守屋山ハイキング II

01|岡谷駅~洩矢神社~下社秋宮~下社春宮~茅野駅
02茅野駅~上社前宮~御頭御社宮司総社~上社本宮
03|上社本宮~守屋神社奥宮~守屋山西峰
04|守屋山西峰~守屋神社里宮~茅野駅

2017年1月28日(土) 2日目
マウンテン・オブ・フェイス。
信仰の山、守屋山へ登ります。

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0500起床。
現在地は長野県茅野市の「ちのステーションホテル」。
手早く朝食を済ませて、明るくなったら出発しましょう。

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0630、行程開始。
R20からR16に乗り換えて諏訪大社上社方面へ。

諏訪略地図 
本日は、茅野駅付近のホテルを出発して上社前宮と本宮へ。
本宮から守屋山(1650.3m)に登り、守屋神社を探訪して下山。
後はホテルに戻って行程終了。明日、電車で帰ります。

※「OpenStreetMap」からトレースして作成。

尚、マイカーで守屋山にアクセスする場合は、
前宮手前からR152を上って杖突峠(1247m)の駐車場へ。
私は前回、自転車で杖突峠まで上って守屋山へ登りました。

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上社前宮まで約1.7km。
曇りがちな空がどんどん晴れてきました。
気温は-5℃、無風なので寒さはマイルド。

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0655、諏訪大社上社前宮です。

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境内に入ります。

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御柱祭シーズン以外は静かな社。

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車道を上って本殿エリアへ。
舗装が新しくなってました。

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社叢に覆われた本殿の様子。
諏訪信仰発祥の地とされ、祭神が最初に鎮座された社。
拝殿奥に本殿があって、他の三社とは異なる構成です。

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拝殿にて参拝。祭神は建御名方神と八坂刀売神。
後述するミシャグジ神にも関係の深い社です。

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拝殿の右手前には前宮一之御柱。その奥に四之御柱。
東に見えるのは八ヶ岳。向こうの雲も晴れてきた模様。

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拝殿の左手を流れる水眼の清流。
二之御柱もあります。

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左奥には三之御柱。
地形的に、ここから守屋山は見えません。

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境内を出ると、引き続きR16で上社本宮へ。
南東から日が昇ってきました。

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0733、神長官守矢史料館に寄り道。

先住民族の長として当地を治めた洩矢神と、
その子孫の守矢氏に関する貴重な史料を展示する小さな博物館。
かつて上社の筆頭神官、神長を務めた守矢家の敷地内にあります。

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現在の守矢家当主は、洩矢神から数えて78代目の守矢早苗氏。
東方的には東風谷早苗のモデルとなった人物です。

建御名方神の子孫は諏訪氏を名乗って諏訪の地を治め、
上社において大祝と呼ばれる生神のような役職を務めました。
一方、洩矢神の子孫は守矢氏を名乗り、上社の神長として大祝を補佐。
諏訪の祭政における実権は、守矢氏が持ち続けることになったのです。

この辺りの経緯を説明すると本当に長くなってしまうので、
詳しくは「諏訪サイクリング II・守屋山ハイキング I」からどうぞ。
今回のレポでは割愛させてもらいます・・・

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門をくぐって右手にあるのが守矢史料館。
早朝なので、まだOPENしてません。

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正面にはミシャグジ神をお祀りする御頭御社宮司総社。
小高い丘の上に位置し、特別な社という風格。

当地では、古代より自然に宿る精霊、ミシャグジ神が崇敬されていました。
諏訪大明神を祀る諏訪大社においても大変重要な存在であり、
神長の守矢氏にはミシャグジ神を降ろす秘法が伝わり、
代々、上社の祭祀を司ってきました。

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この社は、守矢氏によるミシャグジ神の祭祀の中枢。
先程訪れた前宮も、かつてはミシャグジ神を降ろす場でした。
しかし明治時代になって神長と大祝の役職が廃止されたことから、
諏訪信仰を体現する守矢の秘法は永久に失われてしまいました。
本当に残念なことです。

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これから登る守屋山は、ミシャグジ神の宿る神聖な山。
今ではオープンなハイキングコースとして整備されていますが、
古代より崇められた神体山であることに変わりはありません。
失礼のないよう、社殿にて登山する旨を報告。

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祠にも小さな御柱があり、古い信仰を色濃く伝える社。
御柱の原型は、諏訪大明神がやってくる以前から
存在していたと考えるのが自然だと思います。

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R16に復帰して上社本宮に向かいます。
0747、諏訪市に入りました。

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諏訪市に入ってすぐ、左手に旧杖突峠入口。
昔は、ここから杖突峠や守屋山方面に登ったのでしょうか。

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R16を外れ、まもなく本宮。
守屋山の登山口は、片山展望台の設置された838.7mのピークの南。
御頭御社宮司総社・旧杖突峠入口・本宮のどこからでもアクセス可能です。

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左手の斜面には、天御中主命を祀る北斗神社。
崩壊土砂防止柵を造っているようです。
登るのはパスさせてください。

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三の鳥居をくぐって東参道へ。

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0800、諏訪大社上社本宮。
前宮から1.5kmほど歩いてきました。

ここは駐車場のある東参道。神仏習合の時代は神宮寺があり、
山手には多くの寺院が並ぶ参拝者のメインルートになっていました。
しかし明治時代に大部分が撤去され、新たに北参道が設けられます。

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御手洗川を渡ると境内に入りますが、
一旦スルーして北参道に回りましょう。

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北参道の大鳥居をくぐって境内へ。
朝の神社の雰囲気が好きです。

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境内に入ると、正面左手に本宮一之御柱。
諏訪の社の中で最も立派なものが選ばれます。

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明神湯で手を温めて、左の参拝路へ進みます。

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よく見ると謎だらけの境内案内図。
本宮の幣拝殿は東西宝殿に対して横向きで、
御柱の配置にも一致していないことが分かります。

以前、中の人に尋ねてみたところ、
本宮では宝殿と幣拝殿で二つの御神体を祀っているとの回答。
古くは宝殿の間の四脚門から硯石を通して南西の神体山を拝したのが、
幣拝殿から神居の森を通して南東の前宮を拝するようになったそうです。

神体山とは守屋山を含む一帯の山々で、現在では御山と呼ばれています。
守矢氏のように守屋山をミシャグジ神の宿る山として考えれば、
まさに信仰の山、マウンテン・オブ・フェイスという位置付け。
この辺の事情も、前回のレポを参照してください。

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で、東参道の鳥居まで回ってきました。
ここに二之御柱と入口御門があります。

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入口御門の左手、出早雄命を祀る出早社の向こうに三之御柱。
神体山エリアに建てられており、これ以上は近付けません。

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入口御門をくぐって布橋へ。
この屋根付きの回廊を布橋といいます。

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本殿に相当する東西宝殿。

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宝殿の間、四脚門の向こう側は斎庭。
高台には古代の神聖な磐座、硯石が鎮座しています。
ここから守屋山を遥拝していたのですね。

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堀重門の前を通って入口門へ。
拝殿まで回りこむようなルートです。

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入口門をくぐって参拝所エリア。
右手の森の中には四之御柱が建てられています。
巫女さんが掃除中のため、写真は控えめに。

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参拝所にて参拝。祭神は建御名方神と八坂刀売神。
全国の諏訪神社の総本社として、篤く崇敬されています。

普通に入れるのはここまで。
参拝所の向こうに見えるのが斎庭と幣拝殿。
その奥に神居の森が広がり、ずっと南東に御神体の前宮があります。

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おさらいの探訪を終えて守屋山へ。
3ページ目に続きますヨ。

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