを見てみましょう。

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森の中には四之御柱。ここまで8月補完分。
この補完で、16本全ての御柱をチェックできました!

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そして11月補完分。
本宮周辺を少しだけ補完します。

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波除鳥居から境内を出て車道を歩きます。

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中央自動車道をくぐると、道端に地味な石がありました。
これは蛙石と呼ばれており、諏訪七石の一つだそうです。

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左は石碑。右の池の中にあるのが蛙石。
蛙のように見えなくもないですが・・・ケロケロ。
以上、小ネタ程度の11月補完分でした、

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さて、自転車に戻りましょうか。
8ページ目、大祝邸に続きます。

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「東方巡遊記」に戻ります。