守屋山ハイキング II
01|岡谷駅~洩矢神社~下社秋宮~下社春宮~茅野駅
02|茅野駅~上社前宮~御頭御社宮司総社~上社本宮
03|上社本宮~守屋神社奥宮~守屋山西峰
04|守屋山西峰~守屋神社里宮~茅野駅
2017年1月28日(土) 2日目
1310、守屋山西峰手前の守屋山頂ラビットハウス。
ハイカーが続々と下山していきます。
1312、守屋山主峰の西峰(1650.3m)。
磐座も祠も存在しない、普通のオープンな山。
信仰の対象としての守屋山は、東峰を指すのでしょうね。
北の下界には諏訪盆地が広がっています。
諏訪湖北岸の下諏訪市街から西岸の上諏訪市街。
飛騨山脈(北アルプス)、筑摩山地、霧ヶ峰も見渡せます。
北東には電波塔の設置された1440mのピーク。
霧ヶ峰の稜線の向こうには浅間連峰の最高峰である浅間山(2568m)。
活火山のため入山規制中。現在も噴煙を上げています。
東の八ヶ岳連峰。
北端の蓼科山(2530.7m)から南端の編笠山(2524m)まで。
最高峰は標高2899mの赤岳となります。
南には北岳(3192.5m)を最高峰とする赤石山脈(南アルプス)。
南西には木曽駒ヶ岳(2956.1m)を最高峰とする木曽山脈(中央アルプス)。
オープンな山頂で、周囲の山々を見渡せる素晴らしい眺望です。
更に西を見ると・・・
経ヶ岳(2296.4m)の稜線の向こうに御嶽山。
剣ヶ峰(3067m)を最高峰とする活火山であり入山規制中。
その北には、鉢盛山(2446.6m)の稜線の向こうに
剣ヶ峰(3025.7m)を最高峰とする乗鞍岳が見えます。
ベテラン登山家らしきおじさんも、この眺望に大満足していました。
では、諏訪湖を眺めつつ昼休憩タイム。
気温は5℃。無風でちょうどいい涼しさでした。
1345、休憩終了につき下山開始。
滑りそうなので軽アイゼンを装着します。
つづら折れの急な下りで、特に眺望は得られません。
神剣を山に納める時に傷付けたという、刀傷痕の岩がありました。
物部守屋か諏訪大明神に関係しているのか不明。
意外と長いルート。
作業道みたいな分岐もあるから間違えないように。
軽アイゼンを外して下ります。
ザックを下ろし、拝殿にて参拝。
物部守屋を祀る静かな社です。
拝殿裏手には、本殿へ登る石段があります。
前回の探訪では全く気付かず、補完のため再訪。
これだけ訪れてもフルコンプリートするのは難しい。
斜面の途中に祠がありました。
やはり物部守屋を祀っているのだと思います。
更に登ると、世界平和天の御柱・・・
これは守屋神社とは関係無さそうですね。
本殿と祠を補完したものの、結局何も分からないまま。
とりあえず写真だけ掲載して、今回の目的は完了とします。
よく整備されたルートで歩きやすく、条件が良ければ最高の眺望。
ミシャグジ神が宿る神聖な山で、物部守屋もお祀りされています。
信仰の山という観点でも大変興味深い守屋山。超オススメです。
時刻は1610。登山口からここまで6時間半の行程でした。
ゆっくりプランで進行したら、本当にゆっくりしすぎた模様。
今から本宮に下ると、途中で日没になってしまいます。
日没後の山歩きは危険なので、R152で茅野へ下ります。
ヘッドランプとセーフティライトを用意して下山準備はOK。
バックパッキングではよくある行程です。
・・・と歩き始めたら、
たまたま車でやってきた女性に声をかけられ、
茅野駅まで乗せていただけることになりました。
この女性は八ヶ岳西麓、諏訪郡原村在住の方で、
守屋神社にお参りに来たら怪しいハイカーを見つけてしまったというわけ。
御柱を心から愛しており、御柱祭では本宮の里曳きに参加されたようです。
私が諏訪信仰に興味を持って何度も訪れていることを喜んでくれて、
短い時間ながらも御柱の素晴らしさを熱く語ってくれました。
地元の方との一期一会の出会いこそ、徒歩や自転車の旅の魅力。
偶然出会って車に乗せてもらうのも、きっと何かの縁だと思います。
マイカーの旅行では絶対に味わえないこの雰囲気。
ああ・・・諏訪って素晴らしい。
気の利いたお土産を買って、ホテルに戻ります。
1730、「ホテルちの」にリターン完了。
本日の歩行距離は約13.5kmとなりました。
2100、探訪の記録を整理しつつ寝落ち。
明日は午前中に帰ります。
2017年1月29日(日) 3日目
帰路。
0500起床。
昨日のうちに準備は済ませています。
手早く朝食を済ませてチェックアウト。
0600、JR茅野駅。ここまで約1km。
総合歩行距離は約29.5kmとなりました。
0634、塩尻駅にて乗り換え。
最近は特急を利用することが多くなりました。
特急「しなの2号」で名古屋駅へ、
名古屋駅から東海道新幹線「のぞみ13号」に乗り換え。
新大阪駅に到着したら、最寄駅までもう少し。
1112、最寄駅にて下車。
自宅に帰り着いたのは1130のことでした。
8年越しの諏訪探訪は、これにて一旦完結。
お疲れ様~